Netflixの海外ドラマ『アドレセンス』いま世界的に話題の作品

イギリス発のNetflixドラマ『アドレセンス』ネタバレは抑え目に書きますが、随所に色々と内容に触れるかもしれません。真っさらな状態から驚きを味わいたい方は、こちらのblogを読む前に是非ともドラマ視聴をお勧めします。
これ、ワンショットどうやって撮影しているのか?
DJI Ronin 4Dの超絶カメラワーク。
これは、とにかく見てください。4話すべてが全編ワンショット撮影。繋いで編集したわけでもなく、1話分丸ごと本当にワンカット撮影というから驚くしかありません。
そんな撮影技術以上に掴まれることになる衝撃的な展開が冒頭から。朝食前の家族は、最後もまた、朝食を食べられないままに、悲しみに暮れてしまう。朝の家族の食卓を、この家族は遂に。
それは決して特殊な環境ではなかった。異常な凶悪な殺人鬼などではない。どこにでもいそうな一見幸せそうな家族のもとで育った少年の中にも、その「暴力」は宿っていた(「悪魔と天使の間に」そんな言葉が頭の中に流れ込んでくる)その「男性性」に有害さが宿る時に凶行は起きた。男性として生きてきた私とそれほど遠いとは思えぬ地続きのドラマの先に、その悲劇は在った。その事が、恐ろしく思えてならない。身の内なる男性性を問い直す事への怯え。もしかしたら、私が誰かを傷付けていた(いる)かもしれない可能性。
それは「少年の中に潜む」という捉え方よりも、男性が社会に出て、年齢に関わりなく備えているものに対して、そのムラの中で意味を「自分が納得出来るものに書き換えて」あるやつとないやつ。有能と不能。そこにカーストを生じさせ、その階層故の強迫観念、随分と迷惑で捻れた(自然と備わったものではない、後発的に与えられたもの、影響を受けたものだと私は解釈している)強迫観念が、激しい暴力と精神的な幼さとを伴って、自分よりも弱いと認定した者を(ここでは女性を)屈服させようとする力になっているようにも感じるのです。
精神的な幼児性と暴力とが合わさったもの。仮にここでは「有害なる男性性」と呼ぶことにします。
暴力を振るわれた側にいた人たちは、まるで周辺に置いやられ? 加害者のドラマが進行していき、被害者の隣にいた少女は怒りを爆発させる。そばにはネット。
私たちの時代にも「我々だけで通じる言葉」は存在した。それは今はスマホやPCの中に。さっき「それは自然と備わったものではない」と言ったけれど、子どもだけの空間というのは、きっといつの世も、国や文化を超えて? 存在するのかもしれません。でも、常に影響を与えるのは、その時代における大人たちの価値観ではないでしょうか。たとえばあの父親。父から受けた仕打ちを決して自分の子どもには、と思う理性が耐えられなくなってしまって……第4話、この張り詰めたギリギリの状態の家族の会話は、もしかして今の社会の私たちの姿だろうか。父親は必死で理性を保とうとして、しかし我慢出来ずに暴発した彼を慰めフォローするのは「妻」と娘でなければならぬのか? このような光景は万国共通なのだろうか。やはり、男性の弱さを女性が受け止め、まとまる家族の有り様というのはそもそも歪ではないのか?
自分も結婚したら、そうならないと言えるか。言い切れるだろうか。
そして、これは「思春期の闇」などという単純なものではない。大人の、男性の価値観や弱さが影響を与えた、そのような社会の産み落とした悲劇だと私は受け取ります。
世界中の家族が、穏やかな朝食を食べて過ごせますように。
追記。これを、あのイーロン・マスク氏が、「白人を貶めるドラマ」などとする誤った陰謀論に基づく批判のポストに乗っかって批判を浴びた-というそんな出来事も込みで、これからこのドラマを思い出す事になりそうです。
Posted by にいさん at 2025年05月18日 21:39
何度傷付けられねばならないのか

正直、話題にするだけでも気持ちが削られるのですが、しかしちょっとあり得ないですよ。
西田昌司自民党参院議員のひめゆり発言。
かつては与党の議員さんであっても(例えば野中広務さんなどは)沖縄の歴史を学び、彼らなりの立場で、たとえ同意は出来なかったにせよ、彼らなりの立場で言葉を尽くして(言葉を選んで)沖縄に向き合っていたように今では思います。そこは、それなりに感じますよ。それがこの30年ほどで、政権与党の認識の後退には言葉を失なうばかり(翁長雄志知事と会談した当時の菅官房長官の「沖縄の歴史はわからない」などと言ってのけた、あの時の絶望感がまた今思い出されていて)今回、自民党沖縄県連も共催のシンポジウムの中で、西田昌司という国会議員が、ひめゆりの塔の説明に「歴史の書き換えだ」などと暴言を放つに至っては、もはや一線を超えていますよ。
これまで一体どれだけのデマや言葉の暴力で沖縄県民が傷付けられてきたことか。ただ、ただ、許し難い。(で、誰だよあの議員に投票したの、って。どうしても思ってしまう。地元だという京都の人たちの中からも、いま抗議の声があがっていると聞きます)
で、激しい批判を受けた本人は居直った挙句「展示の文章は私自身、覚えてない」「その新聞報道自体、見てないからよく知らない」……なのに無関係に切り取られた記事だなどと報道を批判し「歴史の書き換え」発言は撤回せず。何の根拠も示さないまま意味不明な無反省な態度。というか、展示は覚えていない、報道も見ない、でも断定口調で否定の言葉は述べる。
支離滅裂だ。
さすがに沖縄の自民党の支持者からも激しい抗議の声があがり、その場では何も言えず、後日の会見では「個人的意見」と問題にしない姿勢だった(あの会の共催者たる)自民党沖縄県連も、5日も経ってから? やっと重い腰を上げて、自民党本部に抗議をするのだそうです。
理由は「これでは参院選が戦えないから」。
沖縄の歴史、沖縄県民の尊厳、戦争で亡くなった方たちへの冒涜-よりも「選挙で不利になるから」という事の方が、彼ら自民党には重い要素らしい。
#西田昌司の議員辞職を求めます
Posted by にいさん at 2025年05月08日 20:13
【第35回 沖縄式読書会】開催しました☆


5月4日(日曜日)別府市やよい天狗銀天街のyoiyaさんにて、35回目の「沖縄式読書会」を開催いたしました。今回は初参加の学生さんも含め6人の参加で賑やかな読書会に。そんな今回、前半の紹介本はこちらのタイトルでした。
桐野夏生『メタボラ』(タイトルは新陳代謝を意味するメダボリズムから着想した造語。舞台は沖縄。那覇市内のお馴染みの景色の中で展開する「記憶を失くした青年」と「島を捨てた青年」による、行くあてのない逃避行。つい、那覇好きとしては街の景色の話題でも盛り上がってしまいました。搾取され、漂流するしかなかった彼らの冒険。その先にあるのは希望か、それとも……)
安光伸江『必ず目標達成する人が実践する続ける技術』(まさにタイトル通りの実践の書。たんたんと続けることが良い結果に繋がる秘訣? あの時もっとこれを続けていたら……なんてことにならない為の「継続した努力を積み重ねる大切さ」について。写真には写っていませんが、選者様からはシェイクスピア『リア王』、川端康成『眠れる美女』も現在読んでいるとの御紹介も)
井戸川射子『移動そのもの』(初参加の学生さん。写真にはありませんが、最近読んだ本を2冊御紹介いただきました。その1冊目は不思議な不思議な短編集。話しも不思議だが、文体もまた独特な……最後の行に到達するまで「。」が無い、そんな奇妙な長いひと繋がりの文章。でも心地好くて? まるで目の前で誰かが話しかけてくるような)
上間陽子『裸足で逃げる』(そして2冊目は、この読書会でもお馴染みの上間陽子さんの著作。選者様はこの本を読む前に、上間さんの『海をあげる』を読んで感銘を受けたそうです。すこし「覚悟の気持ち」を持って(わかる気が)本書を手に取ったそうです。とても過酷な女性たちの現実。でも何故だか惹かれる文章。一緒に本の中で、彼女達とリアルに会話をしているような感覚に)
荒木経惟『東京は、秋』(御存知アラーキーの写真集を2冊御紹介いただいたその1冊目。著者の写真には様々な側面が語られますが、こちらはとにかく東京の秋の景色が美しい。その多くは、今はもう失われていった情景が。東京の片隅の何気ない、特別ではない街の景色たち)
荒木経惟『陽子』(アラーキーの2冊目は、有名な写真集ですね。荒木さんのお連れ合い様の日常での姿を写し撮った写真の数々。私も頁を開いて思わず閉じてしまった程、日常の夫婦だからこその姿に焦ってしまったり。そして、最後の最後まで陽子さんへの愛情が写し撮られていて、又それが、切なくもあって)
多和田葉子『献灯使』(選者様曰く「なかなか難解である」そして「これは311の後に描かれた震災後文学である」とのこと。大きな災厄の後。仮設住宅。放射線。原発。洪水。人がいなくなった世界。バベルの塔。5つの不穏な物語が暗示する世界とはいかに)
『かたりあう沖縄近現代史』(前田勇樹、古波蔵契 編。沖縄の出版社ボーダーインクの今沖縄で話題の1冊です。沖縄の戦後を生きた先輩世代から90年代生まれの若い世代の研究者が世代を超えて語り継ぐ7つの対談がなんと刺激的なことか。思想史的水脈とは良くぞ言ったもので。こんな沖縄における記憶の継承の意識の高さについて、改めて感じずにはおれません。素晴らしい価値ある書)
そして今回のプレゼント本はこちら。
ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』(選者様によると、学生の頃に読んでとても良かった記憶があったが、今改めて読み直すと、それがとても恐かったとのこと。17世紀の、これは、ゴシックホラーか。まずタイトルの言葉の意味からして恐ろしく、多義的であり。「余計にことを」「更に追込みをかけ」。古い屋敷とそこに住む幼い兄弟。そこへ雇われた家庭教師。その屋敷では……いや、ここから先は )
瀬尾まいこ『卵の緒』(異母姉弟がふたりで暮らすことに。そこはギクシャクするのも無理からぬもので。姉と弟は次第に緊張がほぐれ、心通わせていく。そして、へその緒ならぬ「卵の緒」にまつわる表題作。初参加の学生さんがプレゼント本に選んで下さったのは、とても明るく、優しい気持ちに溢れた短編集でした。新しい風を吹かせていただきありがとうございました。これからも是非御参加お待ちしていますね)
江戸川乱歩『孤島の鬼』(そんな瀬尾さんから打って変わって江戸川乱歩登場! 一気に猟奇的な風へのギャップが素晴らしい展開に? ある島で起きた怪しい事件。筒井康隆氏も絶賛し、乱歩自身も気に入っていた本作。かなり(最近の小説にはない)ドロドロとした作風とのことです)
三浦知良『やめないよ』(キングカズが2006年頃から日本経済新聞に連載していたコラムの書籍化。この時点で40代という彼が、およそ20年経つ今もなお現役って凄過ぎますよね。まさに本のタイトル通りの姿勢を貫いている三浦知良さん。そして、この日最も若い参加者様が、カズを知らない世代だということにも、時の流れを感じてしまいました)
津村記久子『ポトスライムの舟』(2009年に芥川賞を受賞した本作が図書館のリサイクル図書に!? 探してみるものですね〜。リサイクル図書に、こんなビッグタイトルが紛れているなんて。作者は常に労働の現場に眼差しを注ぎ続けているそうです。主人公ナガセは29歳の契約社員。年収は163万円。世界一周の船旅の費用も163万円。ナガセは世界一周の船旅を目指して貯金を開始することになり……)
南島地名研究センター編『南島の地名を歩く』(沖縄の地名は面白い! 以前この読書会で紹介させていただいた本書を今回プレゼント本に選ばせていただきました。南風原、東風平、大宜味、保栄茂! もうとにかく、地名好き(いるのか? )には堪らない、とにかく変わった地名の話しで盛り上がってしまいました。地名を通して知る沖縄。本当に面白いです。北はニシ )
Posted by にいさん at 2025年05月05日 18:35
ETV特集 フェイクとリアル


