にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
てぃーだブログ › にいさんの しらしんけん☆

映画『ゴジラvsコング 新たなる帝国』





 具体的な展開におけるネタバレには気をつけますが、いくつか込み入ったドラマ部分には触れます。これから真っさらな状態でご覧になりたい方は読まないことをお勧めします。



 ストーリー上、人間サイドの主人公はアイリーンという事になるのだろうけれど、

 私にとって、これは「ジアの物語」でした。

 そして、ジアと、もうひとり、共感のようなものを感じたのが、バーニーかな。



 人間の世界は意外と生きづらいわけで。ここは自分の居る場所じゃない、誰も私の事を理解出来ない。私の故郷はここじゃない。そばに愛情が無いわけじゃないんだけれど、うまく噛み合わないこの思い?母もまた悩ましいわけで。親の気持ちは、まだ経験した事がないからうまく言えないけれど。


 怪獣や神秘が大好きなまま大人になると必ずや浴びる洗礼?「まだ怪獣なんて」「信じられない」などと言われるのなら、まだましな方で、多くの場合、無視されて、居ないことにされて。しかしそれでもなお何かに夢中になって生きている人間というのは、尊い。


 そんな人たちを「世界」と繋げてくれたのは、大怪獣や神秘的な世界。(マニアックとかオタクとか色んな呼び名で処理されてきたような)そのような生きづらさの救いこそがコングでありゴジラであり。では、モナークは……意外と大人な社会だったりして。むしろこちらを邪魔者扱いですか。しかし、現実的で余裕の無い大人は、神秘の前では真っ先に犠牲になるのだ。(それは映画の世界のお約束だ。悪く思うな)

 現実が難しい人間には神秘の世界は寛容なのだ(多分)。

 神秘と心通わせる人、それを信じる人が大人になれない社会というのは、窮屈な世界だと改めて思う。

 (我々観客にとって、映画というのは、時にはちょっとした冒険であり、ちょっとした神秘であると思いつつ。そんな…)

 冒険を共にした最後に、

 ジアがアイリーンに対して「あなたが私の故郷」だと言った時に、思わず涙が出ちゃって。まさか、泣かされるとは思わなかったから。

 異なる世界を結びつける力を持つ者に、おそらくは誰しもがなり得るはずで。自らが繋げる者であったり、又は、その力を理解する者。存在を信じる者。

 これは、他者と結び付く物語で。そして、人間も怪獣も、居場所(故郷)を見つける物語だった。



 うん。モンスター・バースは、ひとまず落ち着く場所に落ち着いたという事で、良いんじゃないかな。





 (ゴジラとコング。そして新たな強敵とのモンスターバトルや映像表現については、またいつか改めて別の機会にでも)

   


Posted by にいさん at 2024年05月04日 20:43

『成瀬は天下を取りにいく』






 西武大津店と、その店舗を愛した人たちへ敬意を捧ぐ。

 (ネタバレは出来るだけしないように気をつけます)

 地方都市のシンボルが失われてしまうというのは、おおごとです。ちょっとした大イベントですよ。東京のような大都市に住んでいた頃は、「それ級」のお店がバンバン消えてはまた現れて、って感じで目まぐるしく景色が移り変わってって麻痺しちゃいそうになっていましたが、日本全国多くの地方都市は、そうではない。シンボルと呼べるような、でかいお店がひとつでもあれば上等なもの。(ここ数十年で、そうしたシンボルは街からどんどん消えて、郊外のイオンが増えてくるという景色を随分と見せられてきたような。別にイオンをdisるわけじゃないけどね)

 滋賀県大津市には西武があったのか。

 44年間のご愛顧、誠にありがとうございました

 「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」

 成瀬あかり氏が取った行動とは……


 大津市。琵琶湖。中学校の修学旅行で行ったな〜。(今はどうだろう。当時80年代、別府市の中学校の修学旅行は京都と奈良メインのちょっぴり滋賀県みたいな関西ツアーでした)

 1泊目の宿泊がね。大津市だったんですよ。ミシガンにも乗らんかったし、琵琶湖は一応湖畔近くのホテルやったから見たは見たんですけどね〜、何故か大津では宿に泊まっただけで、観光は大してしなかった気がします。

 いま、滋賀県のイメージといえば、琵琶湖とイナズマロックフェスと西川貴教さん。くらいな不勉強な私でございましたが、今は違う。

 以上の3つに加えて、成瀬あかり氏と西武大津店が堂々加わりましたよ(=゚ω゚)ノ!

 西武大津店については「地元の人たちの思い出の中の」っていう感じかもしれませんが。

 成瀬氏の行動には最初から最後まで胸をつかれっぱなし。

 彼女の姿に、友人のみか地域の人たち、思いもよらない人たちが影響を受けていくという展開がめちゃくちゃ良いですね。

 こんなことあるんだな

 割と無表情な顔を連想させる成瀬氏だが、たまにウルっとしてみせるのは、物事を深く味わって受け止めている証であろうか。起きている事の意味をしっかりと分析して咀嚼するリズム感は、それは中にはリズムを合わせ難い人たちもいるかもしれないし、時には心ない言葉を「周りの空気に合わせた人たち」からかけられる事もあるのだろう。

 しかし、成瀬氏にはびくともしない。場合によってはイジメ未遂犯をビビらせ退散させるくらいに。彼女は強い。太い。強靭な。そんななにかを身につけているらしい。

 彼女は己のペースを持ち、賢くて、強い。そして相方の島崎さんはというと、最高の相棒ですね。島崎さんのような人がいてくれると世の中がしっかりと回るような気がします。中には人の個性を嘲笑したり冷めた目で見たり居ないものとして扱うような人もいる中で、島崎さんは相手の個性を楽しみつつ肯定する。巻き込まれながらも結局全力で乗っかっていくの姿が良いですね。

 それから、元々は短編の別作品での登場人物だった?『階段は走らない』のふたりも良かったな。こちらは世代的にも、とても身につまされつつ。そんな宮島未奈ユニバースのキャラクターたちが最後は互いに影響を与え合って?

 いや、書くのはこれくらいにして。あとは、読んで下さいな。

 2024年本屋大賞受賞おめでとうございます!

 リアルに天下取っちゃったね(笑)

 ってわけで、いま、どこの書店でも目立つ棚に置いていますよ。

  


Posted by にいさん at 2024年05月02日 21:27

第24回沖縄式読書会開催いたしました!






 昨日、4月28日(日曜日)別府市やよい銀天街のyoiyaさんにて、第24回目となります『沖縄式読書会』を開催致しました。

 今回は久しぶりに最大人数の6人の参加者の皆さんで盛り上がりました。(初参加の方もおひとり!嬉しいですね)

 そんな最大人数の今回集まった本はこんなタイトルでした。

 会田誠「げいさい」(現代美術家である著者による小説。会田誠さんって小説もお書きになるのですね!恥ずかしながら知りませんでした。美大での芸祭〈美大における学園祭のような?〉の記憶を克明に振り返る自伝的作品であり、アーティスト会田誠誕生前夜の物語)

 村上龍「あの金で何を買えたか」(ベストセラー作家である著者は小説だけでなく経済の話しも多いですよねー、なんて会話も盛り上がりつつ。本書が書かれた1999年当時、国民の賛否渦巻く中、大銀行への莫大な税金投入が行われました。この金額があれば、こんな事にも使えたはずだ-という話し。最近も(というか今まさに?)こんな会話が行われていたような)

 三代目魚武濱田成夫「うみとおれのお話」(著者の名前は「さんだいめうおたけはまだしげお」さん。海ってかっこいい!?海は何も特別な地位も名誉があるわけでなく、ただ、そこにデンと存在してくれている。多感な年代の子どもたちに届けたいとの著者の気持ちが詰まった一冊)

 渡辺京二「なぜいま人類史か」(外国の人たちが見た幕末の日本が面白い!?幕末の日本の農村はとても豊かで、そこに生きる人たちが笑顔で生活している事にとても驚いたという当時のヨーロッパの人たちの証言。これが、これから西洋の文明や考え方が入ってきた時に、もしかしたらこの景色は失われてしまうのではないか?という危惧を覚えたという話しも興味深い一冊です)

 和田秀樹「60歳から脳を鍛える」(著者によれば、年齢を重ねても、脳を鍛えると若返るのだそう。前頭葉に刺激を与える効果について。高齢になった時に恐いのは、認知症よりも鬱になる事。そして、多くの富や地位を遺すよりも、人間らしい幸せな人生をと、終末期の現場での経験も交えたお話しでした)

 美輪明宏「愛の話 幸福の話」(ギャンブルに走る人は文化がない?口から入れるものには気をつける。腹6部で付き合うことの重要性。「無事に生きる」には。美輪さんが言うとひとつひとつに説得力が……)

 加藤悦子「オリヒメ 吉藤オリィ」(人と人をつなぐ分身ロボットのお話し。それは、まるで子どもの頃に夢見た未来の姿のようで。ロボットカフェ?遠くに暮らす寝たきりの人も遠隔操作で東京のカフェでロボットによる接客を!?凄いな。本当に夢のあるお話しです)

 「戦雲いくさふむ」(いま地元の別府ブルーバード劇場で上映中の、三上智恵監督によるドキュメンタリー映画のパンフレットです。これは是非劇場でご覧になって欲しい。知って欲しい、現在進行中の現実です)

 新城和博「来年の今ごろは」(ぼくの沖縄〈お出かけ〉歳時記-とある通り、沖縄での〈お出かけ〉を通して見えてくる沖縄の季節、季節の姿。ここではちょうどコロナ禍における沖縄の移り変わる姿を鮮やかに捉えた、まさに歴史的な生活の記録だと私は思いました)


 さあ、そして今回6人の参加者の皆さんがご用意してくれたプレゼント本はこちら!


