「沖縄式読書会」今回で30回目の開催となりました!
ほぼ毎月、別府市で開催してまいりました「沖縄式読書会」も、今回で30回目を迎えることとなりました。これもひとえに、この読書会に参加して下さる皆様のお陰でございます。本当にありがとうございます! これからもより一層充実した時間になりますように励みたいと思っております。今後ともよろしくお願い致します。
そんな記念すべき30回目の読書会に集まったのは、こちらの本たちでした。
宮崎駿『風の谷のナウシカ』(あの傑作アニメのこれが原作漫画。1巻から7巻のBOXセット! 現実の未来を予見したようなそのストーリーもさることながら、とにかく宮崎駿さんの描いた1コマ1コマの画力が凄い。7巻あるその一冊ごとに付いているポスター? このイラストも素晴らしく、読書会参加者一同うっとり見入ってしまいました)
小川洋子『人質の朗読会」(まず、この小説の設定に驚きました。もしかしたら、今の我々自身の生活とそれを巡る周りの状況とを暗喩しているのでしょうか? そんな設定からはかけ離れたような、ひとりひとりの人生の不思議が語られていくその内容にも、惹きつけられます。絶望的な中にあっても、打ち消せない人の記憶の光のような )
雑誌『coyote』(一年に3度発行される雑誌『coyote』今回の特集は南極!? 85歳にして黒田征太郎さんは南極大陸へ。その手書きの文章とイラストもとても素敵です。まさに黒田さんでなければ辿り着けない境地が。そして池澤夏樹さんの台湾紀行も魅力に溢れたエッセイ。南極から台湾まで今号も読み応えありますね)
内田春菊『ファザーファッカー』(選者様曰く「口にするにもあまりに酷く、衝撃的な」少女時代から、筆者が家を出るまでを描いた自伝小説。こうした話しを、今も耳にします。暴力を振るう者と、止めない者と。加害者は常に力を持った存在であり。著者は紛れもないsurvivorです)
井上ひさし『井上ひさしの作文教室』(前々回の読書会でプレゼント本として手に入った一冊。なんと幸せな作文教室でしょうか。自分もひさし先生から教わりたかった。と思ってしまいたくなるも、もうそれは叶わないことが残念でなりません。言葉を綴る楽しさ、言葉の豊かさ奥深さを感じさせてもくれる一冊)
白石雅彦『ウルトラマンタロウの青春』(ウルトラマンNo.シックス! 白石雅彦さんのウルトラドキュメントシリーズも、このタロウで7作目(『「怪奇大作戦」の挑戦』含む)。まさに第二期ウルトラブームの集大成的な盛り上がりを見せた今作。私の幼少期の記憶にも鮮やかに刻まれたウルトラ6番目の弟の闘いの裏側を丹念に追っていきます)
そして今回30回目のプレゼント本はこちら!
赤瀬川原平『老人力』(老いの力とは? 忘れていく-ということによって活性化されるものがあるという考え方。そして、何か身に覚えのある現状、もの、ことに対して名前を付ける、ネーミングすることによって人生を面白くしていくという発想。そして、巻末にはなんと、著者についての貴重な新聞記事が貼られているというおまけ付き! )
野見山暁治『四百字のデッサン』(最近、101歳で天寿を全うされた著者は高名な画家です。こちらはその画家として生きた著者が出会ってきた人たちとの出会いや出来事を綴るエッセイ。絵描きさんだけあって? 人間観察が鋭いとのご指摘。そして御自身の気持ちを赤裸々に語る文章にも興味をそそられます)
井崎英典『コーヒーを楽しむ教科書』(コーヒーは奥深い! そして、美味しい。豆の焙煎の仕方から、器具の種類から、コーヒー豆のその豊富な種類と味のバリエーション。「コーヒーを極めたいと思ったことがあって」という選者様の思いが溢れるプレゼンでした)
堀内リエ・たからしげる『マハトマ・ガンディー/阿波根昌鴻』(今回の沖縄関連本はこの阿波根昌鴻さんの伝記を選ばせていただきました。子どもはもちろん、大人の人たちにも知って欲しい非暴力の人物伝シリーズ。ガンディーと並んでタイトルてなっている通り、阿波根さんは「沖縄のガンディー」と呼ばれる民衆のリーダー。で、実はここ別府市にも縁がありまして……と、そんな話しもさせていただきました)
2020年の12月から開催しております「沖縄式読書会」も(途中、コロナ禍での休止の期間を挟みまして)早いもので30回を数える事となり、来月の開催で丸4年となります。これからも、沖縄の「本もあい」の楽しさを大切に、ここ別府市で本を通した交流を続けていきたいと思っています。沖縄の本も沢山紹介して広めたいと思っています。今後とも「沖縄式読書会」をどうかよろしくお願いします!
Posted by にいさん at 2024年11月17日 22:10
映画『ルックバック』がAmazonプライム・ビデオで配信開始!
今回、具体的内容のヒントに関する事にいくつか触れるかもしれません。映画『ルックバック』がAmazonプライム・ビデオでも観られるようになりましたので、真っさらな状態からご覧になりたい方は、是非そちらをまずご覧になって欲しいです。
あの「事件」の下敷きは、おそらくは、あの身勝手かつ凶悪な、あの放火殺人事件ではないかと思いました。
身勝手な暴力が奪ったものとは、未来。そこで作り上げられるはずだったもの。笑顔と充実感。憧れの人と喜びを分かち合う瞬間。
それら全てを奪う権利など、誰にもない。
フィクションの力というものを、改めて感じないわけにはいかなかった。
フィクション、虚構、ファンタジー、というものは、誰か個人を、弱い立場に置かれた人たちを貶める為に使われて欲しくない。まして影響力ある作家が他者の人権を貶めるような言動など、目を耳を疑う衝撃が走ったその翌日に私はこの作品を観たことも忘れないでおく。
作中、藤野が言われた言葉たちのひとつひとつは、自分も何度となく投げ付けられてきたものだった。もう中学生なんだからそんなこと(怪獣、特撮、ヒーロー、アニメ、時には描いてもいたそれら全てを)卒業しなきゃ、受験があるんだから部活なんか(と他所のおばちゃんからは言われ)受験があるんだから旅行なんてしてる場合か(などと宣う先生もいらっしゃったが、あの佐渡での芸術祭典に関わっていた劇団に私はその後実際に入団することになる。私にとっては真面目な将来を見据えた祭典への出席だったけれども、あの時の中学教師にはそんなことより目の前の受験だったのだろう)などという「圧力」は、今思い返すと、まあまあ恐ろしいですよ。藤野を襲った「もう卒業しなきゃ圧力」というものは、全員が均質に歩調を合わせる社会を、従わせる者と従う者双方が、その意味を深く省みることもないままに作り上げ、はみ出す者は排除していくという大きな構造を作り上げてしまった。そこでの強者は概ね男性らしい。そいつが「全体の生産性」を語る時は、特に気をつけた方がいい。
フィクションの世界とは、本来、そうした「現実の力」に対して、抗うものではないのか? いわんや女性に対して暴力的な「自由の制限」を求めるなどと、作家を生業とする男性が現実の世界で(それも今2024年だよ? どれだけ時間が逆行しているというのか)公言する世の中に今私は生きているという悲しみに、この映画の物語はやけに沁み入ってきたようです。
「もし」を想像する先にあるものについて。それは、絶望であって欲しくはないし、弱い立場に置かれた人たちを貶めるものであって欲しくは、ないかな。
そして、いままた、あの事件を思い出しつつ。
鎮魂という言葉の意味についても改めて噛み締めながら。
Posted by にいさん at 2024年11月10日 13:02
ドラマ『団地のふたり』が身につまされてならなくて
先日最終回を迎えたNHKBSのドラマ『団地のふたり』の感想。基本的にネタバレ、というほどの大事件や衝撃的な展開、大どんでん返しのような事は起きないけれども、とりあえず、ネタバレは抑え目に。
この最終回を見る直前に『地面師たち』見てたんですよwもう、頭ん中わけわかんねー感覚で見終えた事も、多分一生忘れない。(地面師たちの活躍と紐付いてキョンキョンと小林聡美さんのドラマが記憶される事となるでしょう って、そんな話しはもうええでしょう。団地のふたりの話し、進めませんか!? ってピエール瀧さんが頭の中で言うてます)
舞台は団地。築半世紀を過ぎる、今では古い集合住宅。かつては文化的住宅とか言われた時代の、四角くて長い、大きな集合住宅が集まっている景色。そんな一見平凡な団地の風景だけど、よくよく見ると、緑があって、住民同士が笑顔で会話しあえる距離感で、憩いの空間もあり、互いの生活を感じられる心地好さ。そんな良い環境に思えるのだけれど、しかし住んでいる人たちは、今ではかなり高齢世代が多く、若い人たちの多くは団地から姿を消していっているらしい。主人公のノエチとなっちゃんはこの団地で生まれ育って「帰ってきた」幼馴染みの55歳。ノエチは両親との3人暮らし(うちと一緒だ)なっちゃんはお母様とは離れて暮らす一人暮らし。夕ご飯は大体なっちゃん家でなっちゃんの作った料理をふたりで食べる。休日のお昼はベランダでふたり優雅に? 喋って過ごしてたら、やたらとご近所さんから声をかけられるところとか、見ていてめっちゃ良いなって思います。
というこのドラマの設定そのものが胸にサクサク突き刺さってきてならないわけです。身につまされてならないというか。