先日、放送延期の末に再放送されたETV特集を録画して見ました。
そもそも何故、再放送が延期などされたのか? 本来放送される予定であった4月10日の放送は「予定を変更」とNHKのホームページに表示がされました。番組の内容は川口におけるクルド人の方達へ対する、言葉を失うようなヘイトクライム。今は2025年だぞ? 流言飛語が飛び交って、外国の人達に恐るべき暴力がふるわれる(ヘイトスピーチ、付き纏っての盗撮、嘘で個人を晒して陥れる=これなんか立派な暴力以外の何ものでもないから)なんて、100年前に起きたような事を今また繰り返そうとしている一部の日本人達の存在。悍ましきは戸田市議選でトップ当選した人物が『俺が再放送を中止させた』などと自らが抗議した結果だという自慢の投稿がX(Twitter)に。そして産経新聞の記者殿からは『私もささやかながら、いろんな政治ルートでお願いしました』更には『今後、NHKを萎縮させ、できればスタッフに責任を取らせたい』などとこれまた信じられないような言葉がXに。
実際にこのような政治的圧力を受けて、NHKはその圧力に萎縮をした結果? いや、しかしこうした気骨ある番組を作るスタッフがいるという事と、延期はしたけれども、30日の深夜にこうして再放送が行われたという事は覚えておきたいです。だから私もこうして見ることが出来た。彼らは「萎縮」しなかった。と、思いたい。
(※追記。本放送をご覧になった方より。例の『○ろせ』の部分、実際には違う言葉を言っていた-というところは再放送で更に追加されたとの証言がありました。だとしたら、萎縮どころか、より中身を強化して放送された事になるかもしれません)
取材した先での事実確認の内容は、例えばこんな具合。
4歳の少女が背後から隠し撮りで動画を撮られた挙句、SNSにおいて「クルド人の子どもが万引きをした」という投稿が拡散された件。結局動画には、少女が商品を取り上げた映像など、映ってはいなかった。お店に確認をしたところ、万引きの事実はなかった。
夜の病院前に多勢のクルドの人達が集まって「クルド人同士の喧嘩が起きて大変な騒ぎ」「クルド人に死者が出た」などという投稿が拡散された件。現場にいたクルドの人達に聞いて回ったところ、誰も喧嘩など起こしてはいなかったこと。外で多勢の人が駆け付けてきたので大声で説明をしていたところが動画に撮られていたこと。そして病院にも確認をとったが、死者は誰もいなかった。彼らは仲間を心配して集まっていた。煽られた不確かな情報で心配になって駆け付けた結果。「騒ぎ」という点だけがホントで、あとは憶測か出鱈目、或いは、悪意?
呆れ返ったのは、例の話題の自警団の男性(一見普通のおじさんにしか見えないところが逆に恐い)なんと実名顔出しで自警団行動の正当性を述べているのだけれども、「新聞もTVも見ない」「Xではクルド人の不安な情報が」って。ちょっと待ってくれないか。事実確認はされていない。『Xにあがってくる情報が不安なものが多い』で、
結局事実確認は何もなされてはいない。
路上のクルドの方を見つけては一方的に写真を撮って警察を呼んでって(自分は直接出て行かない。トラブルが恐いから? 真面目に答えている一見普通のおじさん)もし仮に明らかに怪しいと感じたら、話しかけてみたりとかせんで一方的に写真を撮る。なんかよくわからないがチクる。挙げ句の果ては、入院中のベッドで酸素吸入しながら自撮り写真をあげて、クルド人を許さない-などと、あたかもクルド人に暴力を振るわれたかのような投稿をしておいて、実際には入院はまったく別の理由によるもので。これなんか、フェイクや悪戯じゃ済まんだろ。『地道に真面目だけよりも、こうした投稿の方が好意的に見られる』などと耳を疑う発言をカメラの前で。
事実を基に真面目に訴えても地味でバズらない。それよりも嘘で盛って刺激的な表現の方が沢山の応援がもらえる。
自警団というか、こうした「注目集めの嘘」を拡散したり、離れたところから隠し撮りしてチクッてまわる監視サークル……おじさん、ちょっと、ちゃんとしようよ。ゆるくてもショボくても不勉強でもいいけど、超えたらまずい一線ってあるやんか? 倫理観とか大層な言葉を出すまでもない。嘘をついて誰かを陥れても良い理由なんて、無い。まったく無いから。
他にもクルドの人と揉めて『ムカついて』『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』などという理由で、クルド人ヘイトを投稿した(こちらは顔出しペンネームの)おじさんが、自分の行為への反省は謎のまま、あの後、周りのヘイトスピーチが恐くなって自分は今はやっていない。とか。こんな具合の人がどうも多い気がしていましたが、ここまであっけらかんと「一見普通なおじさん達」が述べる姿は、やはりかえって怖気が走りますね。(排外主義は隣にいた、と感じてしまう。こんな社会になってしまった今の日本)
ところどころ、恐怖を感じ、苦しくなりながら見ました。TVで、それもNHKのEテレで、こんな恐怖を感じた事ってあっただろうか。
否、最も恐怖を感じているのは、あのクルドの人達。子どもが、自分の家族がSNSで晒されて犯罪者扱いされたことを深く傷付き静かに訴える姿。店長さんがお店で働いていると外から(さっきの自警団のおじさん? )勝手にスマホで撮影されて、抗議をすると『通行妨害』などと言われ、別のメンバーがその様子をネットに晒される様子。
もちろん、彼らを支援する地域の人達や弁護士さん、支援組織の頼もしい代表さん(保守的な政治思想をお持ちの方で一瞬ドキリとしたが、彼に言わせれば、ヘイトを行う人間が保守を名乗るのは迷惑である-と。まさに、保守の人達ほど怒って然るべき案件であると常々思っていました)クルドの人達と支援する弁護士さんや市民の人達、更にはヘイトクライムを行う側の人にまで映しとっていった番組。多くの人に見て欲しい番組でした。
そして、改めて言っておかなければなりません。
ヘイトスピーチはスルーして良い問題なんかでは決してないという事。『デマとかフェイクよりも……』などと口にしたり、上に挙げたヘイト扇動を行う市議を『ヘイトなどではない』などと言ってのけるような人間を、私は到底信用できない。人の尊厳を守る立派な保守主義者がいるかと思えば、普段政権与党と対峙していたはずの立場の人達からも、以上のような発言が聞こえてきた事も、たまらなく悲しい。
Posted by にいさん at 2025年05月03日 16:43
『隻眼の残像(フラッシュバック)』名探偵コナン劇場版最新作!