 横田真由子「本当に必要なことはすべて『ひとりの時間』が教えてくれる」(かつて有名ブランドにて、VIPのお客様方を担当していたという著者。本当のセレブはGUCCIの品物を買わない?日本人には海外ブランドは似合わない?本当のお金持ちの姿とは )

 「油屋熊八と別府」(MOOK本でこういうものが出版されているのですね。地元・別府市の偉人。別府観光の父。油屋熊八さんの功績とその魅力について深掘りした一冊のようです)

 石原慎太郎「弟」(ズバリ石原裕次郎について、兄が書いた私小説。弟の方については私の家族も揃って大の裕次郎ファンでございました。間近で見た裕次郎の記憶について)

 さくらももこ「もものかんづめ」(ご存知「ちびまる子ちゃん」の作者さくらももこさん。選者さんによりますと、何年も前に買って大事にしていた本が、本屋さんに立ち寄ると、なんと文庫になって発売しているではありませんか!というわけで驚きつつもプレゼント本として購入して下さった素敵なエッセイとの事でした)

 宮部みゆき、北村薫 編「とっておき名短編」(以前、宮部みゆきさんが選んだ松本清張傑作短編集が凄く面白くて、それを探して下さったとの事ですが、そちらは無かった代わりに、こちらも面白そうだぞ!?と選んで下さいました。ベストセラー作家ふたりが選んだこだわりの短編集です)

 大岡昇平「野火」(映画化もされた名作中の名作ですね。作者自身の戦争体験をもとにした極限における人間の姿。戦争というものの実態。禍々しさ。悲惨という言葉じゃ形容しきれない現実について。塚本晋也監督の映画作品を思い出しました)

 平野(野元)美佐「沖縄のもあい大研究」(この読書会の元ともなった沖縄の風習〈模合〉もあいについて、ここまでその実像に迫った本を他に知りません。とにかく面白くてたまらなかった一冊。今回主催者からのプレゼント本に選ばせていただきました。沖縄の模合は実に多様で奥が深い。私は本による〈本模合〉の魅力にはまり、それを基にしたこの沖縄式読書会を別府市で始めました)

 今回もまた、本を語り合う喜び溢れる読書会でした。参加者の皆様、誠にありがとうございました!

 

   


Posted by にいさん at 2024年04月29日 21:03

映画『戦雲 いくさふむ』を別府ブルーバード劇場で。




 今日、4月28日は、うるま市で元海兵隊の米軍属男性による女性殺害事件が起きてから8年の日。忘れもしない、沖縄中が悲しみに包まれたあの時の空気。県民集会における「本土の人間」に向けられた訴えの言葉も。沖縄で、戦後幾たび繰り返されなきゃならないというのか。

 沖縄へ集中する理不尽への(このようなことが繰り返されてきた歴史的経緯への)感情が湧き上がったあの日。あれから8年が経ったこの日に、地元の別府市で、映画『戦雲』を観ました。




 (以下、ドキュメンタリーなので特にネタバレ等は気にせずに書いてまいります)




 これまで、辺野古や高江の現場をはじめ沖縄で進む新たな米軍基地建設の〈現実〉と住民たちの姿を追った『標的の村』『戦場の止み』『標的の島』の三部作。そして沖縄戦での(特に本島北部で繰り広げられた旧日本軍による悍ましき)工作員による諜報活動を追った『沖縄スパイ戦史』を手掛けた三上智恵監督のドキュメンタリー最新作がこの『戦雲』(いくさふむ)です。

 沖縄本島のみならず、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島でも今まさに進行している新たな自衛隊基地の建設、防衛の名の下に進む(要塞化!?)施設の増強。それはあまりに急速に進行していき、次から次へと出てくる

 そんな話し聞いてませんけど?

 という住民からの怒りと戸惑いの声、声、声、

 地元に出来た自衛隊施設から聞こえてくる銃声が夜も止まない?(無理だ、それ、その環境。地元でも時々否応なく聞かされるけど、これ、近過ぎだろ )

 いやいやいや、これ、いくらなんでも受け入れられないでしょ。

 それから。地元住民の了解も得ていない事を首長が強権発動しちゃっていいんですか?

 ミサイル訓練?

 地震や台風などの天災を想定した訓練ならわかります。が(税金使って)恐怖を煽りながら実際問題蓋然性が高いとは思えない、例えば北朝鮮のロケットがこの島にピンポイントで着弾することを想定しての訓練とか??それを撃ち落とすミサイルを撃つだとか???(それ、出来るん?って言われてる技術で、凄いお金がかかって、って言われてるやつ)派手にサイレンやら物々しい迷彩服の自衛隊員やらが動員されて島の危機を煽ってるように見えるあんたらの方がよっぽど恐いよ。しかも全島避難のシナリオを声高に説明されるとか。(その説明に自然災害である三宅島噴火を例に出される事への疑問、不信を口にされていらした住民の方の声、まったくその疑問「それな!」ですよね)

 台湾から最も近い与那国島は歴史的にも台湾とも交流を重ねてきた歴史があったのが、日本に「復帰」してからはそれが断たれたという証言もありましたね。近隣の国から見れば、目の前でミサイル基地の建設だとか弾薬庫だとか物々しい自衛隊基地の大規模化が進む姿がどう映るか?「防衛」の名の下に一触即発の緊張感が増してやしないか。そうではなくて、東アジアで戦争など起こし得ない環境を作り出すことこそが本来の政治のあるべき姿ではないのか?過去、今よりもっと緊張に包まれていたはずのアジア太平洋地域の国々で、ASEANの枠組みによって対話を重ねながら平和の枠組み作りが進みつつある国際的な流れとは真逆の「緊張と恐怖よる〈防衛政策〉」に思えてなりません。(リアルな国際情勢よりも「アメリカ様の意向こそが全て」ってなってない?)更には、それを何故、毎度沖縄の人たちばかりに押し付けられねばならないのか?

 石垣島では市の住民投票条例の要件をはるかに超える署名が集まり、若者中心による住民投票を求める運動が島全体で盛り上がりました。それを、議会が否決した上に市の自治基本条例から住民投票の条文を削除するとか、酷くないか。議員が選挙で選ばれるのは白紙委任を意味するものではないぞ。住民投票を求める人たちは、新たなミサイル基地に反対の人ばかりではなかった。むしろ、自衛隊の誘致に賛成をしたという人たちの姿も映されていましたが、それが、領海の外まで、国の外に攻撃をするなんて話しは聴いていませんよ!?という住民の方の声はもっともだと思います。

 次から次へと後出しジャンケンのように「聞いてない話し」が出てきては前に進んでいく。自衛隊誘致に賛成の人たちの不信も高まっていく現状が(最初から反対の声は聞こえてきていたけれど、こうしてドキュメンタリーとして、多様な立場の人たちの声を改めて深く聞いてみたら、益々酷い話しだな……)

 いくら、カメラに映る自衛官の方個人が良い人たちであっても(それはそれで複雑な心境にはなれども)自衛隊という組織やその向こうにいる政府、地元を含めた与党の政治家たちへの不信感たるや。自衛官の方の中には地元の社会に入って信頼関係を築いておられる方がいることも伝わってきたし、その家族の姿も目に焼きついてはきたけれど(信頼関係を築いても2年でいなくなるのね…とか)門の前で迷彩服着て手に持ってるそれは何ね?その銃は一体誰に向いてるの?沖縄県民がかつて戦争で体験した事知っててその格好でそんなもん持ってるわけ?