ちなみに私の住んでいるのは、団地ではなく、築40年程の古くなってきたマンション住まいで微妙に違うにしても(まあ、階数が多少あってエレベーターはあるが、うちは低い階だしエレベーター使わないし)同じく「古い集合住宅に住む住人あるある」は、まんまうちも当て嵌まるわけで。団地の理事会とかも。(うちは、町内の自治会が月イチと、マンションの会合が年に一度位。最近、出席を親から引き継いだところ)
まず、これはノエチとなっちゃんにサクマのおばちゃんが言った台詞ではなかったか? 「この団地に若い人がいると良いわね〜」と言われて共に50代のふたりが苦笑いする場面。同じく50代の私が去年くらいにマンションのおっちゃんから言われた台詞はこれ。「このマンションにあんたみたいな若い人がおったんか! 」「いや、もう50過ぎてますんで(笑)」というやり取りを思い出して、ドラマ見ながらもう可笑しくて仕方がなかった。この会話が象徴するように、圧倒的に親世代の先輩たちが多いわけです。ノエチの両親も、ほぼうちの両親と同世代で。片方が体調悪くすると、もう片方が元気になる(しっかりしてパートナーを支えなければ。となる)というのも、うちも、まんま一緒です。序盤に登場した、仲村トオルさん演じるノエチが昔好きだった同級生の母親に対する眼差しは、あまりに深くえぐられる位共感してしまった。そうですよね。我々以上の世代は、親の老いとも向き合っていかなければならない。そんな切実さが詰まった団地の中で、でも魅力的に生きる人たちの交流が、こんな、平凡な生活の中にもこんな潤いが! こんな驚きの歴史が!? (ベンガルさんの活躍回は「神回」と呼んでいます。あれって、日本の団地の歴史ですよね。日本中に、ベンガルさんはいたんですよ。たぶん)
ただ、そんなノエチとなっちゃんに共感しつつも、大きな違いももちろんあります。そりゃそうだ。ふたりは、人間的な魅力のみならず、結構な「達人」なのであります。「できる人」なのでありまして。
ノエチはかつて神童と呼ばれた女の子。大学院まで進み博士号を取得して、エリートコースをまっしぐら、かと思いきや、(どうも女性差別の匂いさえする)大学内での政治的な理不尽により、ドラマスタート時は、非常勤講師という、本人の実力からすると不本意極まりない肩書きで。本人も何度も「非常勤講師だ」って、そう言っているにも関わらず、団地のおばちゃんたちからは「のえちゃんは大学の教授」と認識されてしまっている。そんな中でも、仕事はしっかり真面目にやり抜いているノエチ。
かたや、なっちゃんは絵の才能有り。優れたイラストレーターで。以前は「売れっ子」だった時代を経て、今ではイラストだけでは難しいらしく、昭和レトロなお宝をフリマで売って、高く売れた時には、料理がちょっと贅沢になるという具合。とにかくドラマの魅力のひとつでもあります、なっちゃんの作る料理が美味しそうで美味しそうでたまらない。料理の腕前が素人のレベルではない。(小林聡美さん、実際料理お上手そう。『かもめ食堂』を思い出しましたよ)
このふたりがいるだけで、団地の調和が保たれているような? (あと、いつも不機嫌なベンガルさんも実は団地を見守り続けていた)皆から頼りにされまくって大変そうというか迷惑千万というか(笑)しかし、幸せな光景に見えてならなくて、真実癒されてしまいました。
団地内の(空ちゃんとの思い出の)保育園も閉園したり、子どもたちの姿が減っていくのは寂しいけれども、新たにやってきた若い家族が、その子どもたちのドラマにも救いがありましたね〜。最終回のあの動画の展開も良かったな〜。
このような景色が、これからも、この国から無くなりませんように。
それから、最後の「新年の目標」だっけ。いっこ足りなくないですか?
そこは、もうひとつ。
ドラマ『団地のふたり』season2を放送する!
って言って欲しかったな〜ヽ(´▽`)/また、ふたりと、団地のみんなに会いたいです。
Posted by にいさん at 2024年11月06日 21:18
Netflixで『地面師たち』
先日、視聴頻度の低いサブスクリプションを整理して、新たにNetflixを契約したのは、このドラマを見るのが目的でした。
『地面師たち』
2017年に実際に起きた地面師たちによる巨額詐欺事件をモデルとするドラマ。55億5千万円もの金額を、超有名な大手ハウスメーカーが騙し取られるという、前代未聞の大事件。実際の事件では、品川の老舗旅館だった土地が舞台となり、かなり地元では有名な場所だったそうですね。私は13年東京で暮らしましたが、品川区五反田なんて、一度も足を運んだ事がなかった気がします。仕事で五反田の小学校あたりに行った際に、もしかしたら、すぐそばを車で通ったりしたのだろうか。なんて事を思いながら見ていましたが、ドラマでは港区高輪に場所を移して、舞台は旅館ではなく……
その内容は、ドラマをご覧になってください。この土地の購入代金についても。
地面師とは。土地の所有者になりすまし売却をもちかけて、多額のお金を騙し取る不動産詐欺。こんなハリウッドのコンゲーム映画じみた行為が、この日本で、それも2017年に実際に起きた事には驚かされます。そういやそんなニュースもあったっけ、って感じでしたが、改めてドラマとして描かれると、その犯罪集団だけではなくて、この舞台になった業界だけに留まらない、深刻な問題を孕んでいるように、等とつい思ってしまう。
何故そこまでして「土地」なるものを欲しがるのか。いや、土地そのものよりも、その土地が生み出す利益に執着する人間たち。このような世界と縁の薄い庶民からすると、正直ちょっと正気とは思えないのです。その土地が持つ(真実、価値を持つと思われる)環境資源は無惨に壊されて、タワマンや商業施設が建てられるだなんて、自然にとっては負荷でしか無いわけで。一体どれだけのエネルギーを消費するというのか。むしろ汚す行為でしか無いわけであって。その開発をズカズカ行って(結局一部の富裕層が)儲ける行為を正当化することが、私にはどうしても出来ません。
ハリソンが語った通りですよ。そもそも「土地」というものは、太古の昔から、我々人間が生まれるずっと前から「そこに在る」物であって、後からそこへ住み着いた人間たちが自分たちの都合でそこを所有した上、値段(価値)なるものを付けて、価値を釣り上げ儲けをあげて。その土地の価値を巡って狂乱を繰り広げる光景など、そもそも、なんなのか? と醒めた目線でつい見てしまうのですが。
(トヨエツ)ハリソン山中はそれを見ていた。醒めた目線で? 否、違うな、冷酷な視線だ。これ以上なく、底知れぬ恐ろしさを持った。
餌食になるのはマチズモの塊のような者たち。笑顔の裏側の欲望、野心が次々と狩られていく様に、その恐怖に歪む顔に興奮を覚える冷酷な男。強欲な資本主義の塊みたいな連中が狩られていく。こういう事が現実で起きているというのか。必死で競争社会を勝ち抜いて、ライフハックして、ドヤって、古くなって、油ぎった昭和臭まみれの塊が、ひとり、またひとり消えていく。小さな悪がより大きな悪に喰われていく地獄絵図。
一度その沼に嵌ったら最後、抜け出せないのか綾野剛、否、辻本拓海よ。よりによってハリソンの沼に嵌ってしまった、その地獄の顛末や如何に。
というわけで、Netflixという沼は、危険な場所だったようです。
Posted by にいさん at 2024年11月04日 20:24
Netflixの沼に嵌る
サブスクリプションって、加入する時は割と親切設計で登録出来て、尚且つ初回の無料キャンペーン期間なんかで(WOWOWはそれで加入したんだけど)楽に始められたのに、いざ解約するとなると、
手続きが複雑でわかりにくい
この手続き。デジタルに弱い自分には、難解過ぎだな(汗)
というわけで、困った時の久しぶりのauショップさんで相談して、解約の操作を手伝ってもらいました。ありがとうございましたm(._.)m
「わかります。解約手続きって面倒なんですよね〜」
そうなのですよ〜(泣)
一度嵌ったら簡単には抜けられない。そんな罠(配信サービス)がひとつ増え、またひとつ(恐)
てな具合で加入してきたサブスクリプションサービスという罠。次第に、加入当初ほどには利用しないサブスクも出てきたもので。毎月の支払いの方が高くつくというパターン。メインだったAmazonプライム・ビデオは安定して(しかも安い! )良作を提供してくれるのは有り難しで手離せないけれど、テラサは(ほぼ「相棒」シリーズ過去作専用サブスクと化していたのが)利用頻度が減っていき、久しぶりにログインしようとしたらパスワードが覚えてたのと違う? なら、いいや。そしてWOWOWオンデマンドは見応えのあるオリジナルドラマやLIVE配信も捨て難いのでありますが(ドラマW『フェンス』を見られただけでも入った価値はあったけれども)月額料金が高い。世の低所得層にはきつい。月に何度かは見るが、段々利用料金に見合わなくなってしまった……というわけで、テラサとWOWOWオンデマンドよ、今までありがとう(涙)と、さよならをしてきました。
WOWOWはな〜、時々良い出会いがあるから迷ったのだけど。ライムスターのLIVE配信してくれてありがとう。
そして新たに加入したのが、長らく、料金的に迷っていたあそこ。
にいさんは、いつNetflix始めるんですか?