ネタバレするぞ、読むんじゃねぇぞ。
遊びじゃねぇんだ。(blogです)
って、小五郎のおっちゃんが言ってるよ(=゚ω゚)ノチョビットネタバレスルカモシレナイヨ
最近よく周りで交わされる会話。
名探偵コナンは公安や国家機関に優しいのか?
と問われれば、必ずしもそうではない、と答えています。最後の安室さんの「エグ味」しかないやり取り、あの風見さんですら引いていたよ。否、実際あんな感じの話しを聞いていたぞ、というか、ゼロも安室も虚構の存在なのだけれど、手足となって(安室さんのみならず、あろうことかコナン君からも)荒っぽく働かされる風見さんは比較的リアルに寄せてるのかな、っていう印象。これはもしかしたら脚本家さんによるのかな(今作は「相棒」でも御活躍の櫻井武晴さんの脚本。派遣労働者の貧困を描いたエピソード『ボーダーライン』は印象深いですね)安室の手足となって時に盗聴し、身分を偽り潜入する彼らは油断のならない切れ者捜査官のはずが、常に江戸川コナン・工藤新一には見破られ、裏をかかれ、逆に欺かれ、常に翻弄され続ける展開に。原作の青山さんはどう思ってるのか知らないけれど、これまで見た限り、虚構の安室透以外の組織の彼らは常に具として使われ、なんならコケにされ(ただしそこに人間味を与えられているとは感じる)決して美化されるどころか気の毒にさえ思える有り様に映ります。更には今作の犯人ときたら公安捜査官の成れの果てなのですから。
実際の「vs公安体験談」を先輩方から散々聞かせられたり書籍で読んだりもしたし、私も時と場合によっては分かりやすく見分けがつく事もあったりしますが(時と場合による)現実の「風見さん」達は目的の為なら手段も選ばぬやり口はそのままに、一体あなた方は何を捜査してるのか-と、言いたくはなりますよね〜。何の犯罪も無い(と思う)組織を何十年にも渡って監視を続けた挙げ句、破壊活動の証拠は何も出てこなかった。って当たり前ですよね。合法な政党活動や市民運動を政府に反対してるってだけで捜査したって何も出ないでしょうよ。我々の税金を使って何やってんすか? って話。もっと他に反社会的カルト集団でもしっかり捜査したらどうなんですか。
ちなみに、周りの「コナン世界の警察官達」は、たしかに(きっと現実にも、佐藤さんや高木さんのような人もいるのかもしれないけれども)善人揃いなのは御愛嬌として、現実の警察官ってなんなん? って言いたくなる事が最近実に多過ぎませんか? とは観ながらしみじみ思ってしまいましたよ。せっかくコナン君達が解決しても警察が集まったはいいがちゃんと逮捕してくれるのか。劇中の、ヤバめの司法取引の方がリアリティを感じてしまうって一体どうなってるんだい? ですよ。(現在とはきっと状況は異なるのは承知の上で、先日国会でも質疑がなされた「731部隊の医師」は、アメリカとの司法取引で解放されたと聞いている。悍ましさの極地だ)結局薬なんか所持もしていない芸能人には異様で強引な捜査をする一方で、犬笛を吹いて何人もの人たちを自死に追い込んだ人間を逮捕すら出来ないというのは意味がわからない。目暮警部ならば「反省のない大馬鹿者」と怒鳴りたくもなるような人間が裁かれる気配が無いというのはどうしたことか。
あえて、その点(vs権力描写に)触れるとするならば、最近身近で語られる程には、あの捜査機関への描写は甘くはないと思う一方、警察の主要キャラクターは癖は強いが善人ばかりであるという点は、あるかもしれませんね(まあ、表向き少年のコナン君に理解があり過ぎるところはストーリーを進める上ではある程度は致し方なし、というところでしょうか)あくまでも、これは、名探偵コナンという「箱庭世界の中の虚構」を楽しむ仕掛けの作品ですから。常に「現実vs虚構」の火花を散らせつつ、日本を舞台のミッション・インポッシブルと思って楽しんでいます。最近の劇場版は『和製MI』テレビアニメ版はバラエティに富んでいますが、基本的には本格推理を柱とした『現代版少年探偵団』といった感想を抱きます。原作は非常に(というか今更、30年近く遅れて)最近少しずつ読み始めたばかりの「コナン初心者」でございます(汗)なんとなく劇場版はレンタルビデオ時代からDVDや配信で。最近になってアニメ版からハマってTVで毎週見始めたという次第。
今作の中心人物はやけに人当たりが柔らかくなった? 長野県警の大和敢助と、眠らずに友の為に泣き、闘う毛利小五郎。名バイプレイヤーとなるは頭脳明晰、諸葛ではなく諸伏高明。(大和、佐藤、高木のレアなトリオが揃って啖呵を切る場面。劇場版ならではの揃い踏みの高揚感、ありましたね〜)
仕掛けは天文台と衛星電波。圏外の山奥。迫り来る雪崩の危機。山小屋で出会う謎の男。
恐るべき敵にレーザー光線と小五郎の弾丸が迎え撃つ!(もちろん、灰原も蘭ねえちゃんも活躍するよ♪)
やっぱり、ミッション・インポッシブルだな。
そしてこれが、劇場で観た初めての『名探偵コナン』として、自分史に刻まれることとなりました。
Posted by にいさん at 2025年04月27日 18:32
米兵による被害への怒りに対し(更には被害者にまで)暴力を加える人たちと自公政権の態度と。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a1ced3bb250827c6dcbf4e32f1781d77b5fed2f5
『県警によると、両事件とも日米地位協定に基づき、海兵隊員の身柄は米軍が管理下に置き、県警は米軍側に捜査協力を求め、任意で事情聴取をするなどした。県警は起訴前の身柄引き渡しの必要性を示していないとみられる。起訴前の身柄引き渡しの要求について県警は「日米合同委員会で提起されるものと承知しているので答える立場にない」とした上で、「米軍の捜査機関と連携して必要な捜査はできていたと認識している」とした』(琉球新報記事より)
またもや日米地位協定。そして問われた日本政府の閣僚は『コメントを控える』だと?
どうしても思い出さずにいられない。沖縄で暮らしていたあの日。うるま市の女性が米軍属の男に殺されたという報道をカーラジオで聴いて、身体的に苦しくなって車を停めた。あの時の胸のざわつき。更に追い討ちをかけられたのはFacebookであげたそのニュース速報の話題に対して攻撃的かつ(犠牲になった女性への)侮辱的な発言が一部のアカウントから浴びせられた事。
曰く「あんた達は怒り過ぎ」だのなんだの、挙句被害者にも問題がなど(信じられない言葉ばかりだった)海外に住む年長の男性だったが、心削られながら、いかにあなたが言っている事が暴力的な行いであるか、ネット上とはいえSNSという開かれた空間でいかに不適切なコメントであるかと、そんな地獄のような議論が数日続いた記憶。しかし被害当事者の身近な人達の投稿から伝わる悲しみは想像を絶するものがあると感じずにはいられませんでした。(沖縄本島の中での人間関係、誰かとは繋がっていたりして。複数の友人と接点があったことも、より事件が近く感じられ)
県民大会で登壇した若者が日本の政府と共に、「本土で暮らすあなた達」への責任に言及した後、他県の多勢の人間から度を越した批判(というかあれこそまさにバッシングと呼ぶべきもの)が飛んできた恐怖と絶望感も込みで、どうしても記憶が呼び覚まされてしまうのです。このような事件が繰り返されるたびに。
本土に暮らす私たちから、今日(リアルもネットも含めて)ほとんど話題になっていないのはどういうことか。沖縄の地元紙は1面トップで伝えているニュースです。(こちらは赤旗がかろうじて1面の隅に。朝日は22面にやっと見つけられるような扱いに)
Posted by にいさん at 2025年04月24日 18:45
俳優座『猫、獅子になる』(別府市民劇場第127回例会)

別府市民劇場で劇団俳優座の『猫、獅子になる』をビーコンプラザ・フィルハーモニーホールで観ました。これから各地の市民劇場でご覧になる方もいる事でしょう。ネタバレは控えめに。
8050問題の現場では、誰もが「困った人」、ではなくて「困っている人」です。それは(私自身も含めた)日本の社会の姿そのものに見えてきてならなかった。
そう、ここでは賢治が使った「可哀想」を、あえて「困っている」に置き換えて語りたいわけで。(ここ数日、ネットをざわつかせるこのワード)みんな、何かしらの境遇を抱えて、それなりに困っている。ちょっとこれ以上は……そんなギリギリのところに、あのクラゲ先生のような大人が、力を持った人物が、「コントロール」などしてはならぬのです。コントロール、或いは排除を。「上手に処理する」大人を信じてはいけない。でも、
半分は同感してしまいそうですか?
うまくいなかったら解散しちゃえって、普通に、悪意なく、むしろ半分同感しちゃう位、仕方がない判断として。あのクラゲ先生と同じことに手を染めてはいないだろうか。そこで、誰かを踏み付けてはいなかったか。そこに美夜子やロドリゴのような人がいたかもしれない。そんな想像力は、この舞台を観た後ならば湧くようになっただろうか。
しかし改めて、力を、責任を、影響力を持った大人の振る舞いについては、強烈に考えさせられるわけです。あれは、鋭い刃を含んだ言葉に対応する防御としての切り札の発動だったのだとしても。あの行為は紛れもないマンスプレイニングであると私は思う。しかも、いかにも丁寧に教えてあげている体の中に悪質な嘘を織り交ぜて。美夜子を折りにいっている。あのような悍ましい光景が現実にも目に入ってはいないか。下手をすれば、あの先生に「半分同感」すれすれな瞬間がありはしないだろうか。いかにも自分の方が被害者であるかのような仕草と共に。
先生だけではない。妹もお母さんもお父さんも(ただし、その有りようは先生とは違うと思いたいにしても)もしかしたら明日の自分の姿かもしれないというリアリティ。自分はなんとか部屋から出てはいるものの、一度は体を壊した身で実家に帰ってきた人間です。リハビリは結果的には前向きに進んで働けるようにはなったけれども、両親とは持ちつ持たれつ、以前のような独り暮らしとは違う身の上。もし自分がもっと深刻な事態になっていたら、と思うと、決して他人事ではありませんでした。昨年、母が大変だった時の事も頭をよぎってなりませんでした。心底ドキドキしたし、今のように介護支援のスタッフの皆さんに助けてもらえてなかったら、きっともっと疲弊していたと思わずにはいられない。
そしてあの家族は、もしかしたらこの社会の中で、バラバラに、必死で生きている私たち自身の姿を映し出した姿なのかもしれない。「もう、いっぱいいっぱいだ」結果、この家族を言葉によって歩み寄らせたのは美夜子ねえさんだったのかもしれませんね。ねえさんが書いた脚本も。
決して、誰かが誰かをうまく動かそうなどとはしなかった。皆が「困っている人」で、互いに関与し、共に生きようともがいていた。
人は知らずに誰かを踏み付ける事もあれば、逆に誰かの力になる事もあるのではないでしょうか。たとえ時間がかかったとしても、その「力」は自分や周りの人たちに思いもよらぬ形で返ってくるものだったり。そこは作者の理想主義ですか? いや、理想を語って何が悪い事がありましょうや。『この舞台が誰かの力になりますように』そんな事を願いながら、私も力いっぱい拍手を送っていました。
追記。帰宅後「岩崎加根子さんの舞台を観た」と話したら父親が驚いていました。昔、裕次郎の相手役として、よく映画で観たそうです。カーテンコールでは御歳92歳の投げキッス。素晴らしい姿でした!
Posted by にいさん at 2025年04月17日 23:28
ドマコモンズの【土間会】行ってきました!