 そんな、気持ちが沸騰する中で救いになるのは、地元住民の(主要キャストと呼ぶべき?)人たちの姿。はっきりと反対の言葉を諦めずにあげ続け、祈りのように歌い続け、川田のおじぃのカジキとの対決には手に汗握り、笑いまで届けてくれる。(そして、最初あれだけ自衛隊配備に対しても肯定的に話していた川田さんが……)

 三上智恵監督がカメラに捉える住民の人たちの姿には、いつも胸をつかまれます。これを遠くで起きている誰かのセイジのもんだいなんかじゃなく、はっきりと顔が見えるこの人たちがこんな思いを強いられているという事を突き付けられるのです。その「強いて」いるのは誰か?「あんぜんほしょうはおきなわにまかせておけば?」なんて遠くで言ってる人間に残念ながら何度か対面した事があります。そんな「あのひと」と、現実を止められていない「私」について、考えを巡らせずにはおれない映画です。


 映画『戦雲』は、別府市の別府ブルーバード劇場では1週間限定の上映のようです。5月2日まで。時間は朝10時30分から12時45分まで。ご覧になれる方はこれは是非観て欲しい作品なので、よろしくお願いいたします。(別府市ゆかりのあの元大臣も、残念ながら、という感じか。ま、そこも是非観てください)

   


Posted by にいさん at 2024年04月28日 21:44

新城和博『来年の今ごろは』(ナマやさ!)





 先月の沖縄旅にて購入したうちの一冊。新城和博さんの『来年の今ごろは ぼくの沖縄〈お出かけ〉歳時記』を読みました。


 来年の今頃は……と著者は書き、今じゃん!?と我気づく

 本書が出版されたのは、ほぼ1年前でありますが、ここに書かれてある情景は、まさに私が沖縄を離れてからの数年間と、コロナ禍に突入し、今日(去年の今)に至るまでの沖縄でした。

 先月久しぶりに沖縄を訪れた時には、もはや自分が暮らしていた頃の沖縄の景色が(あちこちで)変わっていた。その「変わりゆく景色」を克明に、その最後の時間をも記憶に(言葉に)遺してくれた著者。

 農連市場にしろ、牧志の公設市場にしろ、所謂「古き良き景観」がなくなってしまう時、それが新しいものにとって変わって?しまう時(私自身もそこはウチアタイしつつ)どうしてもネガティブな声があがってくる事があります。気持ちわかるところあるし、自分も過去に色々言ってた気がするし、思うところも無いわけではないけれども、でもでも、そこには今も暮らす地元の人がいるわけで。何よりそこで生きてる地元の人の生活が一番やん?って今では思うようになってきたのだけれど。その変わりゆく「今の沖縄」(主に那覇)について、著者は興味深く観察を重ねていくのであります。そこが、とにかく新鮮でたまりませんでした。

 その路地を抜けると(まるで私が今暮らす別府市の景色とも重なり合いながら!)異国、台南のすーじ小に行き着いて?そこを過ぎるとまた那覇市の小径に抜け出てきたような。読み手を心地好く迷子にさせるというか。旅先で道に迷う楽しさというか(迷う恐さ、以上に楽しさが?)いかん、また旅に出たくなってしまう。


 そんな、一冊丸ごと絶えず歩き回っていた著者が、コロナ禍によって遠くへお出かけ出来なくなってしまう。それでもなお、近場の景色を焼き付けていくのです。そうか(自分もあれは見て感動した事があった)首里の旗頭行列の中止が続いていた事。那覇の大綱挽での出来事。やっぱり気になる市場の今。断層。暗渠。隠れていた橋!?土地の歴史。。。これは、ブラシンジョーさんですね。

 この一冊も、たまんないっすわ。

 沖縄好きの友人、知人には絶対的に薦めたい一冊。

 是非読んでみてくださいね。




 追伸。新城さんの遠い御親戚の話し、まじでびっくりして、読みながら「エッ!」って声が出ましたよ(笑)

 
  


Posted by にいさん at 2024年04月24日 21:02

米津玄師のMVを見 独りつぶやき




https://haruniy.ti-da.net/e12711541.html

↑朝ドラ『虎に翼』への話し。


 (詳しくは、米津玄師『さよーならまたいつか!』MVで検索してみてください)



 MV撮影場所は浦添市牧港のエンダー(A&W )。沖縄では皆が知るファーストフードチェーン。地元県民にとっては親しみのある景色なわけで。店内で暴徒の様に振る舞うアメリカァーたち。え、アメリカァー呼ばわりは失礼か。いやいや、街に出て酔っ払って暴れたり他人の家に上がり込んだり暴力を振るう様な奴は米兵さんだろうがその他の軍属さんだろうがアメリカァーはアメリカァーなんだよ。それをはるか遠い場所から素知らぬ顔で通り過ぎたり、他人事として「したり顔」をして「触って」くる奴らは、それはクサレナイチャーやさ。

 警察は非常線は張るが手出し出来ぬとは、既視感が湧いてくるというか。暴れ回る奴らは、あの金網を超えたら最後、お巡りさんでも逮捕出来ませーん。日本のお巡りさん、あいつらを捕まえないのか。市民には規制を張るくせに。力あるものには逆らえないのですか。

 100年も経っていない。半世紀はとっくに過ぎた。あそこに金網が張られた時。ここに日本の司法は及ばなかった。法で裁けぬ領域などあっていいのか。

 性差による力の傾斜と、住む場所によるそれと……

 時代が移りゆき、尚も在る地獄の先に春を望む。

 世界に歌を捧げる者は、彼らの目には見えていないかのように、情景を映し出しながら歌を口ずさむのだ。彼は100年前の東京から、現在の沖縄へ?逆境に立たされる者の耳に捧げる、それは祈りのような。


 100年先も、このままで良いのか。


 独り正気にかえる遠い場所にて。


 それは私自身に向けられた白昼夢のように。
  


Posted by にいさん at 2024年04月13日 19:22

縄噛みちぎり、狙い定め、どこまでもいけ。(朝ドラ『虎に翼』100年先のTVにて出会い )




 100年経ってこれか、とよねが云い、いや正確には95年ばかりと寅子が応えるや、そんな事はわかっているとよねが被せ。

 頭の中で、ふたりのそんな会話が交わされているようで。


 人間の権利は法によって定められているが、それを悪用濫用することがあってはならない


 その手に取り戻せしは形見の着物。

 ささやかな勝利ひとつ。何故これほどまでに、あの人に負担を強いねばならぬのか。男性が異常に力を持つ社会。女性が「無能力者」などと定義付けられる社会。男性が男性であるというだけで、学ぶ女性に好奇の視線を向ける男性たち。

 寅子(ともこ)と数秒すれ違う少女の思い詰めた表情。彼女の姿がその後描かれる事は決して、ない。けれどもその姿の向こう側に見えてくる物語がちゃんと感じられて。(このドラマには、モブキャラがいない)

 出て行くよねを寅子が追いかけていく場面。皆が驚く顔を浮かべる間に飛び出していく。何故か、それは寅子にも説明は出来ないかもしれない、けれども、説明している場合ではない、よねを追いかけないという選択は寅子にはなかった。寅子の切実さが100年先の時を超え、性別までも超えて、頭の中に入り込んでくる。

 こんな滾る朝ドラいままであったか。

 100年先の地獄の先の春に、なんとかしてみろと、よねは苛立ち。

 この地獄の作り手は男(わたし)だ。


 
  


Posted by にいさん at 2024年04月12日 21:14

映画『沖縄狂想曲』も別府ブルーバード劇場で上映中!




 こちらもドキュメンタリーの為、ネタバレ等気にせずの感想です。是非全国の多くの人に観て欲しい作品です。よろしくお願いします。


 日本の法の上にある日米地位協定?

 時には総理をも無視して進められる日米合同委員会とは?(そこに加わる日本の官僚は一体誰に仕え、誰の為に仕事をしているのか?ああ、そうかい、あめりかーさんかぃ)

 そして、まるで無関心のナイチャーの声が(声優さんの声で〈その生々しさは〉多少マイルドにはなっていたけど、それでもやはり)どうしても吐き気をもよおしてしまうのです。

 「沖縄といえば青い海と青い空」「基地問題?」「よくわかんないけど」「沖縄に基地があるのは仕方ないんじゃない?」「やっぱり沖縄といえばリゾートだよね」

 それらの声は、自分には「暴力」そのものだった。悪意の無い、無自覚な踏み付け。

 どうやったら基地の返還が叶いますか

 それはそちらの国の問題です

 むしろ「押し付けている」のは日本政府の方ではないのか?