と、言われて何年経っただろうか。最近、790円の広告付きプランが出来て、それならそろそろ、と思ったところでWOWOWで『フェンス』というドラマが始まっちゃって。追い討ちの如く「ひと月無料キャンペーン」でそっちにいっちゃったんですよね〜。『フェンス』がとにかく素晴らしいドラマで、キャンペーン期間過ぎてもせっかくだからと続けてきましたが、他のオリジナルコンテンツの期待作が、個人的な好みとしては若干合わなかったかな。『フェンス』を見た後だから尚更?という次第で、遅ればせながら、ならば、利用の少ない配信は整理して、いよいよサブスク界の頂点に-という感じでしょうか。
今も利用してるAmazonプライムももちろん良いのだけれど、更にエグ味のある題材を、しかも映像が、これ、日本のドラマのクオリティじゃなくね? っていうこのドラマ。最初の10分で持ってくな〜。言葉遣いの丁寧なトヨエツ恐ぇよ。背筋が凍るよ。綾野剛の好演も魅力的で……
更にこっちの映画は、新宿駅で、え、掲示板なんて今どき無いだろ? ん? 画面がスライドしていく、掲示板にチョークで書かれた文字が浮かぶ。
NETFLIX
新宿って街は、今でも恐いところですよね。
Posted by にいさん at 2024年11月03日 17:36
『しんぶん赤旗』購読者が周りで急増中(驚)
1週間が経ちますが、選挙戦お疲れ様でした。党派を超えて、思想信条、好きな人も嫌いな人も、皆んな皆んな、本当にお疲れ様でした!
選挙って、エネルギー使いますもんね。もう、これだけは言える。立場を抜きで、そこだけは、労いの言葉を送らせて下さい。
しかし、こんな選挙は初めてでした。
投票権を得て30年ちょっと経つけれど、こんな経験は初めてかもしれません。応援していた政党が議席を減らしたのにも関わらず、周りの人たちから、或いは他党の支持者の皆さんからまでもめっちゃ評価や賛辞の声が(私個人にまで)集まって。極め付けは、政党機関紙「しんぶん赤旗」の購読申し込みが殺到しているという話し。選挙後2日で1000人超えて、今もなお増え続けてるって話し。
沖縄の友人も、別府市内の身近な方も(党本部経由で申し込みが)目に見えるところで購読者が続々と増えてるなんて事、今まで一度もありませんでしたよ。大体、ボランティア仲間以外で赤旗取ってる人なんて会った記憶がありません。しまいにゃ(昔、東京・世田谷区のアパートで)うちに来たNHKの口の達者な集金人のあんちゃんから「え、今どき赤旗なんて取ってる人がいるんですね」なんて失礼な台詞まで思い出しちゃいましたよ。
今回の選挙、とにかく、自公の過半数割れは本当に良かった。決め手は赤旗の裏金スクープだったとよく言われていますが(もちろん、上脇教授の力も非常に大きなものがありました! )自民党の議員が「赤旗裏金バズーカにやられた」、立憲民主党の幹部のひとりは「MVPは間違いなく御党と『しんぶん赤旗』だ」「裏金スクープから最後の非公認候補への2000万円の支出に至る一連の『赤旗』報道がなければ、今回の選挙も与党過半数割れもなかった」とまで言ってくれるとは。某連合の会長が例の如く「共産党と連携しなくても選挙に勝てる」等と豪語したのに対して、最大の支持団体かもしれないその代表の発言に対して立憲民主の議員さんから断固とした批判の投稿があがったのも印象的でした。(石垣議員ありがとう)大手紙でも朝日、読売だけじゃなく、あの産経新聞までもが「2千万円を支給した問題が報道され火に油を注いだ」と報じる始末。(連合のやり取り以外、コメントは10月29日の赤旗より)
何故、大手紙は報じられなかったのか? 裏金とか、政党助成金の交付先の話題とか、報じ難い、手を出し難い何かがあるんですかね? まあ、後追いでなら記事に出来るっぽい事はわかったけれど。単純に赤旗を持ち上げたいわけじゃなくて。最近のスクープが(全てとは言わない)ほとんど赤旗と文春が持っていってない? っていう現実は、シビアに受け止めています。赤旗が抜きん出ているふうに見えてしまうというメディアの現実がやばくないですかね。赤旗が増えるのは嬉しいけれど。(与党の政治家から情報「もらって」たら無理か。仲良しこよしやってたら無理なのか)
選挙直後に #ありがとうしんぶん赤旗 ってハッシュタグが拡散されてるのを見て、ちょっと感動してしまいましたね。
又、一方で、
MVPより票をくれ
っていうのも正直なところ……
しかし感情に浸っている暇はないぞ、という気持ちでいます。選挙は終わったら全て終わりじゃなくて、むしろこれがスタートなんです。国会はこれから始まっていくんですよ。今、キャスティングボートを握る「ハメになった」らしい国民民主党なる政党の党首のひと言ひと言に国民がざわついていますが、よく見ておきましょう(予定してたより、ちょっと多く取っちゃった、ってびびってる? 気のせいか)選挙中に明言していたことをこの人たちは守るのかどうか。むしろ選ばれた後にこそ真価が問われることになるのですから。
身近では共産党と自民党に肩を並べる位に支持者の目立つれいわさんの差別動画も、ちょっと深刻に受け止めています。太郎くんには以前、沖縄での出会い以来好意を持っていたし、道は違えど最後は同じ(近いというべきか? )ゴールを目指していると信じたかったが、先日のおおいしさんの釈明文には言葉を失いました。本当に、悲しくなってしまった。
選挙中も、racism丸出しの政党、候補者が目立ったように感じました。まさかの政党が議席を確保する事態も。(但し、所謂極右と見られる政党と自公合わせても改憲は無理、という勢力図になった事は素直に嬉しい。が、油断は出来ませんね)これが、いまのこの国の景色なのか。という思いでいっぱいです。
そんな思いも抱きながら、改めて、しんぶん赤旗、私も購読しています。って話しになります。日刊紙が月3497円。日曜版が月990円。電子版のお試し購読はなんと、お試し期間が過ぎたら自動更新じゃなくて「自動解約」だそうですよ。良心的過ぎだろ!? 周りでは「電子版のお試しから」とか、「日曜版からとり始めました」という声が聞こえてきますね。文字通り与党を大敗させた「赤旗砲」のスクープはもちろん、私は文化欄が充実しているところも気に入っています。話題の人たちのインタビューもスキャンダラスな事を聞かないのが良いって言われています。ちなみに日曜版今週のインタビューは『虎に翼』の山田よね役・土居志央梨さん。舞台やエンタメの話題、本の話題がスポーツ欄よりも充実しているw(正直に突っ込むとプロ野球ファンには不満な紙面ではないか? と思いながら読んでいる)エッセイ好きな人、常盤貴子ファンにもお勧めしたい(常盤さんのエッセイかなり良いっす)。そして大好き『まんまる団地』の四コマに、いつも癒され、笑顔になっています。
笑顔にはとてもなれない世の中だから。是非あなたも、赤旗仲間になってくれたら、私も嬉しいです。
Posted by にいさん at 2024年11月02日 23:02
#比例は日本共産党 のこころ。(実は期日前投票済ませてた)
(10月26日に記す)
実は、ちょっと前に、母が緊急搬送されまして。久しぶりにヒヤッとさせられました。良くない発作がきて、緊急処置の後、丸1日、呼吸の苦しさを訴えられて。一番苦しいのは本人ですけれど、代わってやれない家族の歯痒さがありました。生きた心地のしなかったあの日。救急車で病院に送り届けた後、面会は14時から17時の間で15分だけ(家族ひとり)という事で、この15分の面会に1日分の集中力を注ぐような気持ちで、ここ数日を過ごしてきました。
