にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
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すいません。私の理解とは 遠いところ にある作品でした。(高校での鑑賞会はやめて欲しかったかな)

すいません。私の理解とは 遠いところ にある作品でした。(高校での鑑賞会はやめて欲しかったかな)



 (※注)今回はネタバレなど一切気にせずに書きます。これからこの映画『遠いところ』を観ようとされている方は読まないでください。単にネタバレを含むからというだけでなく、かなり強めの「私の主観」及び「異議申し立て」に近い文章になりそうなので、どちらかというと、いつもの感想とは違い「観た人と思いをシェアし合う」為の文章になるかと思います。これからご覧になる方には、真っさらな状態でご覧になられたほうが良いと思いますが、これが映画の(チラシにもパンフにも書かれてある)宣伝文句で強調されているような【-映画、ではなく現実。】という言葉には強い違和感を持ちます-という事だけは最初に述べさせていただきます。

 そして今回、意図的に(普段は「県外の人」とか「本土の人」と書くところを)「大和」という言葉を使わせていただきます。この映画を巡る背景の、その構造を語る上では「大和」という呼称が最もしっくりくるからです。もちろん、私自身も大和人(ヤマトゥー、というかヤマトンチュ)と呼ばれる人間であると深く自覚しつつ。






 大分市のシネマ5で沖縄を舞台にした映画『遠いところ』を観てきました。

 まず最初に頭に浮かんだ感想は、


 これは「当事者の現実に寄り添った作品」などではなくて「自身の野心的アート作品に、当事者の現実を〈暴力的に〉落とし込んだもの」ではないのか?


 と、どうしても言いたくなってしまいました。

 それもドラッグ、暴力、(そして役の上では未成年の)性的な場面を盛り込んで、いかにも綺麗なアート映画的技巧を駆使して。「これが沖縄の『映画、でなく現実』であると『次の世代に残してはいけない問題がここにある』!」などと謳って?(『』内はいずれもパンフレットより)

 それを劇場公開前に、沖縄の高校で試写会やったんですって。

 ちょっと待ってくれ。

 観たから言うけど。それは、ちょっと賛成出来ないぞ。(高校生が自ら観に行くならわかるよ。そうじゃなくて、作った側の、大和から来た大人が、撮られた地元の主人公アオイと同じ世代の高校生達に観せたいからって、わざわざ学校現場でこの映画見せちゃったの!?)単にPG12指定だから年齢的にクリアとかそういう話しじゃなくて、昔言われたような「不良の姿」が悪い影響を与えるとかいう話しでもなくて……あの暴力場面は、映画が好きでよく観てるはずの大人の自分でも、正直辛かった。しかもかなりきついDVだよ?ドラッグの場面なんか、映画の謳い文句に倣えばそれも「あなた達の現実です」って、ほぼ全裸のSEXシーンと一緒に学校現場であれを見せたん?って、ちょっと私には(高校での鑑賞会のエピソードはあまりに)衝撃でしたよ。

 もしかしたら、家族の中で、友達や、或いは自分自身がそういう被害に遭われた高校生がいたとしたら、って、その可能性を想像しただけで(ほんと、自分も敏感過ぎて、そこはごめんなさいね。考え過ぎだったらごめんなさいね)吐気を催してしまって。

 序盤の大和(ヤマトゥ)の観光客だかの男達のキャバクラでの会話も、あたかも沖縄は風俗の天国的なイメージで語る奴が昔いて、「そういうイメージ付けは私は良い気持ちがしない」と伝えた記憶が蘇ってきたり。そもそも「青い海と女の子を求める大和の男たちの存在」を自分は知っていますよ。(昨年会ったゲスい先輩に言わせると、沖縄だったりフィリピンだったりするらしい。本気でドン引きして、そういうミソジニーな感覚が我慢出来ずに最後は大喧嘩になってしまいましたが ハンセイ)昔、親しい異性の友人が、それもひとりじゃなくだよ?地元の某LIVEに集まったファンの女の子達を、大和から来たスポンサーだかなんだかの立場ある男が、物色しては家に連れ込んで-って事件が身近で起きて、友人と数人がかりで誘われた友人を説得し-なんて事もありましたよ。

 大和から来た男が沖縄の女性に迷惑をかけるのはやめろ-という怒りの感情がまた蘇ってくる作品だったのです。この事についてはまた後で触れます。

 それが、ここではまるで、「沖縄の中に問題が在り」「そこで問題が完結している」かの如く見えるそんな作品を大和の監督とプロデューサーが撮るという違和感が、半端なし。

 その大和から来た人間が「沖縄で大変な現実を生きる若い女性たちの姿」を、沖縄の人たちからクラファンで集めたお金で(沖縄の人たちから集めたお金でですよ)主人公である未成年の女性が酷い暴力を振るわれて顔が腫れあがる様を「これが現実」だ-などと強調されながら見せつけられるというのは、長く沖縄で暮らした者のひとりとしては、違和感を通り越して、眩暈がしてきました。繰り返されるそんな暴力とSEXにドラッグが加わるわけです。ドラッグ?そりゃ、印象強く残っちゃいますよね。(過去に沖縄において、薬物依存からの脱却を目指して活動されておられる当事者の方ともご一緒した事もありましたが、あの「彼ら」が見たら、どんなふうに「その提示された現実とやら」を受け取るだろうか。

 これなんか全部、沖縄だけで起きてる問題か?