 出来る保障もない軟弱地盤の上での無理筋な基地建設。(元々計画を立てて、その莫大な予算規模に断念していたアメリカからすれば「欲しかった場所の基地がタダで日本政府が作ってくれる」そんなアメリカとゼネコンには美味しい話しなのか?)ゼネコンには途方もない額の我々の税金が投入されて……県の試算では億では済まないという。その数兆円もの規模の税金を、出来るかどうかも怪しい新基地建設費としてゼネコンを儲けさせる。県民は何度も(知事選で、国政選挙で)民意を示してきたし今も座り込みを続けている、更には県民投票までやって意思表明を行ったんだぞ。あの県民投票ひとつ、どれだけ痛みの伴う議論を経たことか、思い返すだけでも苦しくなってしまうのに。

 巫山戯るな。

 死亡事故を起こしたばかりの(これまでも死亡事故を繰り返してきた)危険な輸送機が、もう市街地の上を飛んでいる。自分が暮らした那覇市の自宅の真上も飛行していたあいつ。

 日本の航空法はまるで顧みられない現実を知って欲しい。

 沖縄国際大学でのヘリ墜落事故とその直後に起きた信じ難い出来事について、前泊教授の話しに耳を傾けて欲しい。

 『ドキュメンタリー沖縄戦』で、沖縄戦について迫った太田隆文監督が、戦後の「銃剣とブルドーザー」による暴力を伴う住民排除による基地建設から、今日に至るまでの「沖縄に押し付けられる理不尽」を映し出した今作も是非ご覧になって欲しいです。

 他人事にしてはいけない。日本に生きる全ての人が「じぶんごと」とした時に、現実は動くと信じつつ。

 
  


Posted by にいさん at 2024年04月08日 10:16

映画『◯月◯日、区長になる女。』別府ブルーバード劇場で観ました。





 別府市のブルーバード劇場で『◯月◯日、区長になる女。』を観ました。ドキュメンタリーなので、ネタバレ等気にせずに書きますが、真っさらな状態でご覧になりたい人は読まない事をお勧めいたします。そして選挙に関わりを持つ全ての人たち、市民による草の根の活動に携わってる皆さん、そういうのがちょっと苦手な皆さんにも(あと、キョンキョンが好きな皆様も(=゚ω゚)♪)観て欲しい作品です。今、別府ブルーバード劇場で上映していますので、是非是非ご覧になってください。

 
 「戦に勝ったのは、あの百姓たちだ」


 観終わった後、私の頭の中で志村喬のあの台詞がグルグル回っている。(『七人の侍』より)

 
 これでも、「選挙現場の片隅で証紙を貼る」人間のひとりとして、やたら既視感ありありな景色が続いていくのですが、違うのは(番狂せとも言いたくなる)短期間での逆転劇と、見た事がないような「政治家っぽくない」候補者の姿か。でも直前まで続く候補者岸本さんの葛藤にもカメラは向けられるのですが、これがいちいち「どこかで聞いた会話だな〜」という思いが強くて苦しくなるやら苦笑いしてしてしまうやら?な私でした。

 候補者にこのようなストレスを与えてはいけない。というのもよくある会話だけれども、要求をぶつける人の存在って本当に重要だと私は常々思っています。そこに生きる人たちの要求あってこその政策じゃないと、それこそ(公の-と言いながら)「候補者の能力による自己実現」にも反転しかねないという危うさも自分は感じたかな。それこそ、岸本さんと、あの高齢のパワフルな支援者さんとが交わしていた会話の通り「お互いの腹を割って話し」を重ねていく事こそが最善の「より良き道」だと思ったし、観ながらこちらも改めて考えさせられる思いがした場面でした(常に起こり得る支援する側と候補者との意思の疎通の問題。集団の論議のあり方の問題)。

 いや、でも腹を割って話しをするって、そんなひと言で言っちゃえる程簡単じゃないですよね。候補者に限らず、あらゆる現場で、選対のあらゆる立場の人とのコミュニケーションがうまくいかずに離れていく人の姿。事件?の数々が頭の中に蘇ってきましたよ。あそこの局面で、真正面から議論を返す岸本聡子さんの姿勢は(揚げ足を取るでもなく、ましてや論破するでもなく、まずその厳しい声をしっかり聴いた上で、その上で自分の考えを率直に伝える。結果、共に対話を続けていこう-となっていく。決裂はしない。根本では離れていない事を確かめ合いつつ)なかなか、ああいうふうには出来ないものだと、正直ハラハラしつつも、感服させられるのであります。

 しかし、この短期間の間に、これだけの体制を作り上げてムーブメントを起こした杉並区の住民の人たちは凄い。正直、岸本聡子さん個人への(あの初登庁の際のカッコ良い姿とか。これまでにない凄い人がきた-という側面からの?)光の当て方が強いのも気になってて、その向こう側にいるはずの住民の人たちの姿まではよくわからなかったのですが、この映画を観て、まさにそこに暮らす人たちの長く積み重ねてきた運動の姿が伝わってきた事に何より感動しました。

 この人たちの長年の運動の蓄積があったればこその岸本聡子区長の誕生であったと強く思わずにはいられません。

 あの綺麗な街並みが壊されて、自分たちの住処が排除されるかもしれない不安。恐怖。

 その要求の多くは、それはもはや欲望だとか自己実現などというものでは決してなくて、生存権、人権の問題ではないのか?

 それを推し進めようとしている議会の姿がまた地獄である事この上なく。スマホをいじる区長(←岸本さんの前任の男性区長ね)それ、居眠りしているのか?区長。自民党の男性議員の酷い質問に驚き騒然とする傍聴席を恫喝する自民党(多分)の男性議員。それを咎めるどころか傍聴席の方へと注意を呼びかけるいかにも若そうな男性の議長…。

 映画は、杉並区議会がいかにしてパリテが実現したかについての経緯にも踏み込んでいきます。皆さん、地元議会に(平日、可能な人は)足を運んでみましょう!みんなで傍聴するところから、社会は変わっていくのかもしれません。

 多くのヒントと可能性が詰まった映画だと思いました。

 
   


Posted by にいさん at 2024年04月07日 16:27

映画『見えざる手のある風景』をAmazonプライム・ビデオで視聴。





 先日のcinemactif東京支部のPodcastを聴いて気になっていたAmazonプライム・ビデオで配信中の作品『見えざる手のある風景』を観ました。

 以下、ネタバレは抑え目に書いてまいりますが、ヒント等「こする」かもしれませんので、真っさらな状態からご覧になりたい方は読まないことをお勧めいたします。


 これは、かなり切実な、そして、まあまあ笑えないSFコメディとして映りました。(あのオープニングでの短い設定描写の中での映画的な表現は実に見事だと思いました。なかなかに、エグ味のある内容と、そんな心地好い描写との不思議なバランスの作品)


 まず最初の、見事なオープニング における、「真下には人が住んでるんだぞ!」のくだり。

 人間の法(や常識)よりも上位に「彼ら」の地位協定…じゃなくて、「彼らの法」が位置付けられるという設定。

 歴史というものが常に征服者によって「綺麗な言葉によって上書きされていく」その過程。

 搾取する側は、加害の自覚がない(薄い、わからない?とにかく自覚が欠落している)らしいという姿。

 搾取された者の間で格差が極度に進行し、搾取された者同士の間で分断が生まれ、無駄に敵対し合うという悲劇。

 絶対的に優位かつ支配的立場にあるものが、絶対的不利な個人を訴えるという、スラップ訴訟的な!?行為。

 自分の作品が「彼らの有力者」によって認められ、これから全宇宙にも御披露目されて大逆転の成功者に?って思ったら、蓋を開けてみたら作品の意図は捻じ曲げられ、「彼らの望ましい姿」に描き変えられてしまい、まったく違った作品に上書きされたものに描き変えられてしまって。あとは発表を待つばかり。言葉を失う作者。著作権及び著作者人格権なんてものは「彼ら」には通用しないらしい(ようだ)。彼が言葉を失うのも(莫大な富を手放してまで)その後の行動に至ることも無理からぬことと思えてきて。

 まさにエイプリルフールに紹介するに相応しい位の?はちゃめちゃな設定のはずのコメディなのだけれど、ここまであげた事柄全てにおいて強い既視感があり過ぎて(そう感じ取ってしまう私がいけないのかもしれませんが)なかなか背筋に怖気が走る映画です。これなんか、全部、SFに置き換えられてはいるが、リアリティあり過ぎてまじ恐いっす。

 そして、「支配する側への視線」というものも。考えさせられたなー(属性の異なる他者への視線も)。

 ウルトラセブンの第一話で、もしセブンが現れなかったら、多分こんな感じだったんじゃないか?と円谷ファンならば、つい思ってしまうかもしれない今作。

 『人類など、我々から見れば昆虫みたいなものだ』

 あの名台詞が、頭の中でリフレインしてきて仕方ありませんでした。
  


Posted by にいさん at 2024年04月01日 18:03

『沖縄の もあい大研究』平野(野元)美佐 著




 驚愕の(個人的に)276頁目。

 圧巻の約280頁!