昨夜、地元・別府市の しーじゃ 松岡孝志郎さんによる『土間会 沖縄リポートスライドショー ~映画祭からまち歩きまで~with沖縄料理』が別府市弓ヶ浜のドマコモンズで開催されました!
つい先日沖縄から帰ってきた松岡さんによる沖縄リポートをスライド写真で振り返りながら皆でわちゃわちゃと。緩いようで濃ゆい(とことん濃ゆい)deepな沖縄語りを、これまた旅人のような参加者の皆さんと共有しました。
私が(住処として)沖縄を離れたのが、もう8年前になりますか。那覇市民ではなくなってからも、2019年までは劇団員として沖縄には仕事で頻繁に通い続けていました。2020年に劇団を退団してからは、休職及びリハビリ期間を経て、沖縄に関するNPO活動を開始して、現在は約2年に1度の間隔で沖縄通いをしています。そんな最近は、新たに沖縄を訪れるたびに「自分の知らない沖縄」の景色が広がっているようで、驚かされるやら、ほんの少し寂しいやら、色んな感慨が混じり合って、迫り上がってくるような感じです。
松岡さんが写真で紹介してくれる沖縄は、「今まさに失われゆく景色」「まったく新しい景色」そして「変わらない景色」どれも心掴まれる景色でした。(ちなみに、所謂ニュースや旅行誌等で取り上げられるようなメジャーなリゾート施設や真っ青なビーチ等はもちろん一切出てきません。そこが良いのです)
新しい景色は、ほぼ自分が沖縄を離れてから生まれたスポットばかり。那覇市のミニシアターの複合映画館・桜坂劇場は当時私も会員で足繁く通いましたが、なんと桜坂に4つ目のスクリーンが3階に出来た事。しかもそこでは(他にも会場あり)新たな映画祭「沖縄環太平洋映画祭」が開かれており、この映画祭への参加報告はめっちゃ羨ましい限りでした(笑) 私がいた時にやって欲しかった。絶対参加したのに! というちょっぴり悔しい気持ちも? (例の、春のよしもと赤絨毯祭りは、正直あまりノッていけなくて。プロダクションが前面に出ていたせいだろうか-等と最近も色々と考えさせられました)
海外で最近になって「発掘」されたという米軍統治下における沖縄を舞台にした台湾映画も非常に気になりましたが、特に気になって仕方がなかったのが『おんどりの鳴く前に』の紹介の仕方が、際立ってユニークだった事。「その展開」に至るまで、一体何が起きたのか(゚ω゚)!? 逆に内容が気になるやんかっ∑(゚Д゚)っていう(笑) 地元のブルーバードに来るか配信開始するかしたら必ず観たいと思いました。とにかく紹介の仕方がめっちゃ面白かったんすよ。
沖縄を中心点のようにして環太平洋の国々の映画が映し出す世界というのは、普段日本のTVやハリウッド映画を通して見る「日本からの景色」とは、まるで違ったものが感じられるようです。歴史も、文化も、映画を通して、新たな世界が感じられる体験。良いですね。
そして、日々更新されていく沖縄の景色。あの歩道橋も。市民会館も。ああ。
新しく変わる一方で、松岡さんが写し取る、ふとした街並みの景色には、逆に、変わらないままそこに在り続ける事への驚きに溢れていました。沖縄ならではの不思議な建築スタイルの数々。石敢當。シーサー。猫。起伏のある地形ならではのユニークな建物風景。亜熱帯の樹木の存在感。数多い 謎のスポット 。
最後はガラッと空気が変わって? 豪華レジェンド・アーティストのLIVE風景も(撮影可能な範囲内で)今回もまた、充実した旅になったようで何よりです。終了後も、これまた魅力的な参加者の皆さんとの交流もとても楽しい時間でした。今度は地元別府で行われていたというアートな話題にびっくりさせられながら。不思議な、そして実に親密な、心地好い時間でした。
Posted by にいさん at 2025年04月14日 15:04
ブルーバード劇場は喝采に包まれました(映画『喝采は聞こえない』を観ました)

別府市を舞台に制作されて、地元の映画館・別府ブルーバード劇場で上映される〈別府短編映画プロジェクト〉。本日から上映された最新作はチュートリアルの徳井義実さん監督、トキヲイキルの岸田麻佑さん主演の『喝采は聞こえない』。
実は撮影時に、こちらの作品のエキストラに参加させてもらいまして(人生初のエキストラ体験でした。場所は別府市公会堂で)まあ、一応探すわけですよ。うん。暗くて、わかんなかった(笑)でも、良いのです。あの場の空気を共有出来たことは貴重な体験でした(^_^)貴重な体験を、ありがとうございました。良いのです。
良いのです。映ってなくても。
そして、エンドロールでもまた、一応探すわけですよ。
!
ありましたね〜。
普通に感動するもんですね〜。
本当に貴重な体験を、ありがとうございました。
良いのですよ。映ってなんかいなくても。
映画の方はこれからしばらく、別府市のブルーバード劇場で上映されるそうなので、是非ご覧いただきたく、ネタバレしないように書きます。
まずですね〜、この短編映画プロジェクトの魅力のひとつであります別府市の景色について言いますと、
私の好きな東別府
たっぷり出てきます。東別府マニアの皆様(本当にいらっしゃると思う。東別府駅から浜脇あたりにかけてのあの界隈。私には最高の散歩コースなのであります)にはたまりませんね。ただし、あそこのお寺でああいうことしてる人はいません。ああいうことが何かは言わない。映画を観て下さいね。
個人的な思い入れに寄せて言うと、最近、私の故郷の景色でもある楠銀天街のアーケードが遂に(老朽化の為)撤去されてしまったり、図書館も市役所の横に来年移転してしまうとか。これまでも中学校や小学校が次々となくなってきたりで、別府市の南部地域が寂しくなってきて危機感を持っていたところでした。(ただし、楠銀天街は〈くすぎん通り〉として新たなスタートをしていたり、新たな交流スポットとして100年を超える古民家を改修したブックカフェSpaceBeppuも出来たり、清島アパートも元気だったり、友永パンは不動の絶対王者ぶり? 今もなお魅力的な地域ではあり続けているのです)
そんな南部地域に愛着のある市民のひとりとしては、「この景色」を映画の映像として遺してくれた事にも、本作品の価値を感じました。
上映後は、徳井監督と主演の岸田さん、そして企画・プロデューサーの森田真帆さんによる舞台挨拶とアフタートークが行われました。なるほど〜。正直、自分芸能界に詳しくないので、徳井さんの過去のニュースの事そんなには知らなかったのですが、「その時期」に監督のオファーを受けて、一回人生を閉じたつもりで生き直すか、というか、キャッチコピーにならうなら、人生きりかえますか。というドラマを、最初は極めて救いの無いお話しだったのが、さて、どういう具合に仕上がったのかについては……映画を是非ご覧になって欲しいです。
その意図するところは、ストレートに、ダンサブルに、煮卵ふたつってな具合に、
伝わってきたと思います。
人生においては誰しもが、ね。(あの場面であの台詞を言うか、っていう)
そうっすね〜、劇団員だった身からすると、これは、演劇あるあるってよりも、芸能界あるあるなのかもしれませんね。その当事者だったり、詳しい人には、より解像度高く楽しめるのかもしれません。
それから、徳井さんのファンの方は絶対に観た方が良いですね。さて、どこに徳井さんは出て来るのか? ってところも。
いや、本当に貴重な体験をさせていたさました。いいんですよ。映ってなんかいなくても(^_^)ありがとうございました。
いいんですよ。
映ってなんかなくても。
全然。そういうの気にしないんで。
Posted by にいさん at 2025年04月06日 22:53
映画『かなさんどー』を別府ブルーバード劇場で

いなぐはいきがぬ為にはないのです。
今はもう、そういう時代ではないし、あってはならぬのです。
だからこそ? 美花は反発を覚えたわけで。
(ゴリさん、照屋年之監督の映画『かなさんどー』を別府市のブルーバード劇場で観ました。ネタバレは抑え目に )
だけれども、Kジャージさん(以下Kジャーさん)がここまでの大役抜擢? には少し離れた親戚目線のような、何故かモジモジしてしまいます。Kジャーさんのファンは絶対に観るべき映画。世界のエミー賞・忠信との共演しかと目に焼き付けよ的な作品になりましたね。よくぞ抜擢してくれました。今回、お母様の死をきっかけに、父・悟のもとから離れた娘・美花をどうにかこうにか病床の悟に会わせようと奮闘を重ねる重要な役割を担います。まじでKジャーさん出ずっぱりで、物語を回していく人ですよ。ハマりまくりというか、本人に当てて書いたのかもしれませんね。繰り返しますが、Kジャーさんのファンは絶対観るべき! 別府市にも、いると嬉しいな。かく言う私はKジャーさんや、ひぃぷぅさんのオリジンコーポレーション「箱推し」の別府市民であります(=゚ω゚)
そうそう、ひぃぷぅさん(真栄平仁さん)も出番は決して多くはないけれど重要な役柄で出てきますよ。是非、ティーサージリスナー、ROKファミリーの皆様はどこで出るのか楽しみにして観て下さいね。が、しかしラジオは久茂地の局様のげんちゃんさんの番組(≧∀≦)この、げんちゃんさんの歌が非常に重要なこの映画。ゴリさん・照屋監督は、前作の『洗骨』といい今作といい、「弔い」を通して沖縄を描こうとしている印象でしょうか。又、タッチュー(城山)はじめ伊江島の風景全開で出てくるので伊江島好きにもたまらないストーリーなのですが……個人的にも馴染み深い島・伊江島というと、映画でも描かれるテッポウユリの咲く景色と共に浮かんでくるのは、激しい沖縄戦と戦後の米軍による弾圧の記憶が今も深く刻まれた島である-という点も、どうしても頭から離れがたく浮かぶ島でもありまして。という、それは私の思い入れの問題ですね。ここではあくまでも「家族の愛と許し」の物語であって……というふうに自分に言い聞かせつつ-という具合でございます。どうしても、その場所の景色の向こうの歴史が気になってはきました。あの「タッチューの向こう側」に何があるのか? っていう事も含めて。
名曲「かなさんどー」は好きな歌でありますが、改めて今回歌詞をじっくり聴いてみると、なかなかに、時代を映しているというか。堀内敬子さん演じるお母様は魅力的ですが、歌詞は浅野忠信演じる父親に寄り添う「妻」町子さんの愛情で表されているような。弱い父の方に寄り添っているように響いてくるというか。「綺麗なこの日常を壊さないで欲しい」「表には出ていないものまで詳らかにしないで欲しい」というパートナーの心理も心理としてはあるのかもしれない-とは理解しつつ、しかし私は冒頭の美花の気持ちの方に共感したくなってしまうのです。(話しの展開として、それでは「許しの物語」とはならないかもしれませんね 。でもどうしても、そこを思いはしました)
表には見えていない(描かれてはいない)景色やドラマが気になってしまうのは、私の悪い癖かもしれません。
たとえ嵐の吹ちやてもかなさし行かやわったーたい
とは、愛するふたりのみならず、「現実のこの島の人たちの姿」へと重なってくる私でした。
追伸。しつこいけど何度でも書く。Kジャーさんのファンの人たちは全員観て!(≧∀≦)
あと、松田るかさんって、
エグゼイドの人だよね(=゚ω゚)(見たことある見たことある、って思い出しながら観てた)
Posted by にいさん at 2025年04月01日 18:24
【第34回 沖縄式読書会】開催!