それでも(面会+病院までの往復等で約1時間分増えたような1日が)時間は進んでいきます。今はやっと、母も回復しつつありという事もあるのか(明日は日曜日で面会は出来ない日という事とか)少し脱力というか、体はそれなりに疲れていたらしく、これまでを振り返るひと時が今、出来たかなってな具合てございます。
という、そんな日々の最中に、行ってきましたよ衆議院選挙の期日前投票。
母の入院費の事等まさに今支払いのことも話し合ってきたところなのですが、普段より、両親共に少ない年金生活の中で医療費が馬鹿にならない。大体、なんで親が後期高齢者なんて呼ばれなきゃならないのか(怒)と、例の医療制度が持ち上がった際にも腹が立って仕方なかったわけですが、言葉ひとつ、負担額ひとつが家族にとっては突き刺さってくるわけですよ。その一方で与党の政治家さん裏金でしょう? 冗談じゃないよ! ってな思いも益々募ってくるわけであります。
そんな激しい怒りをこめて、
比例代表は日本共産党
選挙区(大分3区)は大塚みつよし
と書いて投票してきました。
自民党の裏金を暴いたのは上脇教授としんぶん赤旗のスクープ。そして共産党議員団の追及あったればこそです。比例票は死に票にならず議席数に反映します。日本共産党の比例票が増える事で今の政治を少しでも良くしたい。切実な願いを込めて。(この裏金問題を連呼しながら立憲が票を集めそうだって話しがどうしても納得いかないんですよね〜 ってな思いも込めて)
3区といえば自民党の岩屋毅。彼は防衛相時代に、沖縄での県民投票の結果を受けて「沖縄には沖縄の民主主義があるのかもしれないが、日本には日本の民主主義がある」という意味が謎過ぎな暴言を吐いて県民を激怒させた男。更には辺野古への資材搬入に関わって、本部港が船を出さないなるデマも口にした事、忘れていません。岩屋氏への批判の1票を大塚さんに。
いや、今、与党自民党と公明党だけじゃなくて、野党を名乗る政党もなかなかやばい発言がわんさか出てきて怖気がたって仕方がないのでありますよ。若者支援の文脈で高齢者よりも若者への支援を-という話しじゃ済まずになんと「尊厳死」というワードが玉木なる議員から出された事には驚愕するやら恐ろしいやら。高齢者と若者の分断に繋がりかねない論調自体も大問題だと思っていたら、選べないような状況を作らされて、福祉も削られて、尊厳ある最期を-との実施国での地獄のような事例を知らないのか? 党首クラスでこのような言葉が飛び出す今の日本まじでやばいだろ。
ギリギリ野党と呼んでいた立憲民主さんは野田さんがまさかの党首選で勝利し、もはやギリギリでもなくなってしまった、という思い。あれだけ皆で必死になって反対の声をあげた安保法制を容認!? 原発も容認!? そして沖縄に対する態度は沖縄県民だった頃にあの人が首相であった頃の振る舞いを思い出さずにはおれない。
それから、周りでは「共産党か社民かれいわかで迷ってるんだよね〜」という声がよく聞かれるんですけどね〜、山本太郎くん、ちょっと個人的には、遂に信用が消滅したというか。先日の沖縄1区を(あたかも、じゃなくて「もしあそこで降ろしてもらえたら、1区を降ろしますよ」って)取り引き材料としてあけすけに語った言動に心底怒りでいっぱいだったところで、更に振る舞いがエスカレートの今朝のあの差別的動画で言葉を失ってしまいました。
これまで、れいわは支持者の一部の人たち? の暴走とか、大西事件とか(これも、命に関わる事だった)現場からどんどん人が去っていく話しとかは耳にしていたけれども、あの沖縄でお会いした山本太郎くんという人間は、正直嫌いにはなりたくはなかった。本当に今朝は、残念だった。悲しかったです。
そんな、政治の世界の恐ろしい景色と、私の生活での現実の厳しさ。何より、母が元気になって平穏に安心して家族で暮らせる世の中(私にとってのもうひとつの地元・沖縄での辺野古新基地建設断固阻止を実現させる! という前提の基に)より良い世の中を願う期日前投票でした。
追記。先日の、自民党が非公認のはずの裏金候補側へ政党助成金から2000万円を振り込んだという赤旗のスクープにも驚きましたね。(一体誰を助成してるんだか。それ、私たちの払った税金ですよね)記者からこの赤旗スクープについて問われた石破首相「報道の仕方に憤り」を感じるって? そんな答えを返してくる石破さん、あなたに憤っておりますよ。核保有論者の石破さん。
Posted by にいさん at 2024年10月26日 21:16
映画『私は憎まない』憎しみの連鎖を断つために
むしろ内容を伏せることなく書かねばならないと思います。しかし、まず是非ともご覧になっていただきたい。今、別府市のブルーバード劇場で上映しています。あなたも是非とも、足を運んでほしい。傍観者である以前に、この虐殺に無関心で済まさぬ為に。
パレスチナとイスラエルの架け橋になるという理想を医師は持った。医師はガザの男性。四方を完全に封鎖されたガザ地区の国境のゲート、本当に見てるだけで恐ろしい。何人がパスして通過出来るのだろうか。こんなに人間が狭い場所でひしめいている光景にも衝撃を受けます。ジャーナリストも通過の為にひと苦労。すると、ひとりの男性だけは、普通にゲートを抜けていく。この男性こそが、本作の主人公、アブラエーシュ医師。
「ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒の赤ちゃんの違いは? みんな同じく生まれたての赤ちゃんだ」
人の命への眼差しに迷いがない彼は、地元ガザの人たちのみならずイスラエルの人たちからも尊敬を集める産婦人科医です。
その彼の家族に悲劇が襲います。2009年、イスラエルの戦車が自宅の間近から(言うまでもなく軍事施設などではない、どう見ても民間人の普通の住宅です)砲撃をされ、娘3人と姪っ子とが目の前で殺されてしまうという虐殺に遭うのです。目の前で。そしてその現場から直電を受けて番組本番中のイスラエルのニュースキャスターが、その彼の慟哭を番組を通して発信するという衝撃的場面を世界中の人たちが目撃することになりました。(私は恥ずかしながらこのエピソードを知りませんでした)偶然放送を見ていたという当時のイスラエル首相はただちに軍に攻撃を(一旦ですが)やめさせます。今の首相は、それさえも出来ないようですが。
映画のタイトルは『私は憎まない』。それは確かに彼が言ったことではあるし、それでもカメラの前で彼はイスラエルの人たちへ向けて「共存」を訴えたのもその通りです。しかし、誤解してはいけない。それは、過去の悲劇を無かった事にするとか、水に流すとか、憎まないから握手しましょうなんて事じゃない。むしろ、激しい怒りに震えながら、イスラエルの罪を法に問う、裁判に打って出るのです。作中何人もの人たちが「イスラエルの司法は信用出来ない」と言い。又、無法な虐殺を行った軍は決して非を認めようとはしない。同じイスラエル人でさえもが唖然とする程に、頑なに。何度も何度もイスラエルの罪を訴えては棄却され。軍の見解は「問題の無い戦闘行為であった」と、ちょっと聞いてるだけでも苦しくなってくる展開。
これは、暴力の二次加害ではないのか?