 いやあ、凄いよ。

 沖縄の「模合」面白過ぎる。

 新城和博さんが「渾身の一冊なんです!」って言ってたのもわかる気がする。

 関西出身の文化人類学者である著者・平野(野元)美佐さんが、およそ十年とちょっと、長い時間をかけて「沖縄で行われている相互扶助の習慣(模合)」についてのフィールドワークを行なって生まれた本書。実は日本全国各地でも同じもの(基本、システムが同じもの)はありまして、東日本では「無尽」、西日本では「頼母子講」と呼ばれていて、うちの家族もちょっと前まで別府市内で頼母子講をやっていたので「え?似てると思ってたけど、たのもしって、模合と一緒やん(驚)」と今更ながら驚いてしまいました。更に更に、この模合や頼母子と同じ習慣が世界中で行われていて、世界のあちこちで、庶民が「助け合い」を行なっているというエピソードまで。いや、知らなかった。

 しかし、日本においては、もはや(一部、頼母子講が続いている例も、ありはするのですが)ほとんど行われなくなっており、唯一沖縄だけが、今もなお、盛んに行われている。それは何故か?という秘密にも、著者は迫っていくのです。「何故、沖縄だけは?」なのか、ひとつの結論に導くのはとても難しいようですが(参加者さん百人百様の答えが返ってくるところは実に面白いですが)沖縄では「このような形で行われている」という形式からの分析の過程は実に興味深いですね。めちゃくちゃ読み応えありました。

 沖縄では、ユニークな模合が沢山あるとは聞いてはいたけれど、「まじか?」って言うのがかなりありまして(先輩がかなり高額な模合をやってて驚いたことがありましたが、その更に上をいく)超高額の模合とか、宮古島の宮古島らしい、やつとか…、百人なんていう規模の模合があるかと思えば「ふたりで模合」なんてスタイル、果ては「ただの飲み会」を模合と呼んでるケースまで(もはや意味がわからないが面白過ぎる)。

 そんなバリエーションも様々で楽しい、って言う話しだけではもちろんなくて、(身近でもたまに噂になってた)模合を巡るトラブル、「難しい側面」についてもしっかり触れられていて。そのヤバい話しの方も、それもそれで、様々なバリエーションというか、「ゴロゴロ模合」って言う表現は、この本で初めて知りました。バブルの頃は、それは、ちょっと恐いな。やはり、お金にまつわることは、熱を帯びると危険が伴うというか(恐)

 又、人によって、ひとつだけじゃなくて、いくつもの模合を同時に行っている先輩世代もかなり多いのですねー。しかし、世代が若くなるに従って、やる人たちが減少してきていると(模合ひとつでも、入る人が減ってきていると)そこへ来ての「コロナ禍」による大打撃を受けて、全県的な模合の中断・中止(解散まで)という事態に。

 このままでは、この相互扶助の文化が存続の危機なのでは?

 と思って読み進めるうちに、いつの間にか「模合を始めたくなっている自分」に気がついてしまった(笑)(ダイジョウブカw)

 本書では、沖縄における模合についての歴史についても、古い文書を紐解きながら考察していきます(そこもなかなか刺激的!)模合をめぐる過去・現在・未来について語りながら、いま現在、模合を楽しんでいる人たちの姿までが浮かび上がってくる本書。いやあ、凄い、濃ゆい世界だな。

 あ、模合(もあい)って、そもそも何か?ですか。

 それは、この本を読んでみてください。

 沖縄の出版社ボーダーインクから2200円(+税)で販売中です!

 正直、私にとってこれは、ボーダーインク史上一番のお気に入りの一冊かもしれません。

   


Posted by にいさん at 2024年03月30日 21:58

第23回沖縄式読書会を開催しました。






 これが23回目となる別府市での「沖縄式読書会」は、今年最初のyoiyaさんで。(いつもありがとうございます!)

 今回は、初参加のおふたり(以前よりお声掛けさせてもらっていました地元の尊厳する先輩方)と、3人での読書会でした。いつにも増して、地元大分と沖縄についての、土地にまつわる濃い話題が広がりまして、本当にあっという間の2時間でした。

 前半の紹介本のコーナー(最近読んだ本など)。

 寺司勝次郎『わが蟻の目人生』(遠廻り宜候。大分県で活躍された高名な瓦版画家でらっしゃるのですね。この屋根瓦の風景から見えてくるのは、当時の大分の街並みでしょうか。若き日の予科練における戦争体験は、松下竜一さんのノンフィクション『私兵特攻』にて描かれているそうです。実に興味深い郷土の芸術家さんでした)

 伊藤雄馬『ムラブリ』(ムラブリとは、タイとラオスの間の地域の森に暮らす少数民族の人々。文字も暦も持たず、森の中で狩猟採集社会を形成しながら暮らしているそうです。家は手作りの持ち運び式で?著者は彼らとの出会いを通して自らの生き方について「気付き」を得たそうです。身に付けるものは最小限の生き方。モノもお金も。「持たないという生き方」が問いかけてくるものとは )

 山野井泰史 全記録『CHRONICLE』(世界の断崖絶壁に挑み続けるクライマーの記録。参加者様が、以前Coyoteという雑誌のプレゼントに応募したところ、当選して送られてきたのがこの一冊だそうです。なんと素晴らしい読者プレゼントでしょうか。50代にして、パートナーの妙子さんと共に今も世界の難関の山々に挑む姿は迫力があります)

 雑誌『Coyote』(『CHRONICLE』を手にするきっかけになったというこの雑誌。月刊でも季刊でもなく?年に3回の発売なのですね。そして創刊20周年!?この時代にこれだけ持続できるなんて凄いことですね。人と旅をテーマに、中味の濃い内容を送り続け、熱心な読者が支えているとの事。最新号では(村上春樹読者にもお馴染み)安西水丸さんの特集。これは読みたい!)

 平野(野元)美佐『沖縄の もあい大研究』(模合・もあい-とは、沖縄における相互扶助、助け合いの風習であり、親睦の場であり、「金融」でもあり、時に恐ろしきものでもあり、でも、多くの人たちに今もなお親しまれている「模合」って何?という模合の秘密が詰まった圧巻の一冊。模合の魅力の中に沖縄の景色が見えてもくるという、そんな一冊です)

 松岡考志郎『「那覇へ、別府から。」』(別府市から、沖縄へ通うこと20年。著者の優しさが写真と文章から滲み出る一冊。その不思議な路地は、まるで那覇と別府の風景が重なってくるような不思議な感覚に。青い海と空でイメージされるような、そんなステレオタイプのリゾートとはまるで違う島の魅力が写真を通して迫ってきます。故郷別府市の懐かしさを覚える景色と共に)

 
 そして今回のプレゼント本はこちら。

 松岡考志郎『道端』(なんと、紹介本であげられた『「那覇へ、別府から。」』の著者による、第一弾の御著書。「那覇へ……」は「道端 南島行」という副題が付いている通り、この『道端』の続き、という位置付けとの事で。音楽活動も続けてこられた著者が、CDを出すか、それとも詩や思いを文章として表現するかとなった際に、著者が選んだのは後者でした。著者・松岡さんの歩いた道には、そこではどんな景色が見えたのでしょうか )

 ↑ANDO GALLERYの上等な手帳も一緒にプレゼントに添えてくださいました。めっちゃ欲しくなる手帳(笑)

 NHKブラタモリ制作班『ブラタモリ別府・神戸・奄美編』(おおー、ブラタモリ遂に来ましたね!別府市の前後編は放送当時私も(その頃に住んでいた)那覇市の自宅で見ました。個人的には、楠町の境川の暗渠が登場したくだりは、番組史上最高に興奮いたしました(マニアック過ぎて、多分私だけかもしれません)選んでくれた参加者様はなんとその放送の際にお手伝いもされたとの事。別府の歴史に詳しいメンバーさんならではの選書でした)

 上村洋『劇団員 南へ』(恥ずかしながら、読書会主催者による一冊を。おそらく最初で最後の選書かもしれません。沖縄に精通した参加者様がおられた事から、きっとこの本ならば絶対に持ってはいないはず-と今回は勇気を持って?選ばせていただきました。沖縄で暮らした約10年と少しの時間。その間に体験した事、思った事を、自分なりに文章として記録しておきたかった一冊でした)

 初参加のおふたり。それぞれ、別府市と沖縄について詳しいおふたりと、実に濃密な対話が刺激的でした。これからもどうかよろしくお願いいたします!