本日3月30日。別府市やよい天狗銀天街のyoiyaさんにて『沖縄式読書会』を開催致しました。今回は5人の参加者の皆さんで賑やかに。大分市からの参加者様は、わざわざ時間を作って下さり前半部分だけでもと来てくれました。
今回集まった御紹介本はこちら。
黒木登志夫『健康・老化・寿命』(医学博士がきちんとしたデータで示してみせる「人の肉体は何故老いるのか? 」この本のユニークなところは、その老いや健康といったものの解説に古今東西の映画や文学を引用させながら語ってくれる点らしく。なかなか興味をそそられます)
加藤幸子『家のロマンス』(祖母が語る家の過去とは? 戦後まもなくの時代に家族ひしめく1つの家の中で起きた出来事。語り手は孫娘に受け継がれて、重い事件もありながらもユーモアを交えた語り口で進んでいくそうです。選者様がこの本を借りたエピソードもなかなか面白かったのですが、そこは読書会に参加してこそ味わえる楽しみという事で)
『ソール・ライターのすべて』(写真家ソール・ライター氏のニューヨークを写した写真にとにかく魅了されます。アートや写真に詳しくなくとも、美しいものは人の心を打つものですね。それは1950年代の色鮮やかな風景。こんなに綺麗なこの時代の写真を見たことがありません。景色、構図、画質のどれもが見事。いままたInstagramなどでも話題になっているのだとか)
雑誌『Coyote』(今号の特集はパタゴニア! 以前はメーカーの「パタゴニア」特集もあり今回もしっかり広告でタイアップ? そして改めてパタゴニア地方とはどこかという話しから。そこでは多くの土地を買い取って、自然を保全する運動が広がっているという話しにも感心しました。日本では、こんな規模の環境保全はもはや難しいというか、まだ開発が進む気配で、というような話しにも膨らみつつ)
瀧井宏臣『東京大空襲を忘れない』(選者様の友人でもある著者は元々NHKの記者出身で、退局後に世界を回るルポライターに!? 時には世界各地で井戸を掘るボランティアまで。実に行動的な著者が向き合った戦争の記憶。東京大空襲について。10万人以上とも言われる人々の命を奪った焼夷弾の表紙も恐ろしい。 そして「おみG」名義での歌集『こころあるみ』とタイ・カンボジアで出会った日本人たちを描く『転生の大地』も御紹介いただきました)
斎藤文彦『力道山』(戦後日本の国民的大スターの生涯を、力士時代から「国民のヒーロー力道山」として生きたプロレスラー時代まで。伝説の木村政彦戦の真相ももちろんですが私としての白眉は「日本プロレス界の至宝」誕生を巡るミステリーに迫るくだり。「力道山がアメリカでルー・テーズを破って世界王者に」という真相の不明なスクープがもたらされます。本人の電話による証言と否定する通信社による報道。錯綜する情報(何故かいつも残すはずの映像は無く。ベルトも本人の手元には無し)著者は丹念に当時の記録や記事を突き合わせてファクトチェックを行なっていくのです。その真相というか、結論や如何に)
山里絹子『「米留組」と沖縄』(米軍統治下の沖縄で、アメリカは国策として沖縄の若者達をアメリカへの留学生として受け入れていきました。統治者としてのアメリカの思惑や、「金門クラブ」のイメージから、正直ネガティブなイメージがなかったわけではありませんが、米留組と呼ばれた彼ら彼女らの、ひとりひとりの歩んだ姿の多様なこと。「大きな物語」には収まらない姿があったことがわかってきます。それから、キャラウェイのあの歴史的暴言と、その後の顛末についても)
そして今回34回目のプレゼント本はこちら!
トーン・テレヘン『ハリネズミの願い』(著者はオランダの医師です。児童文学との事ですが、むしろ大人の人たちにもお勧めして良いかもしれません。選者様によると「動物版の人間失格」だとか。引っ込み思案なハリネズミがパーティーを開いて友人の動物たちを招待したいと願うのですが……。こういう事って、案外誰にも思い当たるところもある話しなのかもしれませんね。密かに碇シンジくんの姿を思い浮かべつつ)
山崎さやか『NANASE』(ご存知筒井康隆さん原作の物語を山崎さやかさんが漫画に描きました。「わかってしまう」ことの悲しみ。男性性の発する禍々しさに囲まれるという地獄。これを女性は味わっているのか? と読み手は今更ながらの気付きと戦慄とを覚えつつ。この地獄の中で七瀬は戦わざるを得なかった。自らの身を守る為に。そして、力ある者「たち」は弾圧を受け、追われる身となってしまうのだろうか。ヒリヒリする描写が、読者に痛みを与えてきます。これがtelepath )
宮崎駿『シュナの旅』(これもまた宮崎駿さんの知る人ぞ知る名作! 以前も御紹介いただきましたが、ビニールがかかった新しい状態で持ってきていただきました。基はチベットの物語。シュナという貧しい国の王子が、黄金の小麦を求めて旅に出ます。「生きることとは? 」そんな問いかけと共に、やっぱり宮崎さんの絵が素晴らしい)
パーネル・ホール『サスペンスは嫌い』(人生は裏目続き。サスペンスが嫌いな探偵さんのシリーズ。彼の名はスタンリー・ヘイスティング。ヤバ目の脅迫案件に尻込みしつつも高額報酬につられて依頼を受けてしまった。しかし依頼人に連絡出来る人間は限られてるから、関係者をあたればすぐに……っておい、事情を聞きに行った相手が殺された挙句、自分の名前を書いたメモが。もう、引き返せないぞ探偵さん。やっぱり、ヤバい依頼だったらしい。だからこの人サスペンス嫌いなんだってば! )
沖縄県現代俳句協会編『沖縄歳時期』(亜熱帯に位置する沖縄の季節は独特なものがあります。他県のように雪の降る冬が無く、春夏秋の間々に入っていく細やかな季節の移ろいを言葉で表す面白さ。うりずん、晴明祭、沖縄独特の季語や文化について。これは、手放したくはない、けど読んでもらいたい。そんな辛いせめぎ合いを経て(笑)やはり読んでもらいたいこの歳時期を、主催者より今回のプレゼント本として選ばせていただきました)
Posted by にいさん at 2025年03月30日 22:59
今日がその日ではない(『侍タイムスリッパー』Amazonプライム・ビデオに見参! )

今日がその日と申すか
時代劇の終わり
熱狂した鬼平犯科帳、中村吉右衛門は虹の橋を渡って行った。水戸の御隠居は本当に隠居してしまい。必殺仕事人は、とうとうスペシャル番組すら放送されなくなってしまった。もはやTVの地上波で、大河ドラマ以外の時代劇は(あまり)見当たらなくなってしまった?
いまの人たちは時代劇など見ぬのだ新左衛門よ
殺陣師の人たちの技は、文化は、失われてしまうのだろうか
冗談には聞こえぬ真実味を帯びた言葉たち
歴史の中で培われた技や文化は、新たな何かに駆逐されていく?
レコードがCDになり、ベータとの闘いを制したVHSがDVDに置き換わったと思いきや、あっという間に「配信サービス」というものが音も映像も全て飲み込んでしまった。現に目の前のAmazonプライムなるサービスで「いま斬られんとする新左衛門」を見詰める私、という俯瞰のショットが、残酷である。
新左衛門が斬られる時、時代劇は沈黙する
今日が、その時と申すか、申さぬか
ゆうこ殿の言う通り、斬られ役を志願するなど今どきびっくりされる事らしい。鬼平に夢中になる前は、子どもの頃に見ていた銭形平次、木枯し紋次郎、江戸を斬る、水戸黄門、必殺シリーズ、人形佐七捕物帳、映画は七人の侍から柳生一族の陰謀からたそがれ清兵衛やらなんやら毎年凄いのが必ず映画館で流れていた。子どもの頃はそこがメインストリームだった気がする。
そんな子どもの頃に見た時代劇のおじさん達の記憶が走馬灯のように、
まだだ。まだ走ってはいけない。
新左衛門、否、山口馬木也さんは『剣客商売』秋山大治郎なるぞ。剣客の殺陣は本物である。愛してやまない池波正太郎さんの遺した作品にだってまた出会いたいではないか。もちろん『剣客商売』も私は見ていた。山口さんがこの映画で脚光を浴びたって? 彼の刀さばきは凄いんです。実は斬られるのも上手かったんです。
サムレエって言葉に最近若干の嫌悪感を抱きかけていたけれど(どっちかってえと日本のマイノリティで支配層だったもんを我々の代名詞として使う事には色々と思う事はないわけではないが)時代劇は好きだし剣豪は好きだし、俺たちのウルトラマンや仮面ライダーのアクションを支えていたのも殺陣師の人たちじゃないか!
失ってはならない。だから風見さんも帰ってきたわけで(ちょっと前の真田広之さんのエミー賞スピーチを思い出しつつ)時空を超えて、武士が現代の「担い手たち」にエールを送っても、良いんじゃないか。力強いメッセージじゃないか。抜いた刀が光って、静寂の次の瞬間ふたりの体が交わって、離れる。ああ、そうだよ。これこれ。前から、スターウォーズでやって欲しいって思ってた「動き」がこれ、なーんて事もぼんやり思い出したりしながら。うっとりしながら、見詰めていた。
まだ、走馬灯は走ってはならない
時代劇の文化も、映画という文化も、
今日がその日ではない。
Posted by にいさん at 2025年03月23日 21:53
別府市新図書館を前にしたオープンプラットフォーム会議が行われました。