まるで、彼の家族が、繰り返し殺されているような。
「傍観する世界への失望」を彼は口にする。その言葉のひとつひとつがスクリーンからこちらに刺さってくる。この痛みから避けるように? 多くの人たちは目を背けているということか。
今、更に残虐さを増した殺戮がガザを襲っている。メディアの中にはこれを「イスラエル対ハマス」などとまるでパレスチナとイスラエルとが同格であるかのような対立構図で表現する行為を私は憎む。一方的に占領し支配し、圧倒的な力関係のある者がジェノサイドを行う犯罪を、対等な戦争であるかの如く描くのはやめろ。と思わないわけにはいかない。
そこには多くの「同じような家族」がいたことを、この作品を観た後では、想像しないわけにはいかない。
そして、たとえ何度「イスラエルの司法」に跳ね返されようとも、
そのあげた声は残る。
彼のあげた声に寄り添う存在は、たしかに在る。むしろそれは、少数派ではないぞ。
国際司法裁判所は5月24日、南アフリカ共和国がイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区南部ラファでの軍事作戦停止を要請した件を受けて、イスラエルに対し「ガザ地区での軍事作戦を停止するよう暫定的な措置」を命じました。
さらに、国際刑事裁判所は、イスラエルのネタニヤフ首相らとハマスの指導者に逮捕状を請求。
なおもイスラエルを支援するような動きもはらむ中、それでも世界中の人々の声は広がり、国際社会による世論の包囲は強まっているように見えます。パレスチナへの連帯。イスラエルへの抗議が地球を覆っている。世界はもう、それを目撃してしまったのです。
Posted by にいさん at 2024年10月21日 20:41
「第29回沖縄式読書会」開催しました!
別府市で(ほぼ)毎月開催しております沖縄式読書会も、いよいよもうすぐ30回を迎えようかというところまでまいりました! そんな昨日(10月20日)は第29回目。初参加の方2人を含む定員いっぱいの6人の参加で行われました。会場はいつものyoiyaさんで。しかし嬉しい誤算と言いますか、盛り上がり、話しは膨らみ、時間も2時間オーバー(汗)でも楽しかったですね。初めての顔触れもあり新鮮な対話が弾みました♪
そんな今回御紹介のタイトルはこちら。
『山之口貘 詩集』
沖縄タイムス『アルバム 山之口貘』
茨木のり子『貘さんがいく』(沖縄を代表する詩人・山之口貘に関する3冊ですが、まさかまさかの写真アルバム!?という意外な角度から〈しかもなかなか美男子な貘さんにもびっくりしつつ〉茨木のり子さんが貘さんについて書いてある一冊とか、あるのですね。そして何よりも、山之口貘の詩の魅力を存分に語っていただきながら、彼の生き様までもが生き生きと伝わってきました。「生活の柄」についての話題も熱く)
『忌野清志郎 総特集』
忌野清志郎『瀕死の双六問屋』(山之口貘の次は忌野清志郎しばりで! このようなユニークな「しばり並び」は初めての展開かも?? 総特集は清志郎さんの魅力をたっぷりに詰め込んだMook本。『双六問屋』はなんと清志郎さんが書いたファンタジックな設定でのエッセイ!? 「架空の心の拠り所」より愛する誰かに向けて書かれたメッセージ。それはまるで清志郎さんの歌の世界そのもののような?忌野清志郎は、今も多くの人の胸の奥に、生きているのですね)
木村セツ『90歳 セツの新聞ちぎり絵』
木村セツ『94歳 セツの新聞ちぎり絵日記』(90歳を迎えてちぎり絵作家になったという著者! 高齢の親持つ身としても、このような、セツさんのような存在こそが救いなのでありまして。今回、初参加のメンバー様が御紹介下さいました。この、新聞紙を使ったちぎり絵が、実に精巧で、良く作り込まれていて感動させられます。続編の94歳の『ちぎり絵日記』では、更に進化・深化しているような!? よく見るとわかる新聞紙の質感と活字が見えているところも。こんなに素敵なアーティストがいるなんて、目から鱗の一冊)
墨佳遼『蝉法師』(遂に待っていましたこの展開!? 過去にこの読書会では、音声デバイスは何度か登場してきましたが、もしかしたらここでは電子書籍は意外と初めてかも!? Kindleで御紹介のコミック。この作品は知りませんでした。蝉を擬人化? それも「法師」? ツクツクで、法師? 地上に出れば消えると知ってのこの命。唱えて歩こう命咲かせる我らが人生。否、蝉生。彼らは命の限りに唱えて歩き、恋に生きる? もうひとりの初参加メンバー様が、読書会に新しい風を運んで下さいました。なにか、夏が帰ってきたような)
保坂隆『お金をかけない老後の楽しみ方』(老後をゆるっと楽しく。地域で主催される生涯学習の集まりには積極的に参加すること。お金をかけなくとも趣味を持つことで豊かな時間を手に入れる。しかし「健康」にはお金をかけると著者は訴えます。いま、特に定年退職をした男性が陥る老後の「これから何をやって生きていけばよいのか問題」が深刻であると聞きます。老後にかかるお金がいくら、なんて話しも最近話題になりましたね。そんな心配を抱く人たちに読んで欲しい一冊)
写真には写っておりませんが、↑この本を御紹介下さったメンバー様が、この度「放送大学」に入学されたとの事(素晴らしい! )そこで上の一冊とも関連して、これからの人生を見据えての放送大学で学び始めた話しもしていただきまして『心理と教育へのいざない』『問題解決の進め方』という二冊の教科書を御紹介いただきました。
斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』
写真アルバム『別府市の100年』(主催者からはこちらの二冊を御紹介。斎藤真理子さんといえば、先日ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの小説の翻訳者としても知られる話題の著者。翻訳以外での日本語の単著はこの本が初めてとか。韓国文学の歴史をまさに韓国という国の歴史と絡めて読み解く読み応え抜群の一冊。別府市立図書館で借りてまいりました。
『別府市の100年』は今年がまさに別府市政100周年という事で出版された、別府市民の間では話題沸騰中? 記念のアルバムです。別府タワー建設風景、別府大仏、路面電車、昔の、私の生まれる前の故郷の景色がもう、たまりません)
そんな、新しいメンバーさんも加わっての今回の沖縄式読書会。プレゼント本はこちらのタイトル。
Emi『今日から変わる わたしの24時間』(タイパに疲れた人たちへ? 1週間、何をするのかを決める。子どもには時間の管理を自分自身でさせてみる。スマホと手帳の併用をうまくやる事で効率良く? 時間に追われる事なく、自分の時間を「ごきげんに過ごす」ことが大切なのだそうです)
上原栄子『辻の華』(沖縄ではかつて、女性だけで運営された「辻」があり、大和の花街とはまるで仕組みが違っていたそうです。そこで生まれたお座敷芸の世界。この場所でジュリとして育った著者自身の数奇な運命と、沖縄の戦中戦後の歴史について。まさに知られざる歴史の一面で、当事者として生き抜いた著者による貴重な証言でもあります。沖縄に造詣が深く、三線奏者でもいらっしゃる初参加のメンバー様が御紹介いただきました)
『もっとすごい! 10分間ミステリー』(「ちょっとした待ち時間でも10分で読めちゃいます」との話しで、この読書会に向かう際のバスの待ち時間でも1つのエピソードを読んでこられたとの事です。多彩な作家陣が腕によりをかけて仕掛ける10分間のミステリー。とくと御堪能あれ! )
川端康成『山の音』(川端康成の人に向ける観察の眼差しは鋭い。ここでは息子の「お嫁さん」に対する義父の目線が、この描写から浮かび上がるこの感情って、もしや……! 淡々と静かな描写の作品なれどもとても気になる御紹介の仕方(笑)更には出版年における巻末の解説の違いについての話しも面白かったです。是非、「解説」の読み比べもしてみたくなりました)
『沖縄 おとな旅プレミアム』
宇都宮徹壱『股旅フットボール』(『沖縄おとな旅…』はその名の通り沖縄のガイドブック。今から7年程前のガイド本という事で、このコロナ禍の間に、もう見られなくなってしまった景色もちらほら。
『股旅…』は今のJ3の前身? Jリーグ発足当初の3部リーグでプレーする選手たちの姿。サッカー好きにはこれはちょっとした歴史の証言的側面も伺える一冊かもしれませんね)
宮里千里『ウーマク!』(今回、主催者としてはとても悩ましいプレゼントの選書でした。この傑作エッセイにして沖縄のブックカフェから取り寄せた希少な一冊。手放したくない! という思いと、でも読んで欲しい! という思いとがぶつかって(笑)やはりここは、この読書会の姿勢としては「読んで欲しい」という選択をとりたした。著者の子ども時代の沖縄について。戦果アギヤーのこと。瀬長亀次郎が与儀公園で演説会を行ったエピソードについて。このような話しをこの読書会で共有する機会を与えてくれたこの本にも、感謝です)
Posted by にいさん at 2024年10月20日 22:43
映画『あんのこと』をAmazonプライム・ビデオで
(劇場公開時に見逃していた入江悠監督の映画『あんのこと』を観ました。ネタバレは抑え目に書きますが、真っさらな状態からご覧になりたい人は、今、配信でも視聴出来るようになりましたので、是非ご覧になってから読んで下さると嬉しいです)
彼女の頭上を飛ぶあれは何だ?