   


Posted by にいさん at 2024年03月24日 22:21

舞台『OH!マィママ』(別府市民劇場第121回例会)




 別府市民劇場にて劇団NLT『OH!マィママ』を鑑賞。この舞台の感想に入る前に、2点断り書きがございます。

 ひとつ目として、これはいつもの様に、真っさらな状態で、前情報なくご覧になりたい方は読まない事をお勧めします。

 そして、ふたつ目の事として。

 パンフレットの冒頭の辺りでも注意書きがあるように、解説文への「ネタバレが含まれます」という説明がありますが、私は、この「件」について、いわゆるネタバレの「ネタ」として扱うこと、および、衝撃的なギミックとして扱うことには反対の立場です。なので劇中における「秘密」については伏せずに書かせていただきます。(その当事者にとっては、自らの境遇を好奇の視線で扱われる事、センセーショナルに描かれる事によって尊厳を傷つけられる場合が少なからずあるからです)その事以外については、いつものようにネタバレ抑え目に書いてまいります。





 とは言え、

 「秘密」と言っても、劇中かなり早い時間帯で、その「性転換手術」の件は開示される為、物語が動いていくのは、そのかつての母親が男性になって(父親になって?)帰ってきてからのてんやわんやの展開にこそドラマの面白さがあると思いました。

 これが、もしクライマックスの最終盤近くで「実は……」というふうな驚愕の告白を持ってくるような構成であったなら、おそらく良い印象は持てなかったかもしれない、なんて事を思いながら観ていました。この脚本が最初にフランスで書かれたのが1984年の事で、その後、再演をするたびに(その頃はまだLGBTQ+という言葉が一般的になるずっと前だった時代であり)性的マイノリティへの認識をその都度アップデートしながら上演が続いてきたそうです。劇団NLTの皆さんも、その当事者への理解を深める場を持った上で再演に臨んだそうです。(一部、古い観劇資料の引用文の中で「性同一性障害」という用語も使われていますが、2019年のWHOの総会において、これは精神障害ではないという合意がなされております。そもそも障害や病気ではない上、「…障害」という呼び方もまた当事者の尊厳を傷つけるものと考えるので、この用語も不適切だと私は捉えています)


 どうも様子が怪しいアメリカの軍人フランクが、フランスの国会議員アルベールの自宅を訪ねてきたと思ったら……というところから始まるコメディ。アルベールの連れ合いのマリィは20年前に失踪していて。親子同時に結婚をするという息子ルイには、フランクの事をどう紹介すれば良いものか?(主な展開はほぼこの一点に集中すると言ってもよいかもしれません)そしてこれからアルベールが結婚するというマチルドとの関係は?住み込みの家事手伝いのジャサントとのこれまた複雑な関係性。フランクの来訪によって巻き起こる「こんがらがった展開」の面白さの中心に、ルイがいる構図、と言った感じでしょうか。皆がそれぞれの立場から彼のことを考えていて。こんがらがった原因はフランクで、っていう。

 これは、幸せな家族の物語だと思います。たとえ、一部、真実を知らない家族がいたとしても(息子のルイなんですけれども)互いを思い合う関係は本物であれば……でもでも、

 でもやで、

 親子揃ってその行為はどうなのか?(おぃっw)

 というところも一方ではありつつ。結局一番わかり合ってるっぽいのはフランクとジャサントっていう着地???

 まあ、ルイがあそこまでの妄想を信じて受け入れるんやったら、普通に告白した方がいいんと違う?って、途中から、思わないでもなかったけれど、それ言ったら、話しが終わってしまうのか。

 しかし、フランクの、あの佇まいというか、「父であり母でもある」というあの感じは、あの姿は、とても良かったですね。魅力的なフランクを演じておられたと思いました。




 

 ちなみに、元々の設定では、野党の国会議員のアルベールは、社会党のミッテラン政権が誕生した際に下野したばかりの保守政党の議員という設定で。そのあたりの背景も興味深く思いました。もしかしたら、下野すんのは、そういうところなんと違うか?とでも原作者殿は思ったりしたんだろか???(某与党若手の乱痴気騒ぎのニュースを思い浮かべつつ)  


Posted by にいさん at 2024年03月23日 15:20

『オリヒメ 人と人をつなぐ分身ロボット』吉藤オリィ 文:加藤悦子




 劇団員時代の仲間が、子どもの未来舎から本を出版したと思ったら めでたく重版だそうです!(凄)悦子さん重版おめでとう☆(*゚▽゚*)

 で、吉藤オリィさんが開発したオリヒメというのが何かと申しますと、体にハンディキャップを持たれた方が、例えば、寝たきりの姿勢だったり、首から下の部分が動かせないとか、どうしても外に出ることが難しい人たちが、とても遠い場所から、東京のロボットカフェにある自分の分身ロボットを使って、自分の体の代わりにそれを動かして(お客さんと受け答えしながら)働くという……なんというか、もう、これって、我々昭和と言われた時代に生まれた人間にとっては「子どもの頃に思い描いた未来の光景」そのものというか。鉄腕アトムやドラえもんや21えもんの世界というか。

 実現しちゃってるんですね〜

 オリヒメというロボット自体もびっくりなのですが、そのオリヒメを通して働いている人たちの活躍が感動的で。そして、AIではなくて、人間が動かして、人と人がやり取りしているその光景も、良いですね〜。

 オリヒメを開発した吉藤オリィさんのこれまでの歩みのドラマも良くて、オリィさんの生き方がそのまま多くの人たちへのメッセージになっているような気がします。(車椅子についても物凄い改良を重ねているようで、是非映画館とかでも導入してくれんかな?全国のシネコンさん?映画館さん?ってちょっと思いながら読んでた)

 自分は手先が(それはもう自信を持って!)とても不器用で、いまだに折り紙もろくに折れないのですが、折り紙や、手先を使うことに限らず、好きなことを夢中になって続けていけば、「とがった人」になれるとのメッセージ。51歳の私の肝(チム)にも響きました。

 とがった人になろう(=゚ω゚)これから。

 とにかく、やられている事柄が全てびっくりの一冊でした。子どもたちにも、大人の人にも是非読んで欲しい一冊です!よろしくお願いします( ´ ▽ ` )






 

 でさ、

 最後の頁に、趣味は?と聞かれて、車いす、白衣っていうのは、なんとなくわかるというか、イメージ出来る気がするんやけど、

 階段 ?

 階段だらけの家???えー?何それ?面白ーい!って、思いました。(か、考えたことなかった( ゚д゚)階段って、なんか奥が深そう……)
  


Posted by にいさん at 2024年03月19日 20:40

松岡孝志郎『「那覇へ、別府から。」道端 南島行』




 別府市在住の御著者、松岡孝志郎さんのお人柄そのままの写真と詩とエッセイが、あなたを那覇と別府の街角へ、すーじぐゎーへと誘います。いや、那覇市だけじゃなく。

 そういえば、先日沖縄の友人から「沖縄の〈基地周辺の街の景色〉と別府の景色は似ている」と言われて、そう言われてみれば-と思い至りました。頭の中で、キャンプ・ハンセンとキャンプ・チッカマウガのイメージとが混ざり合いながら、幼い頃の故郷の情景が蘇ってくるようでした(ただその場所への眼差しの違いは、なんとも対照的なことか)。


 とにかく松岡さんの写す路地、街角が素敵過ぎて、何度も何度も、頁をめくり直しては、うっとり見詰めてしまいます。それは『気づかないうちに上書きされて』さながら古い細胞が新しい細胞へと置き換えられる街の景色。那覇も別府も、どんどん上書きが繰り返されていく。それを写真と言葉で記してくれる人がいるから、こうして振り返ることが出来るのです。

 先日見たばかりのモノレールの新軌道からの景色も。

 辺野古のキャンプ村そばの景色のすぐ数頁後に、別府国際観光港の情景が来ると、なんとも不思議な気持ちになるものですね。

 写真だから伝わる世界で沖縄と別府の姿。それはとても優しい眼差しによる景色でした。是非あなたも触れてみて欲しいです。



 いま別府市千代町のSpace Beppuさんにて、販売しているそうです。良かったら是非手に取ってみてくださいませ!
  


Posted by にいさん at 2024年03月18日 14:38

令和5年度NPO基盤強化支援事業の助成金交付いただきました。




(この式からの帰宅時に、従姉妹の訃報を知らされて、その日は投稿を控えていたのでありますが…)

 先日の3月11日。大分市のアイネスにて『令和5年度 NPO 基盤強化支援事業』の助成金交付式ならびに各種表彰が行われました。

 私が運営させていただいている任意団体「ゴーヤーとカボス」が、公益財団法人 おおいた共創基金さんより、助成金交付の3団体に選んでいただきまして(思ったよりも大層なセレモニーでびっくりいたしましたが(失礼))壇上にて目録の贈呈をいただきました。人前での表彰というのは……多分、幼稚園時代の別府市のスケッチ大会以来のことだと思います(別府タワーの絵を一生懸命に描いたらナショナルの看板がうまく描けずに落ち込んでいたら、特別賞をもらってびっくりした思い出が)。

 ささやかな規模ではありますが、大切に活用させていただきます。これからも、沖縄式読書会の他にも新たな計画の準備に着手しておりますが、より一層、沖縄と大分の架け橋活動を発展させてまいります。よろしくお願いいたします。

  


