にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
てぃーだブログ › にいさんの しらしんけん☆ › 「しょうがない」という言葉が嫌いです。

「しょうがない」という言葉が嫌いです。







(※もし良かったら↑↓バナーをクリックしていただくと、このblog運営の支援になります。よろしくお願いいたしますm(_ _)m)





〈これは「今も変わらん思いやわ〜」というわけで、過去記事を書き直し改めて投稿いたします。〉

以前であれば、ひとつひとつの投稿なり相手の言葉に反応してしまい、相手を論破しようとしていたかもしれません。しかし、最近は あまりにも強い怒りを覚える事例が多過ぎて、そのようなふとしたコメントにいちいち反応していたら、本当に(リアルなはなし(⌒-⌒; ))自分がもたないし、心を病みかねないと思うようになりました(汗)今思うと「あの時は病んでたよな〜( ゚д゚)」と思い返す事もあります・・

しかしだからと言って、「いや、それはないんじゃないのか?」という思いもまた表明していかなければ、それはそれでこの現実に「麻痺」してしまって、そのうち何も感じなくなってしまう恐怖が洒落にならないリアルな問題として迫ってきていると感じます。

時々、身近な親しい間柄の中での会話であっても、ごめんなさいね、どうしても これだけは引いてしまう言葉があるんですよ。

それは


「仕方がないよ」


「どうせ変わらないよ」


という言葉です。

例えば 福島の事故も、沖縄への過重な基地負担も、貧困・格差の問題も、国の莫大な借金も、感染症対策の遅れや感覚のズレっぷりも・・

「全て」は今を生きる全ての大人たちが選んだ代表による話し合いによって進められ、又は見過ごされ、又は そうはさせたくはなかったが力が及ばなかった事ごとが重なった事により「今ある現実」に過ぎないのかもしれません。

事実、多くの人々が 「それは嫌だ!」という意思を表明すれば、この現実はいかようにも変わるものであり(最近ではTwitterデモというものも存在感を示しているように思います。)それはいかようにも変わる-という事は動かし難い事実だと私は今も理解しています。

しかし、一方で「どうせ動いても変わらないよ」という層が 依然この国には多く存在するという事実があると私は認識する。

この世の中に「悪」と規定出来るものは そうそう滅多に見当たらないと私は思っています。(凶悪犯罪者はともかく)どんなに許し難いと思う勢力であっても、彼らはきっと自らの行いを「正しい」と思っているはずであるはずであるし、その立場や信念を尊重しようと思いこそすれいちいちムキになって否定するつもりはありません。むしろ「自分とは甚だしく相入れないけどね」という以上でも以下でもないと思うようにしています。(と、実際そんなやり取りを最近はさせていただいてもいます(⌒-⌒; ) )

しかし、これだけは『 「悪」により近い概念』に格上げせざるを得ないものがあります。(いちいち「悪者扱い」したくはないが、甚だしく これは良くないな〜 ( ゚д゚)と言いたくなるという意味でね・・)


それは 「無関心」と「諦め」です。


これは、現実をより悪くこそすれ、より良くあろうとする力とは対極にあるものです。

そうした言葉だけは、たとえ近しい間柄でも ちょっと待てよ?と言いたくもなるし、本当に 洒落にならないレベルで悲しくなってしまうのです。(この問題は 我々が何を言ってもどうしようもないよ-などと・・)

それは、現状への追認・容認にしか なりません。

こんなふうに強く思うようになったのは、沖縄に暮らすようになったからかもしれません。

多くの人が 沖縄のこれまでの歴史について、沖縄の存在について、本土の人間が目と耳を塞いできた結果が今の沖縄に押し付けられた基地問題ではないか?さらに言うとこれは「沖縄の基地問題」などというものではなく、それは歴史の中で沖縄が本土から押し付けられ続けてきた「日本人全体の問題」だと思うわけです。まさに「沖縄差別」というものではないか?沖縄への無関心の中で強いられてきた現実なのではないか?

あの米軍属による女性暴行死事件を受けての「県民大会」で、玉城愛さんが壇上で言った言葉が今もなお耳にこびりついて離れません。

「事件の第二の加害者は、安倍総理と本土に住むあなたたちだ!」と。

これは私自身にも突き刺さる言葉でした。





自分もまた、沖縄にやって来るまでは、これほどの沖縄の現実を理解することはありませんでした。どこか遠いところで起きていることと捉えていたように思うからです。

自分も含めた多くの本土の人間が 遠いところで起きている出来事と思い現場に足を運ぶことなく、知ろうとしなかったうちに 事態は進んできていたのです。

しかし、この国の多くの人たちが 今よりも少しずつでも当事者意識を持ち、投票所に足を運ぶだけでも -その歩みのスピードは遅かったり 早かったりはあるかもしれない -しかし確実に皆の多くが納得出来る方向へと必ず近付いていくものと私は信じています。



だから、これだけは どうしても言っておきたいのです。

あなたが投票に行ってくれると、それだけでも私は嬉しい。

そして、しょうがない 仕方がない 人は、もう絶交ね(笑)











iPhoneから送信


Posted by にいさん at 2020年08月25日   07:12