真っ青な空に真っ白い筋を残しながら飛ぶあれは、文字通り物理的なホワイトウォッシング。
コロナ禍を頑張る医療従事者の皆様を応援しています。
巨額の税金をかけて、当時の安倍政権下でおこなわれたそれは、主人公を助けてはくれない。彼女の身の上に対して、何の力にもなってはくれない。どころか彼女がやっと手にした仕事を奪った緊急事態宣言。その生活の補償に一体どれだけの負担がかかると?あのブルーインパルスなるものを飛ばす以上の負担がかかるのですか?過酷な思いを乗り越えて掴み取った環境が、少しずつ少しずつ崩されていく。そしてまた毒親の影が。守ってくれたあの人も、あの人も、え?ちょっと、何やってるの?
そんな地上の地獄を、空飛ぶホワイトウォッシングが塗りつぶしていくかの如く、飛行機が飛んでいくのを見つめる杏の姿が、とても印象的でした。
杏を救ってくれようとした型破りな刑事。この物語は、実際に起きた実話を基にしているというけれど、佐藤二郎さん演じるあのキャラクターはモデルがいたりするのか?かなり破天荒だぞ?という彼の個性はともかく「あの人のような力を持った存在」はよくよく目を凝らして見るにリアルに感じられて仕方がなかった。ひとつの解釈として、きっと彼自身の真ん中には「彼の正義」はあるのだとして。サルベージを無くしてはならないという思いは一応嘘ではないとは受け止めたとして(サルベージとは引き揚げる、救い出す、救出するの意味)が、しかし、どうしようもなく弱いというか、己の「力」に溺れてしまったというか。杏の前進を喜ぶ裏であんた‥…っていう。こんな人、こんな組織、関係性って、まあまあ存在してる気がしてて。仮に始まりは善意だったとしてもトップが力を持ち過ぎると、どこかで破綻を来たすというか、閾値を超えてしまう危険について、最近も常々考えていたところ。大なり小なり「力」を持つ人間の振る舞いというのは、周りの人間の人生にも影響を与えかねないんですよ。場合によっては命にも関わるのです。組織であれば、先生ひとりのカリスマ性なりに依って立つ構造というのは、問題を感じてしまうな〜。
それも、これも、本来ならば「公」がフォローしてしかるべきところを「自助か共助でやれ」って言うんだから地獄ですよね。直接的にはあの毒親への怒りももちろん激しく湧いてくるのだけれど、よくよく見るとこれは「この環境を作ってしまった外側の世界」にどうしても目線が向かうような作りに思えてなりませんでした。この日本には、確かに杏が生活していたのだと真に迫ってくるリアリティを感じつつ。
とてもショッキングな話しだし、主人公に近い境遇の当事者の方や、同様の体験をされた方へ気軽に観て欲しいとは言えません。(又、私はどうしても、男性目線で大変な境遇の女性を描くという事の難しさも感じました。欲を言うと、当事者自身の言葉や意志が更に強く描き出されると、より力強いドラマになったのかな?という感想も持ちました)当事者が記憶を呼び覚ます危険、という事も頭に浮かびました。しかし、この映画を観たら、たまに実際聞こえてくる-居場所をバラすなんていう事がいかにとんでもない暴挙であるかということが、よくわかりますね。
しかし、杏という女性は、自らはあんなに親から酷い仕打ちを受けながら(それなりに理不尽な経緯で引き受けることになった)子どもの命は必死で守ろうとした事。彼女が実に筆マメであった事が、この悲惨な泥にまみれた物語の中に、小さな蓮の花の種が撒かれたような、そんな感覚を遺してくれたように思います。
大きくて綺麗な言葉では決して塗り潰されないドラマが、杏の姿を通して立ち上がってくるようでした。
Posted by にいさん at 2024年10月13日 14:07
前進座公演『さんしょう太夫』(別府市民劇場第124回例会)
(これから各地の市民劇場で鑑賞される方々有り。ネタバレはしないように気をつけます)
地の底から響いてくるような声が聴こえる。
説経師達の行列が、劇場の通路を埋め尽くすかの如く現れる。
この鳥肌は怖気であろうか。それとも感嘆の気持ち? 得体の知れぬその響きが、遂には舞台を埋め尽くした。
その声は、苦しみの呻きか。
恨みの心?
それとも明日への、望み。
希望とは絶望の中にこそ生まれるものだと語った劇作家を思い出していた。
中世の世に生きた民達の中で脈々と生き続けていきた物語。
それは、能に非ず、
歌舞伎にも非ず、
森鴎外の、小説にも非ず、
それは、説経節。
前進座の『さんしょう太夫』とは、そういう作品です。
この物語は元々、口伝えによって語り伝えてきた民衆の物語。それが時代を経るごとに、どこか甘い、角の丸い、御伽話のようになっていったという説あり。それはまるで世界中の名作童話がそうであったように?実際はそうではない。かつてそこにあったはずの、民衆の「怨念の調べ(水上勉氏解説より)」など無かったかのように。
かつて、説経節が伝えた物語は容赦がない。徹底的で。残酷であった。何故そこまで容赦がないのか?その意味するものを、前進座は敢えてこだわったと言います。「これは民衆の物語なのだ」と。
私が子どもの頃に児童書で読み、アニメ映画で観た「あんじゅとづし王」の物語。あらすじの大枠は違わないはずなのに。でもまったく違う。それは、切実さだろうか。その時代に生きた民の過酷な姿。生の舞台だからこそ、真に迫ってきてしまうものがあることも、確かだろう。
これが数百年の時代を超えて、ここまで既視感を持って受け止めてしまうのは、それは前進座の俳優たちの力ゆえでしょうか。うん。それはあるかもしれない。
或いは、いつの世も、さんしょう太夫は存在しているから?
後者ではないことを祈りたい。
人買いなんて、昔の話しですか?
過酷な労働による搾取、民衆からの搾取なんて。
これはやはり昔の話しでしょうか。
人買いなんてね。
また、鳥肌が立っている。なんなんだこの感じは。
読経が響き、説経師たちが再び集う。この物語は閉じねばならない。
闇がまた、劇場を包んでいった。
Posted by にいさん at 2024年10月07日 22:59
「ゴーヤーとカボスのこころ」SpaceBeppuで開催しました
10名の皆様を前に、しかも初対面や初対面に近い方も。いつもの読書会とは何もかも勝手が違って緊張いたしましたが、集まって下さった皆様!いっぺぇにふぇーでぇびる!(感謝)
ミニ講演会?私が喋るんですか?それも私自身の自分史を?
喋ってまいりましたよ。岸ママさん提唱の「人もうけ交流会」今月はなんと私上村がお話しをさせていただくことに。今、別府市で〈沖縄と大分の掛橋を目指す〉活動を始めて3年。出来る限り沖縄の話しに力点を置きつつ今の活動にも詳しく触れたいけれど時間が、なんと1時間では足りないらしいぞ(沖縄と出会うまでに辿った道のりも重要だったりするので)という想定時間はその通りだった……
頭の挨拶にウチナーグチとウチナーヤマトグチの話しを繋げて自分なりに「これはユネスコからも認められた絶滅危惧言語で日本語とは異なるルーツの言語であり専門用語では『琉球諸語』と呼ばれていること」「今もこの琉球諸語・ウチナーグチを第一言語として使っている先輩方がいらっしゃる」こと。そして「現在も県をあげてウチナーグチを大事にしていこうという取り組みに力を入れている」ことを沖縄自動車道の入口の表示の変更なども例に出して語らせていただきました(本当は方言札や日本の同化政策についても掘り下げたかった。沖縄芝居で俳優さん達はウチナーグチで台詞を言うという事も。時間とのせめぎ合いでの反省……)。とても皆様聞き上手で素晴らしいリアクションいただきありがとうございました。
しかし、まさか自分の(ざっくり急ぎ足でだけど)別府市での生い立ちについて、このような公の場で話すことになるとは夢にも思いませんでした。別府の話しも別府の話しで、とても時間内には語りきれず。しかし高校の野球部時代のエピソードめちゃくちゃリアクションいただけましたね。皆さんやっぱり野球好きですよね(^◇^;)(朝日新聞に「上村くんはキャッチボールもうまく出来ず…」と書かれたエピソードは、こういう時に使えますね〜 )
東京時代に今現在の自分の基礎となる経験が、の劇団員としての話しも「あれもこれも」話し足りないだらけだったけれど、皆さんの真剣な眼差しが熱を帯びてきて1を伝え10を感じ取っていただけた印象。感謝です。私も久しぶりに、劇団の研究所に入った時のことを話しながら記憶が鮮やかに甦ってきました。
沖縄との出会いにやっと入ったところで1時間近くなってるし(汗)焦りながら、沖縄での時間について、所々ホワイトボードにキーワードとなるウチナーグチを書きながら、もうここで出会った皆さんは兄弟・姉妹です!