Posted by にいさん at 2024年03月17日 19:35

従姉妹のねえさんが旅立ちました。



 3月11日。

 まだ61歳やに。

 良くないと連絡を受けたのは、ほんのひと月くらい前でした。住んでいた郡山市から実家の大分市に帰宅して、痛みを和らげる手術をした後にホスピスへ。

 本当に穏やかなお見送りだったそう。

 その間献身的に看病し続けた妹のねえちゃんには頭が下がります(従姉妹の三姉妹の次女のねえちゃんが連日看病してくれて、面会は家族に限られていて、親戚や親しい間柄でも顔を見ることは叶いませんでした)。幼い頃から、沢山遊んでもらった従姉妹の三姉妹でした。


 つい数ヶ月前まで(全国各地、東奔西走で飛び回り)最後の赴任地となった福島県郡山市の文化センターで、支社長としてバリバリ働いていたのに。

 うちの親戚の中では一番元気な印象を皆が抱いていた長女のねえちゃん。お酒がめっちゃ強くて働き者で。

 帯広-福山-埼玉-東京…え?長崎?仙台?水戸?そんなところでも働いてたん???と昨日の葬儀で来てくれた各地の同僚さんから話しを聴いて初めて知ることばかり。そして、家族や親戚には見せなかった顔も(ま、そうだよね。家族が知らない顔くらい、でも、親戚みんなが驚いていた)ご両親のおいちゃんとおばちゃんは、高齢であっても元気でいてくれてるだけに、そこは…おばちゃんの悲しい気持ちの声かけは、そりゃ「辛いよ」くらいは言わせてね。おばちゃん、おいちゃん、妹のねえちゃん達の気持ちの重さには及ばないし、言葉には出来ないけれど、

 コロナ禍に入ってからは、それまで正月やお盆や、なんやかやで集っていた大分市の家(父方の実家)には、以前のようには集まらなくなってたから、コロナ禍に入る前(まだ自分が劇団にいた頃)以来になるのか。もう、そんなに会ってないんだね。久しぶりに親戚の集う場がこういう形になるなんて。というか、葬儀からの帰り道。ねえちゃんが、我々を会わせてくれたん?ってちょっと思ったよ。

 本当はもう少ししたら、自由になって、大分に帰ってくるはずやったって。もっともっと話しがしたかった。どんな別れも、辛いもんは辛いね。って事も改めて教えてくれたね。

 たえ子ねえちゃん。子どもの頃からいっぱい、いっぱい、思い出をありがとう。

 じゃ、またね。

 というか、

 もうちょっと、待っててな。
  


Posted by にいさん at 2024年03月14日 20:37

舞台『カタブイ、1995』を ひめゆりピースホールで鑑賞。





 『カタブイ、1995』那覇市の ひめゆりピースホールでは明日(6日)までの公演です。もし間に合う方は是非お越しください。この後3月15日から18日まで東京・下北沢小劇場B1で上演されるそうです。ひとりでも多くの皆さんにご覧になってもらいたい舞台なので、ネタバレ等抑えての感想です。



 自宅の真上を、耳をつんざく爆音がマウントしてくる。ラジカセから流れる音は瞬殺されて、まるで聴こえるものではない。

 でも彼女の耳にはしっかりと聴こえているんだ。彼女は舞をやめる事をしない。音の暴力は彼女の身体に染み込んだ音楽を組み伏せることは出来ない。

 家族はずうっと、そうやって「日常」を守ってきたのだと思う。事大主義に流れることを良しとせず……とゆう表現を自分が言うことは、ちょっともうよそうかな。しかし、何故どうして、この家族がこのような選択を、決断を、迫られなければならないのか?日本政府よ。そして、沈黙する日本人よ。見ないふりをする日本人よ。無関心な日本人よ。私に向かって「さっさとあの海を埋めたらいいんや」と下品に言い放った地元の元公務員よ。

 これは「この家族の問題」ではない。「沖縄の問題」ではない。「沖縄に押し付ける者たちの問題」じゃないのか。「日本全体で考える問題」じゃないのか。あの海兵隊の基地は元々この場所にあったものじゃないぞ。そしてこれはセイジテキタチイチだけの問題なんかでも無いぞ。あの地でまさに反対運動をした結果が「沖縄に移ってきた」事を知る先輩は今辺野古へ通っている。その歴史的経緯に心を痛めて行動に移した先輩のような人は少ないという。いや、行動を起こせとまでは言えない。せめて知って欲しい。沖縄に負担を押し付ける者をこれ以上国会に送らないようにして欲しい。遠くのカタブイをTV画面から眺めていないで、せめて一度はここへ来て一緒に濡れてくれ。と私は言いたい。



 この舞台の設定は1995年。戦後50年の年であり、沖縄の施政権の日本への移動(いわゆる本土復帰)からは23年。そして、あの痛ましい事件が起きた「あの年」を描いた物語です。

 昔、ある子どもにまつわる悲しい事件について、舞台の恩師が言っていた言葉を思い出しました。「誰かの痛みを社会全体が共有して、一緒に涙を流すことが出来たら、世界は変わる」という意味の言葉を、舞台を観ながら、不意に思い出していました。

 一緒に雨に濡れて、共にキビを刈って、共に泣き、笑い合うことからしか、前に進むことは出来ないのかもしれない。

 この「現実」を背負わざるを得なくなった家族の姿を通して見えてくるものを、もっと日本中で共有出来ないものだろうか。

 そんな、こんな考えながら、今沖縄を後にしています。

 自分は自分に出来ることをやる

 の思いも、改めて噛み締めつつ。

 



 エーシーオー沖縄さんによる「沖縄本土復帰50年企画」として展開しているシリーズ『カタブイ、1995』は、2022年に上演された「カタブイ、1972」に続く作品です。3部作とのことで、いつの日か、「2025」を加えた3本通して観てみたくなりました。素晴らしい舞台でした。
  


Posted by にいさん at 2024年03月05日 20:15

【ゴーヤーとカボス読書会】in 沖縄・ブッキッシュ!(後編)




 

https://haruniy.ti-da.net/e12689354.html

↑読書会前編はこちら!


 とにかく前半部分で(いつもの沖縄式読書会の会場使用時間であります)2時間、でも足りない盛り上がりように嬉しい悲鳴をあげてしまう思いでした。そしてこれからが、いよいよ後半のプレゼント交換へと進んでまいります。

 記念すべき沖縄開催でのプレゼント本はこちらのタイトルでした。

 梨本香歩『物語のものがたり』(物語の作り手はどうやって「ものがたり」を読んでいたのか?「赤毛のアン」「秘密の花園」などの名作を例に取り、作者はその人物や場所に何を託してきたのか。その作家の仕事の核心にも迫っていくという、これまた興味をそそられるエッセイです)

 呉明益〈ウ・ミンイ〉『自転車泥棒』(ここのところ益々「台湾文学」が熱いですね!作者はまさにその台湾文学を代表するひとりかも?この小説にに出てくる自転車は日本製だという話し。そして台湾の近現代史についても浮かび上がってくるという物語に?こんなふうな切り口で語られるのか-という驚きがあるそうです)

 瀬尾まい子『図書館の神様』(本のサブスクサービスがあるのですね。マッチング方式で選ばれる一冊は、どんなタイトルが選ばれるのか届くまでわからないという仕組みに?そんな、この本との出会いの仕方にも興味が湧いてきました。ある夢を諦めなければならなくなった臨時教員の主人公が、まさかの文芸部の顧問に?そこから生まれる出会いと変化とは。設定にワクワクしてきますね)

 沖縄現代俳句協会『沖縄歳時記』(沖縄の季語……うりずんとか?あとは、あまり思い浮かばない自分にショックです〈これから読んで学ばせていただきます!〉具体的な短歌が引用されていてわかりやすいです。選者さんによりますと、トイレに置いて読むのもおすすめだそうです)

 ジョン・オースティン『ゾンビの作法』(今回もしかしたら?唯一の「実用書」になりますでしょうか。もしも自分がゾンビになってしまった場合に、サバイバルしていく為の実践の書だそうです。ゾンビが大好きな方、もしもゾンビになってしまった時にどうしたら良いのかが気になる方には激しくお勧めしたい一冊!今回一番、読んだ感想を聞いてみたい本かもしれない)

 オスカー・ワイルド『幸福な王子/柘榴の城』(大人の童話の短編集だそうですが、しかし作者は元々これらの物語を子どもたちに向けて書いたそうで。それはとても繊細な大人に向けたかのような?そんな苦味のある味わいの、気になる童話たち)

 坂本龍一『音楽は自由にする』(教授〈坂本龍一さん〉へのインタビューを、彼自身の「語り」として文章化したもの。幼稚園での初めての作曲から、YMOの時代、映画「ラストエンペラー」等々、自らの人生について(それらの全てが貴重な証言)語っていきます)

 小川哲『君のクイズ』(アメトーークでも話題になり、更にいくつもの賞を獲得するなど非常に反響を呼んでいる一冊だそうです。クイズを通して人生が見えてくる!?しかも泣けて来さえするという話し。そして、青春小説としても素晴らしい、そんな一冊)

 植松三十里『万事オーライ』(今回の読書会を沖縄で行なうにあたっては、まさにこの本を通して故郷・別府を伝えたい!という思いもあり迷わずの選書。別府温泉が一大観光地として成長する過程のドラマを熊八さんの人生と共に知ってもらえたら嬉しいです。今回の参加者の皆さんはまだ別府市にはいらした事がないそうで、もしこの読書会がきっかけになって、足を運んで下さったら良いな、という願いも込めて)


 今回の沖縄・ブッキッシュでの読書会は、私にとっても忘れられないものになりました。ご参加いただいた皆様、いっぺぇにふぇ〜でぇびる!