いよいよ1年後、2026年3月に別府市新図書館がオープンします。施設の名称は「こもれびパーク」。図書館の他に、地域交流センターも入った複合施設です。この期間、私も加わらせてもらっている市民有志のメンバーで、この別府市の新図書館への疑問、懸念する点を話し合って共有し、行政にも働きかけを行ってきました。
懸念、とは?
この施設内の図書館が、私たち多くの市民が声をあげてきた「市の直営」に決まった事はとても良かったのですが(少なかった蔵書数も約2倍近くに増えて、広く快適な空間になる事も嬉しいのですが)しかし同じ施設内に入るという地域交流センターなる空間が、指定管理者が行うという話しで。しかも市営(公営)の図書館と民間の指定管理者とが合議によって「こもれびパーク」を運営するという話しになっていまして、「それってどういう事!? 」「限りなく指定管理による図書館施設になるのでは!? 」と、周りの別府市民の間で戸惑いの声が今起きているのです。先日の地元議員さんの市政報告会でもその事を発言したところ「それは問題やわ」という先輩方からのお声かけもいただいたばかり。
本日のシンポジウムでは、その新図書館に整備事業アドバイザーとして関わっておられる常世田良さんも登壇されるという事で、市民運動メンバーで別府市公会堂(中央公民館)へ行ってまいりました。先輩からは事前に上記の懸念事項を伝達の上、(私も書きましたが)質問用紙でも指定管理者問題について記入し、最後にひとりだけの質疑応答にも先輩が挙手するも結局当てられず……。とうとう指定管理者による運営の問題には触れられないまま講演とシンポジウムは終わってしまいました。
ちなみに、何故、指定管理者が図書館を運営してはまずいのか? って話しなのですが、民間業者による指定管理での図書館運営が、今全国で非常に問題になっておりまして。(例のTSUTAYA図書館もそうです。あそこはCCCって会社)指定管理者制度を採用した図書館の多くは本の納入業者が運営を行なっています。本を選ぶ人が業者さんになってしまうと、より儲けの多い本ばかり納入する傾向が強く、実用書、ビジネス書やベストセラーの本ばかりが多く並んでしまう事になる事態が起きています。新刊書店では手に入らない希少な本や絶版になった価値ある本たち。決して多くはないが街の誰かに必要とされる一冊よりも「よく売れてる本」が新刊書店のレジ前の本棚のように並ぶという感じ。更に酷い例としては、儲かる本ばかりか、もはや使えない古い観光ガイドブックや情報が既に更新されている古くなった専門書など、謎の(手抜き、ですよね)選書を行なっている事例まで出て来る始末。指定管理者の業者は指定管理料に加えて図書の購入で大きな利益をあげるそうで、そこで働く専門職はほとんどが低賃金の非正規雇用であるという事も問題視をされています。公務員ではない為、仕事で得た知見が市の文化行政や教育行政に反映される事はないとも指摘されています。
せっかく図書館が市の直営になって安心したのも束の間、民間業者(指定管理者)との合議で施設の運営を進めていくって、それって半分民間業者の図書館にならないですか? という懸念。更に無視出来ないと考えているのが「公営の図書館と民間業者の指定管理者が同じ事務所」って話しで(!) いやいや、だって、市民の個人情報を扱う事務所のスペースを民間業者と共有するってどういう了見ですか!? というわけで、市民の側から度重なる要請を行い、署名活動まで行なってきましたが。あれだね。別府市の行政って、決まるまでは何も明かさず(指定管理者選定過程から施設の図面等色々)決まってから事後承認みたいな? もう今の別府市の対応には不信感を抱かざるを得ないですね。署名まで行ってきた「分館を求める声」も、先日別府市議会で共産党の美馬きょうこ議員が質問してくれましたが、今のサザンクロスには助成金の関係で残せない。それ以外はほぼ無回答(というか「分館は作らないと言われていた」と議員から)美馬さんの質疑で市の担当者からようやく「今後、図書館機能をなんらかの形で残せるように具体化をしていく」との発言を引き出した事は、まあ良かったけど。「分館」とは最後まで言わなかった別府市。(市議さんでは、自民党のあべ一郎議員も熱心に話しを聞いてくれたそうです)
しかし、ギリギリ図書館自体は市の直営という事になったわけで、あとは、偉い先生に言われるまでもなく、多くの市民が利用して、多くの声、要望を届けていく事で地元の図書館を磨いていく。ってそんなこたあ言われなくてもみんな考えてるんですよ、って言いたくはなりましたよ(^◇^;)
一方で、前々からお会いしたかった松田法子さんの講演が聴けた事は純粋に嬉しかったですし、まさかの岸ママエピソードには客席で大笑いしてしまいました。そしてこれは(松田さんの説明の中で触れられた)嬉しい話しとしては、これまた正面玄関から遠く離れていて気になっていた郷土資料館が、外の開けた空間からも出入りが出来るという事がわかったのは良かったですね。郷土資料が不遇に扱われていたわけではなかった(と思いたい)行くのが今から楽しみになりました。(ただ、もう少し広く場所とって欲しいとは思ったけれども)市民による歴史語りや思わぬ歴史資料についての話しも松田さんと中井さんから触れられていて実に興味深いものがありました。
そんな、モヤモヤ半分(以上? )図書館の楽しさ半分の、ちょっと複雑なシンポジウムでした。
今度は出来たら同じ時間、松田法子先生による別府の戦後史に触れる講演会をじっくり聴きたくなりました。(次は純粋にお話しを楽しんで聴きたいというか……)
(今回のblog記事の参考資料は「図書館フレンズべっぷ通信」より。別府市立図書館など公共の施設に置かせてもらっているので、是非手に取ってみてくださいね♪)
Posted by にいさん at 2025年03月22日 21:43
『怪物と聖剣 ~ 決戦』(ドラマ『相棒season23』最終回)

さるこうあんの情報筋から。
お喋りな男……
なるほど。そうですか。そうですか。
(ネタバレは上からの圧力で控えめに? でも、これから録画や配信で見る人は、是非ドラマを先に見てね)
昨夜、最終回を迎えたドラマ『相棒season23』。ここに来て妙に既視感を覚える展開とこの恐怖感。「右京さん、なんだか世界が壊れてきている気がするんです」けれどと亀山薫の言う通り。世界中が今おかしいと思うよ私も。ねぇ、右京さん。
僕たちは、やれる事をやるだけです。
と、杉下右京は揺るがない。が、しかし、キワモノ的な人物が選挙に出ては当選していく。嘘かホントかわからない情報が飛び交って、真実を追及しているはずの人たちが追い込まれていく様はどうだ。(このフィクションとは思えぬ点もまた際物感絶大なのだが)挙句そいつは知事になり、信者のような応援団が敵認定した先へと凸する地獄。言うまでもなく、単なる抗議の凸ではない。デマがホントを凌駕していく。そして、人が死んでいく。
右京さん、嘘は真実よりも強いのですか?
そうあってはならないと、下の人の思いと中の人の思いと、離れた場所から「権力には関心がない」と言う上の人とが力を合わせて立ち向かうんです。
嘘まみれの知事がこのままでは国のトップになってしまう。止めるのは今しかないと言うけれど。
敵は力があり、大胆。
「だが、頭が悪い」と右京さん。
「悪について考えている」というラスボスとの対決はお預け。しかし「ありきたりですねぇ」と、いつも以上に辛辣な杉下右京の安心感。亀山薫の愚直な正義感は怪物を倒す聖剣か? (正義という言葉は嫌いだが「正義感」と「正義の味方」は大好きなのだ)トリオ・ザ・ソウイチは「三銃士」に格上げか!?
しかし怪物の首のひとつは倒したが、一番恐ろしい奴との決着は次のseasonで着けてくれるのだろうか。その前に、世界が壊れていない事を、半ば本気で祈る私です。
お喋りな男……
冠城、亘か 。
Posted by にいさん at 2025年03月13日 20:59
月亭太遊 in OitaCity (月亭太遊師匠と大分市で交流の集い)


月亭太遊師匠が目の前にいる。
幻ではない。
この人を呼んでしまった後に「えらい事になっちもうた」なんて思ったことは絶対に言えない。
だって、あの、上方落語家・月亭太遊だぜ?
大分市議選で高原みな候補を応援していた時に、太遊師匠からの応援がどれだけ嬉しかったことか。そしてあの「赤旗とってみた」の動画がどれだけ全国的な反響を呼んだことか。あの動画に全国の #アカハター がどれだけ勇気付けられたことか。
太遊師匠が故郷の竹田市に帰省するという。そんな大分県内滞在中に「交流したいですね〜」なんてその時は自然なやり取りだったのが、直後に、ふと冷静になる。
あの、月亭太遊師匠をな? と。
だって今一番「推しの落語家さん」と繋がるSNSって、凄いけど、恐くないか? 恐いけど、今ここで会わなかったら、多分ずっと後悔するとは思ったから地元のJCPサポーターの皆様に急遽相談とお声掛け。大分市と別府市の初対面の方や選挙戦を戦った後にノーサイドの候補者さんまで(深川くん嬉しかったよ。参加してくれてありがとう)そして、高原みなさんも元気な顔を見せてくれた。まさか、この顔触れが揃うなんて、ほんとに太遊師匠が繋げてくれなかったらあり得なかったメンバーさん。(遠くは豊後高田から、そして山下かいさん、色々とお世話になりましたm(._.)mかいさんがいなかったら実現出来ませんでした)
SNSって恐い、という話題が対話の大半だったような? 先日のSNS講座に来て下さった先輩方も熱心にメモをとりながら。しかし、タチの悪い人たちがいるもんだよ世の中は、と改めて戦慄したり、笑いが膨らんだり。参加者の皆さんからの返答がまた新鮮な気付きを与えてもらえたり。(そうそう。そうなんですよ。今はオンラインでのやり取りがめっちゃ増えてて、今日みたいなオフラインでリアルに会って喋るのが何故か特別な感覚になる現象、それな! でしたね。はからずも「月亭太遊オフ会」として成立していたという)
極めつけは、「落語やりましょうか」なんて、こちらからは絶対言えないことを、サラッと自ら言ってのけた後に後ろの方で着替え出した師匠! (笑)(感動)かっこいいではありませんか。
地元のJCPに足りなかったもの。
それは月亭太遊師匠だと(色々な事をいま凝縮、省略して述べている)しみじみ思いつつ、泣いてるのか笑っているのかどっちかにしろ自分。と、ひとり静かに後方で佇む私でした。
Posted by にいさん at 2025年03月10日 19:20
【第33回 沖縄式読書会】開催しました!