反省、話し足りない話題が盛り沢山で(戦争の事、押し付けられる負担について、シビアで悲しい話しも入れたかった、けれども半端に触れるのもそれはそれで躊躇われ、そこは「この本に思いを」と。等、色々な葛藤が今も頭の中で反省会中です)実は悔しい内面を悟られぬよう、皆様の熱い感想に恐縮しきりでございました。人生で初めていただくような熱烈なお言葉に、ただただ、感謝、感謝でございますm(._.)m(1時間でももっと上手にまとめられるように、話し方をもっと磨くぞ。という決意が湧いてきたという事は、またやるつもりか?自分って、今自分に問うています)
素敵な出会いの機会を作って下さった岸ママさん、Space Beppu様、誠にありがとうございました!
Posted by にいさん at 2024年10月06日 21:15
最終週「虎に翼」
いや、ほんのわずかだろうが、たしかにここに居る。
よねと寅子のバディ感冴える最終週。時に離れた場所で、異なるポジションで、そう、原爆裁判の時もそうだ。それぞれの場所で意義のある仕事を、まるで阿吽の関係にも見えながらやり遂げていくふたり。もちろん、ふたりだけではない。俺たちの轟も、女子部のみんなも。皆で「一心同体」の気迫が、桂場等一郎をして「失敬」と言わしめたのである、と捉えてみた。
それはありふれた地獄だ。それに声をあげる事も、決して特別な事ではなかった。寅子のような「もの好きな御婦人方」と桂場が呼ぶ女性たちは現実に「ごまんと居た」のだ。声をあげる事を特別にしてしまう社会が在り続けただけであり。
それは今もか。今もなお、なのか。轟と彼のパートナーは、今の時代でもやはり、法的な関係が認められないという。寅子と航一も、遺言書を交わし事実上の夫婦とするなどという高等技術を使わずとも良い制度は、見えかけては遠ざかり、冤罪による死刑判決で人生の大半を奪われた男性の無罪が(冤罪であると)認められたばかり。寅子が、よねが、涼子が、ヒャンスクが、梅子が、人生をかけて石を穿つ以上の闘いが在ったはずだ。彼女たちの向こう側には「クソな世の中」を許さない意志が在ったはずだ。
彼女たちは「たしかにここに居る」同志と、文字通りの荒波に船を出した。最初の場面には小さな草船の映像だったドラマが、最後には、法という大きな船の話しに成長していった気がする。
憲法第14条が未だ具現化しているとは思えぬこの国で、その憲法を変えようという人間が(今も、この次の人もらしい)総理でいるという事の危機感を、ドラマの余韻と共に抱かずにはおれない。
ロスってる暇なんかあるか。お前の時代でやるべきことをやれ。と、よねなら言うであろうか。
Posted by にいさん at 2024年09月27日 20:18
映画「丘の上の本屋さん」をAmazonプライム・ビデオで☆
イタリア映画「丘の上の本屋さん」特に中盤以降の展開のネタバレに気をつけながらの感想を(全世代お勧めします。親子で観るのも良き、ですね)。
ここはイタリアで最も美しい村とも言われているらしい。リベロの古書店の周りの空間も、とても綺麗だ。日本には、たぶん、ないかもしれない。こんな景色があるといいのに。
時代はたしかに現代で。ネットで(Amazon?)買ったフォトブックの話しも頻繁に交わされる、まごう事なき現代の、まるで別世界のような美しい村の、昔からあるらしき古書店。主人の名はリベロ。自由だ。変わった名だとエシエンは言うが、でも彼はリベロのことが気に入ったようで(それは、リベロもまた。年代を超えた友情が始まる予感)。移民の子であるエシエンは本が大好きだが、買うお金がない。リベロは彼に「読んだら返しに来てくれ」と本を渡す。最初はコミック。ピノキオのコミックから、次は原作本を。そして「星の王子様」。段々と内容も厚みを増していき?「白鯨」に至るや私でも読み通せるだろうかという選書にドキドキさせられる。しかし彼は毎回、自分なりの言葉で感想を語るのです。エシエンから言葉を引き出すリベロの巧みな語りかけも見事。この人は一体どれだけの物語を頭の中に蓄えているのか?エシエンへの問いかけのひと言ひと言が誠実で、このふたりのやりとりに、こちらは引き込まれてしまう。
人を騙して富を得るのは良いことだろうか。二千年以上前に、君と同じ肌の色をした人が書いたお話しだ。ワクチンも何もなかった時代に、彼は多くの人たちの命を救った。
リベロの言葉を通して世界を知っていく少年。
こんなかっこいい古書店主。街にひとりはいてくれたら、それだけでも幸せだな。
彼が相手をするのは、エシエンのような少年ばかりではなく、個性的、いや、クセ強な?お客さんもわんさかやってくるぞ。そのひとりひとりとの会話がやたらめったら面白いじゃないか(この店で一日過ごしたいと思わずにいられない)風変わりな(大学の?)先生のエピソードも微笑ましいし、お前店員じゃなかったのかよ?っていう若者ニコラも最高な奴だし、中にはracistも。かの総統を崇拝する彼が所望する本は置いていなかったらしい(ちなみに私の地元の書店には、その手の本がわんさか置いてある。書店員に何故このような本を?と問うてみたところ「需要があるので」当然のことだそうだ)代わりにあなたに相応しい本がありますよとリベロ。「それは世界の偉大な英雄たちのことが書かれているのか?」「ええ、書かれていますとも。彼らの「所業」についても詳しくね」対応が。その返しが素晴らしい。
彼、リベロがエシエンに渡す本は、そのまま彼のメッセージのようで。
さて、その彼が特別に(貸すのではなく)プレゼントした一冊とは?
その本の一節が、まだ頭から離れません。
Posted by にいさん at 2024年09月23日 14:43
映画「パリタクシー」をAmazonプライム・ビデオで☆
Amazonプライム・ビデオでフランス映画「パリタクシー」を視聴。ネタバレは、私の口からはしません。ああ、後ろの、あのお客さんが、全部あなたに話してくれますよ。どうぞ良かったら、映画観ていってください。(車のドアを開く)
どこの国でも、タクシー運転手は大変らしい。(アメリカでは、大怪我しながら悪者やっつけ、プシューってなったり、韓国では酷い権力者どもに突っ込んでいったり)ここ、フランスのパリでは、毎日12時間労働で6日間ぶっ続けという働き詰めでも家族が生活していけない?これは日本の割と身近な労働者たちの姿とも重なってくるが、働く者の貧困も世界共通なのか。
シャルルはパリの街には精通したプロのドライバーだが、そんな彼でも過重な労働環境に経済的苦境は、否が応でも神経削られるわけで。乱暴な街の空気には毒付きたくもなるわけだよ。最初はちょっぴり粗野な男なのかと思っていたがそうじゃない。状況がそうさせるのだ。しかも、おいおい、免停寸前だと?