 そして、またお会いしましょう。
  


Posted by にいさん at 2024年03月05日 14:37

【ゴーヤーとカボス読書会】in 沖縄・ブッキッシュ!(前編)





 2020年から大分県別府市で開催してきた『沖縄式読書会』。この読書会の基礎となった本場沖縄の『本もあい』実施会場でもあります西原町のブックカフェ・ブッキッシュさんにて(里帰りイベントのような?)昨日3月3日『ゴーヤーとカボス読書会』と銘打ち、開催してまいりました。

 「任意団体ゴーヤーとカボス」初の県外出張(!)

 本もあい参加者さんをはじめとして、久しぶりの読書会ですという方も。「初めまして」の参加者さんともお会い出来て嬉しかったですね。当初は6人くらい集まってくだされば…と思っていたところが、なんと見学の方おひとりも含めて10人の参加というゴーヤーとカボス史上最多の参加者数に(ひとりが見学で、9人での読書会進行)。いつもは別府市で2時間のところ、今回は3時間でも足りないくらいに、大いに皆さんに語っていただきました(とにかく盛り上がりました。ちょっとこれまで記憶にないくらいに)。

 さて、そんな今回の沖縄での読書会。集まったのは、こんな本たちでした。

 辻村深月『ツナグ』『ツナグ 想い人の心得』(もう会いたくても会うことは叶わない。そんな向こうの世界とこちら側とを結び付けるのは、電話番号?それは、向こう側の人にとっても「一回限りの機会」であり……とても惹かれるストーリー。しかし、なんて切ないんだろう。あらすじだけで、胸がキュッと締め付けられるような気持ちに)

 小川糸『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』(最近まで新聞連載で読まれていたそうで-新聞連載小説の読者さんって結構いらっしゃるんですよね-単行本化してすぐに手に入れたという作品。2作品共に話しが繋がっている事がわかり『キラキラ共和国』の前日譚『ツバキ文具店』も読んでみたそうです。鉛筆や紙の種類について等々、文房具好きにもたまらない小説のようです。おばあちゃんとのエピソードにも聞いているだけで涙が)

 土橋章宏『身代わり忠臣蔵』(ご存知忠臣蔵の吉良上野介を主人公としたコメディ!映画化もされていたのですね。「身代わり」とは?吉良上野介は実は……これ以上は書けませんが、表紙のカバーにもなっている通り、映画ではムロツヨシさんが主演との事、これは観てみたい!忠臣蔵ファン必読の作品だそうです)

 丸井諒子『竜の学校は山の上』(大ヒット作『ダンジョン飯』の作者の描くコミックファンタジー。ケンタウロスの人類?に、いわゆる現実での人類は「猿の人」?他にも竜の人もいらっしゃり、多種多様な人たちの文字通りの共生社会。ケンタウロスの人たちは働き者で睡眠時間も少なくて「生産性の高さ」から重宝されるが故に……と、そんな恐ろしき予感と、不思議な人間味に溢れたファンタジーが展開されていきます)

 桃野雑派『星くずの殺人』(新時代の密室殺人!?それは宇宙空間で。多くの人々が宇宙旅行に行く時代に、それは起きた。宇宙船のパイロットが殺害された。それもロープで?そこは無重力の空間で、誰も入れないはずの現場。そして、そこに乗り合わせた乗客たちの-7千万円を払い宇宙旅行へと赴いた-思いと共に描かれていくという本格推理未来小説)

 高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』(内戦が酷いソマリアの中で次々と独立国家が生まれている?中でも「ソマリランド」という独立国家の噂を著者は耳にします。国連にも承認されていないその独立国家群の中で、ソマリランドだけは?実に見事な国家運営がなされているらしいぞ?著者は周辺の「海賊国家」と言われる地域や、北斗の拳に例える地域にも言及しながら、そして遂に、謎多き独立国家へと向かうのであります。高野さんの着眼は本当にいつも目から鱗ですね)

 雑誌『精神看護』(シリーズ「ケアをひらく」の解説特集号。エッセイ「居るのはつらいよ」が凄く面白い!ケアの大切さと、大変さ。これはまったく他人事ではなくて、友人、家族、いろんな人の顔が浮かんできました。看護やケアの現場にいる人だけでなく、広く知られて欲しい内容のようです)

 笹倉尚子、荒井久美子『サブカルチャーのこころ』(サブカルチャーと心の関係。御紹介曰く「オタクのカウンセラーによるサブカルを通したアプローチ」それ面白いですね!好きな事-サブカルの作品、ジャンル、なんでも-を通してカウンセリングが展開されていく?なんと興味深いことか )

 上間陽子、信田さよ子『言葉を失ったあとで』(沖縄で地道な社会調査を続ける上間陽子さんと、臨床心理士でDVの問題にも精通されている信田さよ子さんによる共著。「聞く」ということの実際について。今まさに語られている「被害」「加害」をめぐる理解の仕方とは?これもどうしても読んでおきたい一冊に思いました)

 ロバート・コルサン『統合失調症の一族』(アメリカの、とある将校の家族にまつわるノンフィクション。その家族では、統合失調症を抱えた人が6割に至るという事を著者は詳しく調べていきます。「遺伝か?環境か?」「6人の子どもたちが見たという幻覚とは?」それらの現象、症状の原因とは。選者さんが仰るには、しかし実は希望の余韻が残る話しでもあるのだと。気になりますね……)

 逢崎遊『正しき地図の裏側より』(なんと、本模合の生みの親でもある先輩が駆け付けてくれて「さっき夢中になって読み終わったところ」と紹介してくれた読みたてほやほやの一冊だとの事。著者の出身とは裏腹に?場面は雪深い情景で……、人の「情」というものをとても感じさせられる小説。金曜日に手に取って、面白くて時間も忘れて一気に読んでしまったそうです。今、沖縄の書店でも「イチ押しの一冊」として置かれていりる注目作)

 津村記久子『この世にたやすい仕事はない』(中・短編集のこの一冊。なんなんだこの仕事は?モニターをじっと見つめる主人公と見られる対象の女性は身じろぎもせず、と思いきや!?この奇妙なお話しが、如何にして「浮遊霊がブラジルに行く話し」に繋がるというのでしょうか?気になって気になって仕方がありません)

 小津夜景『いつか たこぶねになる日』(漢詩と、フランスの日常。南フランスのニース在住の俳人である著者が、そこでの暮らしの日々を、先人たちの詩を織り交ぜながら、丁寧に言葉を紡いでいくという、なかなかのエッセイです)

 松岡孝志郎『那覇へ、別府から。』(著者と主催者とを繋いでくれたのはブッキッシュの店主さんでした。こちらのお店にも本を送ってくれたという松岡さんの思いの詰まった一冊。20年歩いてきたという沖縄の街並みと故郷別府市の風景の写真の間に著者の言葉が綴られていきます。写真がとにかく素敵な一冊でありました)

 土門蘭『死ぬまで生きる日記』(「死にたい」という気持ちを持つのは何故?カウンセラーとの対話と、書くという行為を通して、自分自身と向き合っていく著者-それはきっと読者も共にでしょうか?-この「死にたい気持ち」との向かい合いは、webで多くの反響を呼び起こし、書籍化にまで至りました。生きづらさを抱えた全ての人へ知らせたい一冊)

 豆塚エリ『しにたい気持ちが消えるまで』(図らずも、店主さんの紹介された一冊と「あ、繋がってるかも」と言い合うという、そんな驚きの並びに。高校生の時に「飛び降り」た著者がそこまでに至った経緯と、そして現在に至るまでの道のりの中で、いかに「しにたい気持ちが消え」たのか。いや、実際のところは、今どういう道を辿っているのか……については、是非手に取って、読んでみて欲しい一冊です。いつもは沖縄に関する題材を中心に選ぶところ、今回は、大分県在住の作家さんのタイトルを選書させていただきました)

 
 今回は、紹介して下さる本だけで凄い分量ですね。さすがは「本もあい」の地元です。次はいよいよ後半のプレゼント交換に入りたいと思いますが……今回は前半だけでもボリューム満点というわけで、

 続きは後編で。
  


Posted by にいさん at 2024年03月04日 18:04