 って、何度もスクリーンに突っ込み入れたくなりましたよ。

 また、同僚で親友の女性が亡くなってしまう場面。あれは「取材中、実際にあったエピソードを基に」しているらしいけれど。主人公に近い境遇の人たち(や「現実の彼女たち」を支援している人たちにも)それも見せられますか?っていう事も、そこもどうしても思いました。多分ですけど、監督が『貪るように読んだ』というノンフィクションの何冊かは私も読んでいると思われます。あそこで登場していた「彼女たち」は今も生きていて、未来を向いている事を聞き及んでもいます。重なる境遇の友人や先輩もいます。あの人やあの人が、この映画を観たら?っていうふうに想像してしまう事が(そこで暮らし、その地を好きになってしまった人間のひとりとしては)無理からぬところとご容赦ください。

 又、これは、ちょっと実際はどうだったのか分かりかねるのですが、あの暴力シーンと特に裸でのSEXシーンについては、役者さんの撮影当時の実年齢も考え合わせて(それって拒否出来る状況やったん?って)俳優と監督との合意は問題なかったのかな?というところも見ていて引っ掛かりました。パンフの監督インタビューを読んでて(主演の花瀬さんは)『僕のことは憎んでると思いますが』って部分が-撮影全体の事について語っているので、別に性描写に限った話しの流れではないのですが-ほんと笑えなくて。あの場面、若い彼女自身は大丈夫やったんか?大丈夫だったとしても、ちょっと心配になるレベルに思えてならなくて……

 繰り返し申し訳ありませんが、それを高校で上映会までやって観せるかな?

 それから、先に触れた「大和が来たりてやり散らかす話し」に戻りますが、パンフレットにはこうあります『沖縄は、一人あたりの県民所得が全国で最下位。子ども(17歳以下)の相対的貧困率は28.9%であり、非正規労働者の割合やひとり親世帯(母子・父子世帯)の比率でも全国1位(2022年5月公表「沖縄子ども調査」)。さらに若年層(19歳以下)の出生率でも全国1位となっているように、窮状は若年層に及んでいる。 -映画、ではなく現実。』とパンフの頭に書かれてあるのです。これもちょっと待って欲しい。あまりにも、沖縄を巡る歴史的な背景がスッポリと欠落していてこれまた眩暈が…。

 そもそも、戦時中には大和・本土の「捨て石」とされた沖縄は、地獄の地上戦を強いられ(大和によって強いられて)県民の4人にひとりが犠牲になり、郷土の島は鉄の暴風によって見るも無残な惨状となりました。戦後は、大和が高度経済成長を謳歌していたその時代に、沖縄は日本本土とは切り離されて、米軍政下、戦後の荒れ果てた故郷において「銃剣とブルドーザー」によって、また更なる土地の強奪に遭いながら、多くの軍絡みの痛ましい事件事故に見舞われながら、そんな理不尽な歴史を生き抜いて、施政権が大和(日本)に移った今もなお、フェンスに囲まれて、爆音の消えない現実を強いられている-という歴史的な背景及び現実が、スッポリと省略されているのです。フェンスは映れども「問題は常に沖縄自身に」あるのですか?大和が散々沖縄に対して負担・迷惑をかけ続けている光景はなんなのでしょうか。(その中で垣間見える植民地的意識というか「傲慢さ」を感じ取らずにはいられないのは、私の考え過ぎでしょうか?)

 もう、突如現れる辺野古のテント村そばの漁港の場面とか?(私にとってとても大切な場所です)あれ、辺野古じゃないとまずい必然性あったか?とか、コザの街のリアリティは確かにあったし不自然ではない「街の物語」が続いていたのにいきなり辺野古や浜比嘉の景色がそこだけ?映されるのは?とかとか、玉城デニー知事のコメントが実に皮肉に響く場面なども(それも沖縄の大人が空々しい事を言っている姿みたいに響いてきたり?大和の関わり、歴史的経緯はまったく触れずにおいて?)気になり始めると言いたくなるところはいくつもいくつもあるのだけれど。

 さすがに締めに入りますけどね。これらの事を地元沖縄の人が撮ったのならば、まだ話しはわかる所もあるのかもしれない。でも、これほとんど、大和から来た大人が「-映画、ではなく現実。」などと分かったふうな上から目線とも取れる姿勢で描いた映画なのです。それも、どちらかというと(沖縄以上に?)自身の母への思いを込めて作られたというからには、沖縄の問題というよりも監督の個人的思いが底辺にある「個人的物語」なのでは??と思うと余計に益々モヤっとしてくるというか 。

 それはちょっと、乱暴が過ぎるのではないかなぁ。

 ま、私だけがそう思ったのなら、地元の多くの人たちに支持されているのならば、まあ、これ以上は言いませんけどね。

 すいません。久しぶりに、映画を観て、しんけんに興奮して、怒ってしまいました。主演のアオイさんの体当たりの熱演と地元の言葉の習得は、とても東京出身というのを聞いて驚くレベルで見事でした。画面のリアリティある演出も随所に見事な所もだっただけに(だから余計に?「沖縄を消費する」とかいう表現は普段はあまり使わないし好きじゃないんだけれど)沖縄への理解という点で、私には受け入れられないところのある映画でした。


 


Posted by にいさん at 2023年08月14日   21:50