本日(3月2日)別府市やよい銀天街のyoiyaさんにて、33回目の『沖縄式読書会』を開催しました。2月は日数が少ない為に、2月の回が3月頭にずれ込んだ形になります。なので、年度内にあと一回は読書会を開催する予定です。
さて、最多人数だった前回とは打って変わり。年度末になり、お忙しいところ今回は3人の参加で。でも2時間あっという間に過ぎていく濃い時間になりました。本当に不思議なもので、人数が多くても少なくても、2時間変わらずの濃密さで、不思議とぴったり時間通りに変わらない感覚で過ごせてしまうこの読書会であります。今回もご参加ありがとうございました。
そんな第33回目に集まったのは、このタイトルでした。
KazuLanguages『最強の外国語習得法』(え? 12ヵ国語をマスターされたのですか!? 何故そこまで上達出来たのか? 子どもの頃は英語の授業が退屈で、とても外国語なんて苦手であった著者が、スペインへと行った事がきっかけとなったエピソード。夢中になって語学を覚える事が出来た秘密とは……)
野口悠紀雄『83歳、いま何より勉強が楽しい』(勉強は最高の贅沢!? 楽しく教える事が勉強の面白さに繋がるそうで。並べて紹介していただいた『最強の外国語習得法』と相通じる内容ですね。著者も学ぶことが長生きの秘訣のようですが、選者様御自身も学ぶ意欲に溢れた常連さん。納得の選書ですね)
田中優子『カムイ伝講座』(江戸文化研究で知られる法政大学第19代総長・田中優子さんが「カムイ伝」の本を? と最初は驚いたものの、そうか、その時代の話しなのだと納得。社会の底辺を支えながらも差別的な境遇の中に在った人達に光を当てて、そこで浮かび上がってくるのは目から鱗のエピソード(史実)ばかり! 歴史が好きな人もそうでない人もこれは読みたいではありませんか!? けど、プレゼント本ではないという(涙)(笑))
竹田総一郎『B B B ビーサン!! 』(今回は残念ながら欠席された常連メンバー様が以前この読書会でプレゼントしてくれた一冊。サッカー、いや、フットボールは世界の共通語! ボールは友達、ボールがあれば言葉はいらない、という事を地でいく著者の姿がとにかく良い。言葉がドリブルをしているようだ。時々股の下を抜けられて、恐い思いも経験しながら見せてくれる旅の景色)
ハン・ガン『別れを告げない』(訳は斎藤真理子さん。ノーベル文学賞受賞作家の本作。先日、県立図書館から取り寄せてようやく読む事が叶いましたが、返却した為、この場にはスマホの写真にて。韓国の近代史の中でのあまりに悲しい記憶を辿る著者。文学の力を持って愛し抜くという姿勢。文学をもって追悼する事を辞めないという姿勢。今こそ世界中へ届けと、願うばかりです)
後半のプレゼント交換で集まったのは、こちらの3冊です。
野沢恭恵『捨てトレ』(モノを捨てるトレーニング!? ブランド物の箱とか袋とか。そうなのですね。恥ずかしながらブランドに疎くて知らなかった「ブランド品の箱あるある」のエピソードも興味深かったです。そうか! 捨てられないものは、寄付、売る、あげる、という3つの選択がある事も、なるほどと思いました)
ハリエット・アン・ジェイコブス『ある奴隷少女に起こった出来事』(著者の実話に基づく物語。奴隷制度の残るアメリカの南部で。主人公が成長して、自分の身の上を理解した瞬間。親密な友人が自分を追手から守るために「私を買い取る」というその言葉の意味を頭の中では理解しつつも深く傷ついているこの心とは。屋根裏の小部屋で長い年月の潜伏生活にも、言葉を失います。奴隷制度の中を生き抜いていった強く聡明なる著者の生き様)
三上智恵『戦雲』(いくさふむ、と読みます。昨年、別府市のブルーバード劇場でも上映されたドキュメンタリー映画の新書版。映画では著者は徹底的に影となり、島で生きる住民の人達の姿を映していきましたが。本書では、住民の人達をカメラで映す著者の心境が痛い程に。率直な言葉が綴られていくのです。祈ることの意味と、歌うことの力。沖縄を戦場にしてはならぬと声を上げる人々の姿)
Posted by にいさん at 2025年03月02日 21:46
ハン・ガン『別れを告げない』(ノーベル文学賞受賞作家の最新作)

嫌な事が気になるなら、とことん気にし抜くのです。
それを、いいこと、きれいなことで上塗りしては決してならないし、忘却したり、無かったことにしてはならない、時もあるんだよ。
だから? 決して哀悼することを終わらせない。
それが作者の決意と受け止めたし、私も、そう在りたい。と、思うのだけれど、それは生易しいことではなくて。
たとえばそれは3分おきに、縫合した指に針を刺し続ける治療のような?
針を刺せば激痛が走る、多分、激しく痛いと思う。作者は実際にその治療を目にしたという。しかし、針を刺さなければどうなるか?
縫合した先の指が壊死してしまうという。
いっそ、指先は諦めて、痛みから逃げるという選択もある。でも、今度は幻肢痛が襲ってくるという話で。
壊死させない為にベッドの上で痛みに耐え続ける友人と、友人の故郷への突然の旅の願いを受け入れる主人公。本来別々の場所へと離れたはずのふたりが辿るのは、済州島で実際に起きた凄惨な事件とそこで生きた人々の歴史。
人の命が、まるで、あっけなく溶けて消えていく雪片の如くに。否、でも雪片のひとつひとつには確かな質量があって。それは降り続けると、忽ち島中を真っ白に征圧してしまう。世界を飲み込む程に。消えていくような弱い雪片が集まって。
雪と闇と、静かな会話。時々インコ。
雪を掻き分けた先に出会う激甚な歴史。
この「済州島四・三事件」について私が初めて知ったのは、ある友人の話でした。御家族がそのsurvivorであったと。
知らないって恐ろしいことですね。この九州からも(ここ大分からなら、沖縄へ行くよりもずっと)近い距離の場所で、それ程までに凄惨な事件が起きていた。人々は、長い時間、「そのこと」を口にすることすら出来なかった。
凄惨な虐殺。今もガザの人たちが。日本でも関東大震災の時に。国家の暴力。沖縄で亡くなった人たちへの記述が。戒厳令? この間、もし大統領の側があのまま押し通してしまっていたらって。背筋が本気で凍る。こんなタイミングで。って。でも、現代の韓国の民衆が押し返したその力の背景にあったかもしれない、刻まれた歴史の痛みについて。
国を超えて、言葉を超えて(斎藤真理子さん、ありがとう)文字通り場所を超えて語り合ったと思われるふたりのように、静かな会話が今まさに世界中を覆い尽くしているような気持ちになりました。否実際に、世界中の人たちが、この作者について語り合っている。今もそれは。
降り積もる雪のように。
決して、
決して、「きれいなことば」で歴史を隠してはいけない。
哀悼を終わらせない。と、私も口に出してみた。
Posted by にいさん at 2025年02月19日 21:33
あげた声は決して消えない(大分市議選を終えて)

