にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
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ドラマ『MIU404』(こちら側とあちら側、架空と現実の分岐点 )

ドラマ『MIU404』(こちら側とあちら側、架空と現実の分岐点 )




 (野木亜希子さん脚本のシェアードユニバースドラマ『アンナチュラル』に続いて『MIU404』もAmazonプライム・ビデオで視聴。ネタバレは抑えてっていうか、主に「ピタゴラ装置の球の話し」をします。「球」メインです。ドラマの内容は「考える星野源さん」と「走る綾野剛さん」がW主演のドラマです。まるごとメロンパン号も疾走します!以上)


 レールから落とされた球は、管を通ったり、定規に当たってコースを変えられたり、単にA地点からB地点へと普通にまっすぐ移動すれば良いところを、ジグザグや落下を繰り返して、意図せぬ方向へと「道を外し」ながら球は移動していきます。(道とはそもそもまっすぐが正しき道なのか?落ちることとはそもそも悪しきことなのか)

 無軌道なヤンキーであったと思しき少年が、立派な大人と出会って正義の警官になる事もあれば、彼をまっすぐな道に軌道を向けた立派な大人が罪を犯す不条理であるとか。頭脳明晰で誰も信じないような刑事が正反対の野生の馬鹿に救われるとか。誰が誰の背中を押して、押されて、落ちて、変わっていくかなんてわからないものですね。

 『たどる道はまっすぐじゃない。障害物があったり。それをうまくよけたと思ったら横から押されて違う道に入ったり』『何かのスイッチで道を間違える』
それは自己責任だという言葉が聞こえてくるが、しかし『人によって障害物の数は違う。正しい道に戻れる人もいれば、取り返しがつかなくなる人もいる。誰と出会うか、出会わないか。この人の行く先を変えるスイッチは何か。その人が来るまで、誰にもわからない』

 まるで、星野源くんの歌のような台詞のように聞こえてきた。(いいや、主題歌は米津玄師だ。今も頭の中を『感電』がぐるぐる回っている)

 しかしこの社会は「どうしようもない障害物」で溢れかえっていて、現実と架空の世界の分岐のスイッチが入れ替わりながら進行してくる感じ。

 そして、転がる球の視点が、

 『アンナチュラル』では、圧倒的に主人公視点で話しが進んでいたのに対して、こちらでは、かなりの比重を「障害に当たって罪を犯した側」へと移してきていたような気がしてきて仕方がなかった。(それは意図的に?)

 劇中の「障害」はほぼ現実に存在するものばかり。「悪意」という障害は現存している。それらは人の手による人災で。流言飛語が人をも殺すことを百年経っても学ばぬ民の悲劇。

 それは巨大な悲劇だけではなく、日常に潜む、

 言葉の暴力。マイクロアグレッション。少数者への偏見。こんなの描かせたら野木亜希子さんの筆、冴えまくりやね。(いま「筆」とか言わん?)

 そして、走り出す綾野剛さんを見るたびに、彼が障害を飛び越えるその姿に、頭の中で「ジーパンのテーマ曲」が流れてきたのは私だけ?もういくら見てても惚れ惚れしてしまう。あの松田優作の姿が。(テレビの中の昭和の刑事に憧れた世代)

 星野源さんはオールナイトニッポンとは別の人で。可愛いのかかっこいいのかどっちなん?志摩さん、って感じで。陰のある、人を信じない人間が、正反対の相棒の「引力」で、どう影響を受けていくのか……っていう展開で。

 後半に好感度爆上がりの九重くんの役者さん!(水上くん!)朝ドラ『ブギウギ』の学生さんやないか!!(って途中で気付いて嬉しくなったり)




 (注意※この先、最終話のネタバレを含みます。これから見る人は読まないように!)








 最終話。現実と交わって、また分岐していったように見えたのだけど(って思って繰り返し見たんだけれど)おそらくは、当初の設定には無かった可能性のある-現実のパンデミックとオリンピックに触れるくだり。確かに、

 あの新国立競技場を前に『オリンピック、まさかなくなるとはな〜』って、伊吹が言ってるのを再度確かめて。

 この分岐した世界線では、東京オリンピック2020というイベントは、『延期』ではなく『中止』になったというふうに、やはり受け止めてしまったのだけれど。(そう思って少しニンマリしてしまったのだけれどね。だってあの時「駄目だ!五輪なんかやめてくれ!」って叫んでた群衆の中の自分もひとりだったから。招致の時の「どちらかというと反対」から、一連の大問題、不祥事の連続という前代未聞の経緯からの、世界的な新型コロナウイルス感染拡大に至ってはもう決定的に「駄目だ!頼むからやめろ!!」に変わっていったあの経緯をどうしても振り返らざるを得なかったわけで。

 いつ、どこの地点に戻るならば、あの無茶(だったと私には思えた、そのよう)なイベントを止められたのだろうか?アスリートファーストでコンパクトで予算も当初の予算内に収まって、環境にも配慮されて、日本の夏の酷暑の中でもなく、信じられない発言や問題や不祥事が起きる事もなく、そして、これほどまでの感染症の危険もない五輪であるならば、何もあんなに声を張り上げてまで、反対なんかしたくありませんでしたよ。

 現実の方が、まあまあ地獄味が強かぁないですかね。

 世界は全然平和ではなくて、殺し合いは続いていて、連日のキックバックと万博関連経費の膨張のニュース。あらゆる不条理(に思える、そん)な事態は現在進行中なわけで。(『万博、まさかなくなるとはな〜』なんて言ってみたいわけだが、どうなることやら)

 こちらの世界線にはMIU404のふたりもいないんじゃ、あまりに救いが無さ過ぎる……まあまあなdystopiaな現、

 いやいやいや、強い誰かの救いを求めたら駄目なんだよ。誰かに「押してもらう」そんな願望よりも、我こそが押す側たれ。

 どうやって?

 志摩ならそれを考える。伊吹ならば、今すぐ走り出すだろう。


 自分ならば、

 ピタゴラスの球が落ちたら、そこから考えてみる。


 


Posted by にいさん at 2023年12月16日   22:58