仲間たちと懸命に応援してきた素晴らしい候補者、高原みなさんは、2105票を獲得し、46位の得票。大分市議会議員は44人。あと僅か167票差。
まずは、高原みなさん。本当にお疲れ様でした。ハードなスケジュールで駆け抜けた直後、本日は大分市で共産党候補者3人による街頭での挨拶等々、終わった後も大忙しですね。どうか、ひとときでも、心から休息の時間をと願います。
そして私は初めての大分市での選挙ボランティアでしたが、福間健治さんはじめ、大分市の皆様に暖かく迎え入れていただいた上、(別府から通えるわずかな時間でしたが)気持ち良く選挙戦を活動させていただきまして、感謝申し上げます。微力でしたが、皆さんとご一緒出来て嬉しかったです。
当初「今回、かなり厳しい選挙戦になります」と教えられ、大分市の共産党さんの議席そのものが、ひとつになるか消滅しかねないという危機感の中で大分市入りしました。身近なところで、ひとりならず、党員さんや支持者の方の訃報を知らされ、高齢の為にボランティアが困難になった先輩世代も多数。(ちなみに、うちの母親は昨年の総選挙では、入院して初めて投票が出来ず、とても郵便投票すらさせられない状況でした。似たような「投票すら困難な高齢者」の話しを聞きます)選挙の現場を中心になって担ってきた人たちの高齢化が(これは選挙に限らず、いま身近なあらゆる現場で感じている事です)地元で支持する議員さんの周りでも起きていました。18歳から50代の現役世代の投票率の低さと政治参加の機会の少なさが続く限りは、私が応援する会派に限らず、運動の高齢化と先細りは避けられない事だろうか? 自然の流れに任せていたら、地元の支持会派は消滅してしまう(!) と思っていたそんな矢先に、私よりもずっと若い世代の高原みなさんが立候補をしてくれた事。本当に救いというか、希望でした。最初、ほとんどの人が高原さんの名前を知らなかったところから、みなさんに会う人会う人みんなが彼女のファンになって「この人を市議会議員にしたい! 」と皆が口にしていきました。福間さん、よくこんな素晴らしい人材を見つけてこられましたね、と感動すら覚えました。(ずっとお話ししていたかったですね、と言い合う感じで、誰とでも打ち解けられて、短時間でも深い話しが出来る人って、なかなかいないものです)今回、高原さんの応援をさせてもらえた事に喜びを感じながら、僅かですがその場に関わらせてもらえた事を光栄に思いました。ありがとうございました!
そこでですよ。今回大分市の共産党として、前回は次点と涙を飲んだいわさき貴博さんが見事に雪辱を果たし、経験と実績抜群の斉藤ゆみこさんも当選。大事な2議席を維持しました。ばいじん公害問題や長射程ミサイル弾薬庫新設など、気になる問題が沢山ありますが、鋭く切り込んでいく事を期待しています。
高原みなさんからは、「足りなかったところを、これから仲間たちと出し合って、一歩一歩、前に進めていきます」とのメッセージが。これからも、市民からの声を市政に届けていくそうです。
これで終わりではないし、今回あげた声は決して消えない。必ず次へと繋がっていくと。そう信じています。
追記。今回、短期間であったにも関わらず、 #高原みな 関連投稿がSNSにおいて非常に多くの拡散とフォローいただきました事にも、改めてお礼を申し上げます。高原みなさんの応援を機にSNSをイチから学びたいと、仰ってくださった先輩方にも、まじリスペクトです。私自身も貴重な学びとなりました。ありがとうございました!
Posted by にいさん at 2025年02月17日 09:56
高原みなさんを応援しています。大分市議選告示!

大分市議会は議員44人中、女性はわずか4人だけ。
少な過ぎます。
政策決定の場に女性が必要な事を痛感してきたというのは 高原みなさん。3人の子どもを育てながら、新婦人大分支部事務局長として、これまでも母親達の声を議会へ届け続けてきました。小中学校のエアコン設置、中学校給食の無償化を実現してきた過程で「声をあげれば政治は動く」事を実感したそうです。
そんな高原さんが、今回「福祉のフクマさん」こと福間健治大分市議からバトンを受け取り、立候補することとなりました。
子どもの頃に『パパママバイバイ』という絵本と出会ったそうです。幼い子どもたちの命を奪った米軍機墜落事件に心を痛めたという高原さんは、大人になって、2015年の安倍政権による集団的自衛権行使の容認に対して「子どもが生きる社会を戦争する社会にしたくない」と強く思うようになったそうです。そして毎年、原水爆禁止国民平和大行進へと我が子と共に参加し続けている、そんな高原みなさんだからこそ、今、大分市で新設されようとしている長射程ミサイル配備計画にも、日出生台での日米演習にも反対の声を大きくあげているのです。敷戸への新たな弾薬庫問題は今回の市議選の大きな争点のひとつだと思います。住宅地のすぐそばに! 地元からは実際に不安な声や『聞いてないよ』という声があがっているこの問題。しかし意外と知らない人もいらっしゃったり、関心が薄かったり、諦めの声が聞こえてきたり。しかし議会で反対の立場の議員が増えれば「建設中止を求める陳情」の審議が可能になります。この問題が県民の前に、より可視化される事になります。市民の声が高まれば、市議会は無視出来なくなります。
高原さんは、これまでも新婦人の事務局長として活躍し続けてきました。多くの仲間達と議会へアクションを起こし続け、中学校の給食費無償化が実現しましたが、まだまだ子育て支援が必要だと、小学校の給食の無償化の実現も目指しています。
大分市は中核市でも上位の予算があるのに、県内一高い介護保険料を市民に求める一方で、自分たち市議のボーナスはアップするとか!? 議員報酬とは別に1日3千円の日当までもらってるとか!? 本当にびっくりしましたよ。(日本共産党は受け取りを拒否。他会派は約4年間で2193万円を受け取っています)
福祉、住民サービスは切り捨てながら、自分たちには甘い市議会では駄目でしょう。本当に市民の為に働く議員さんを送り出さないとまずいという思いで、私も高原みなさんのボランティアに加わりました。
以上の経歴もあってか、沖縄の話しにも深く共感を持って話しを聞いてくれた事も嬉しかったです。本も大好きな高原さん。もっと話したいですね〜と言いながら、1分刻み? な大忙しの選挙戦真っ只中。ここ大分も寒波が覆う中、熱い訴えを響かせています。
寒さを超えて、花咲かせましょう。
写真は、タムトモ委員長からの檄文を前に。
#高原みな #大分市議選 #みなさんの声を届けるみなサン #JCPサポーター
Posted by にいさん at 2025年02月09日 22:32
三上智恵『戦雲』を読んで欲しい(集英社新書から発売中です)

海の向こうから、ケビン・メアがやって来た。
米軍を連れて、やって来た。
反対の声を上げる市民を、別の市民が叱った。「彼らは親善に来たのだから」と。
その後、ヒゲの隊長が島へ来たという。
しかし彼は島の外を出歩かない。空港の一室で有力者と会い、穏やかに話す。
自衛隊誘致に賛成の市民リーダーは言った。「自衛隊は入れても、米軍は入れない」と。
しかし(あの忌まわしき暴言を県民に吐き散らかした)ケビン・メアは後日はっきりと言ったのです「与那国や石垣の港を作戦上使用する必要がある」と。そう、はっきり明言を。
そして遂に、自衛隊も米軍も、両方が島へとやってきたのです。
日米共同の軍事演習が、行われた。
表紙のイラストに描かれた馬は与那国馬。与那国の馬は小さな馬ですが、この描かれた馬はがっしりとして力強さを感じます。そして、戦いの痕でしょうか、左の目は傷付いているのです。この馬にまたがり髪を振り乱す少女の姿。著者は何故、この絵を表紙にもってきたのか。その気持ちに思いを馳せて欲しいのです。その「阿修羅のごとく」馬のたてがみを掴んで離さない少女の こころ とは。
与那国島にはサンアイイソバという伝説の女傑が語り継がれてきました。大きくて力強いサンアイイソバ。昔、島を蹂躙する侵略者を撃退し、追い返したという島の英雄。このイソバの名にちなみ、与那国島の女性たちによる「イソバの会」は結成されました。島への自衛隊誘致に反対するために。
しかし、イソバは伝説で。現実の自衛隊は国が推し進めるリアルな国家権力であって。イソバの精神を受け継ぐ市民運動の強固な志、理性ある平和構築の訴えは、公道を走る戦車までをも投入せしめる男たちの策動によって、強行突破されたように思えてならない。(平和な島の景色に、タイヤ走行で公道を走れる戦車だなんて。しかも子どもたちが歩く通学路にだよ)
この、三上智恵監督による集英社新書『戦雲』には、その権力の理不尽さへの悔しさや悲しみが痛い程詰まっていた。
何故、この叫びを聞こうとしないのか?
これだけ、繰り返し映像に収めては日本中の人たちへ発信し続けてきた三上監督の、感情の迸りまでもが記録されていました。映画『戦雲』では、主人公である島の人たちの姿を丹念に。そしてこの新書には、そのカメラを向けていた監督自身の気持ちが率直な言葉で。
それは、沖縄を今は離れて暮らす私の胸にも突き刺さってくるものでした。この痛みを日本中で共有出来たなら。少しでも現状を変える力になるのではないか。少なくとも、もう少しましな社会に。まともな日米関係に。何より今、沖縄に押し付けられている(米軍だけではなかった。新たな自衛隊配備の問題も)過重な負担をどうにかしてくれと、「再び沖縄を戦場にすることを拒否する」と瀬長亀次郎が国会で佐藤栄作に迫ってから半世紀が過ぎるというのに。この有様をもたらした今の日本人とは……と、私でさえもが考え込んでしまう。否、私自身もその「本土の日本人」に含まれるのだと、改めて自覚させられるのです。都合の良い時だけ、「第二の故郷」であるとか「心の故郷」だなんて言ってはならないような気持ちに。今出来ることはなんだ? 頼む。山里節子さんの歌に。三上智恵監督の言葉と映像に触れて欲しい。沖縄まで行く事が難しくとも、ひとりでも多くの人たちに(本書には、三上智恵監督が撮影した映像のQRコードが各章に付いています)。
正直、私自身、沖縄を離れてからの、翁長知事死去からデニー知事の誕生。あの実施への過程における苦い思い出も共有している県民投票の事。南部の遺骨の混じった土を辺野古の埋め立て土砂に使用するなどという暴挙。高江には危険な火薬を大量投棄して出て行った米軍の事。湾の底まで杭が届かないというのに無理筋で強行される基地建設という蛮行全て我々の税金でやる気の日本政府の絶望的な姿-などというこれまでの経緯に加えて、南西諸島の自衛隊基地建設の急速な展開に、自分もどれだけついていけていたかと、危険を危険として感じていたかと、三上監督の気迫に背中を叩かれた思いの読後感が、まだ続いています。
追記。290頁にて。防衛省が敵基地を攻撃可能なスタンド・オフ・ミサイルを保管出来る大型の弾薬庫を私の地元、大分市の自衛隊分屯地に(スタンド・オフは他には青森にも)新設するとの記述が出てきます。これは敷戸弾薬庫の事。まさに今月の大分市議選でも弾薬庫新設の是非も争点としてあがっている問題なのです。この『戦雲』において語られた文脈で改めてこの弾薬庫の存在を見詰め直した時に、私は悪寒が走りました。それが持つ意味について。その危険極まりない性質について。沖縄が負わされ続け、更にまた離島までもが基地と弾薬庫の問題に揺れている危機感は、まだ日本中の多くの人たちの理解が追いつかないまま、着々と全国で進められていたという事に。
Posted by にいさん at 2025年02月04日 17:24