これはもはや、詰まれたか?シャルル。
しかし、人生というのは何が起こるかわからない。例えば、謎の貴婦人から送迎の依頼が入るとか。
はて?この御婦人は、何者。
この女性。マドレーヌがひとつ。秘密を明かしていくたびに、シャルルの顔が変わっていくことになる。観ているこちらもそうだったかもしれない。
マドレーヌの過去。それはなんと壮絶な。
50年代のフランスもまた、なんて男性中心の社会であったことか。そしていつの時代も、どこの国にも、暴力を振るう男はいるもので。今の時代は少しは、ようやく変わってきたと、彼女は言うけれど。
○○○○焼かれるような輩の話しは残念ながら今の日本の国でも耳にする。きっと世界中に、マドレーヌのような人たちの姿もあったのだと思うしそれは今も続いている。
それでも人生は素晴らしいし、パリの街は美しい。そのこともまた教えてくれる彼女の話しにシャルルは入り込んでいくのです。パリの道には詳しくても、これまでパリの街が綺麗だと思えたのは、娘との夜のドライブの時。一度きり。この日はじゃあ、二度目になるのかな。ある余韻を観客と分かち合いつつ、彼が見つめるパリの街は、とても綺麗でした。
Posted by にいさん at 2024年09月16日 18:39
宮里千里「ウーマク!」
先日、沖縄から取り寄せた宮里千里さんの一冊。夢中になって読みました。自分の知らない米軍統治下の沖縄の記憶(施政権が日本へと移る前の、所謂「復帰前」の沖縄)。そして、何もかもが「日本の景色」に染め上げられていく過程の中でも根強く生き残る沖縄の景色。そのいくつかは、もう見ることは出来ない。
私が初めて沖縄の地を訪れたのは2001年のことです。それ以前の、それこそ90年代以前の沖縄の景色のひとつひとつが、私には「伝説の沖縄」なのです。
いいなあ。すごいなあ。この目で見たかった。そんな情景が、このエッセイからは溢れんばかりに頭の中に流れ込んでくるわけで。
作者がウーマクーだった頃からの(タイトルの意味等は、気になった方は調べてみて下さい。ただ、日本語には直訳は難しいなと、個人的には思えてくるというか、だってウーマクーはウーマクーだのに。ウーマクでもいいけど)親しみと愛情溢れる文章から、実は滲み出てくる歴史の証言者としての重さ。その重さを読み手に感じさせない作者の言葉。「戦果」の話し、沖縄で暮らした日々に、終ぞ体験者の方から聞くことはありませんでした。文字通り、歴史に関する本や小説で語られる伝説であったはずの話しが作者の口からあっけらかんと語られていく。汗が滲む。作者の記憶の生々しさが伝わってくる。まるで宮里さんの隣に座っているようだ。
そこは元々この人たちの土地だったのだ。それを(子どもの前でも)銃をぶら下げたら連中がやってきては金網を暴力的に張り巡らせて(否、「的に」じゃないよな)復帰を勝ち取ったと思ったら今度は……いや、あれ、金網もなんもかんも、そのまんまやん。車は強制的に今度は右から左へ。標準語への矯正指導。(ちょいと脱線。少し前の話し。沖縄での方言札は問題なく行われた等と主張する本土の知人と激しくぶつかるという事を数度経験しました。加害の側が正当化していい話しじゃないだろう?ウチナーグチ・琉球諸語という固有の言語を奪われ、口にした子どもには罰として暴力が振るわれたという体験談を直に聴いた自分は黙っているわけにはいかなかった。明らかに人権問題だという抗議を笑いで返してきた人間の顔を私は忘れない)
あの時代の沖縄の人たちの叫び、熱狂、痛み、日常に息づいていた空気の何もかもが伝わってくる文章。決してステレオタイプなキラキラしたリゾートなんかじゃない、深みのある味の濃い歴史・文化を持った島。
宮里千里さんの語る沖縄。たまらないですね。
Posted by にいさん at 2024年09月14日 15:16
今、別府ブルーバード劇場でやっています☆是非ご覧になってください!!
「こいつらすげえって尊厳」する映画。
(ドキュメンタリー映画ですが、多くの人達が目を向けないできた世界であり、かつドラマチックな展開の連続故に、劇映画同様、ネタバレを抑えた感想を心掛けます。今、別府ブルーバード劇場で上映中です。是非、是非、その目で目撃してもらいたい作品)
映画「うんこと死体の復権」を別府市のブルーバード劇場で観ました。昨日の上映には、なんと別府市出身の前田亜紀プロデューサーも舞台挨拶に駆け付けてくれました。と、いう事は、前田さんが関わっていらっしゃるという事は、
ネツゲン・ユニバース!
今回も楽しみにしていましたヽ(´▽`)/(制作は「ネツゲン」と「クリエイト21 」配給は「きろくびと」監督は伝説の番組「グレートジャーニー」で知られる探検家・関野吉晴監督です)
今回も期待に応えてくれたというか、期待と想像のはるか上をいく映像の連続。刮目して見よ!と言わねばなりません。
映画タイトルの中に、なかなか日常会話で口にし難いパンチ力のある単語がふたつも入ったドキュメンタリー。上映後に前田さんも言ってたんですけど、これこそ学校現場で子どもたちにも見せたいのに、この題材、そして、うんこのダイレクトかつダイナミックなショットや(一切誤魔化すことなくちゃんと誠実に撮ってますから。そこが良いんですけどね)ご覧になった、とある学校の先生も、周りの先生達を説得するのに自信が持てないご様子で?そんな先生の気持ちもわからなくもないけれども、だけどだよ?世の中には、とある問題含みの作品を学校現場に乗り込んでまで子どもたちに見せるような事例もある中で(又は問題含み、議論の分かれるライフハック的なカリキュラムが多数見受けられる中で)このような誠実かつ学び多い作品こそ、学校現場で届けて欲しいと、先生方の気持ちもまた察しつつ、心から感じました。かつて学校現場の鑑賞会に関わり続けてきた身としても、そう思わないわけにはいかない。ちなみに、映画館に観に来た子どもたちの反応は上々とのこと。そうだよね♪男の子の会話では特に?うんこって大人気ワードですよねっ(*゚▽゚*)生き物もいっぱい(そりゃもう、いっぱいさ)出てくるし!子どもたちも夢中になって観てくれると思うけどな。
観ながら感じずにはおれなかったのですが、本来ならば、これこそがSDGsの精神を体現しているもののはずなのに、社会に溢れるSDGsの名がつくあれやこれやは「SDGsっぽい雰囲気を纏ったなにか」であったり「免罪符としての利用の気配しか感じないもの」であったり、明らかに?グリーンウォッシュ、ホワイトウォッシュとしての怪しい看板に見えてきてしまうのは、私が捻くれているせいでしょうか。(最近の例でいうと、神宮外苑再開発に関わる話題のあの不動産屋が堂々とSDGsの言葉を掲げているとかとか。ちなみに超大規模な移植って、元あった自然環境(循環する生命の関係性等々)バッサリ断ち切られる事には変わりないですからね。移せばいいってものではない)東京の都会の只中に一直線に続く緑の景色にも心打たれましたが、そこに大きな道路を横切らせるとか、正気の沙汰には思えないな。改めて、そんな怒りも込み上げてきたり……
しかしここに描かれているのは、まさにグリーンウォッシュの真逆の営み。真に森を豊かにし、生命がそこで育まれている姿がカメラに映し出されているのです。うんこも、生き物の亡骸も、それを食べて、分解して、自然に還り、土壌が豊かになって、その土壌が豊かになると、小さな生き物たちが集まってきて、分解力が加速していって、っていうその営みがなんとも感動的で、びっくりがいっぱいで。
でも、これまでの私自身含めて多くの人間たちは距離を取ってそこへ目を向けようとはしていない。なんて汚い、死骸なんて無理無理、ただでさえ虫なんて無理なのに、死骸に群がる虫なんて、って、映画を観る前の自分も思っていました。
しかし、そこに徹底的に視線を注ぐ人たちをカメラは追っていくのです。
社会から光を当てられない存在に光を当てたい
その存在は、実に良い仕事をしていた。見ているうちに、愛おしさと共に、それを美しく感じる気持ちさえ込み上げてきました。
映画が追いかけるのは、糞土師・井沢正名さん、自然の繋がり(リンク)を研究する高槻成紀さん、死体食いの虫たちを観察する絵本作家・舘野鴻さん。3人共に、監督同様強烈な個性の皆さん。ひとりひとりの姿とそのドラマにも注目です。
別府ブルーバード劇場で今上映中ですので、この機会に是非ご覧になっていただきたい!
Posted by にいさん at 2024年09月08日 12:34
「別府市の100年」出版!
待望の写真アルバム「別府市の100年」が遂に我が家へ。別府市政100年を記念して出版された分厚い大判の一冊です。
数ヶ月前、母の病院からの帰り道、この写真アルバム発売のポスターを見つけた母から、これを買ってきて欲しいというリクエストが。そして先月末に、書店からの入荷連絡がはいりました。
母にとっては若い頃の(なんなら母の生まれる前、更には、ばあちゃんが若かった頃のも)懐かしい別府市の景色。私にとっては、ほぼ生まれる前のものが大半。そして幼き日の別府の景色。
お前の生まれる前はのう、そこん道をチンチン電車が走っちょったんじゃあ。と教えられて、幼心に羨ましくも悔しい思いを抱いた記憶があるのですが、これ読んでみたら、なんと、自分が生まれた年(1972年)まで走っていたというではありませんか!?あの時の会話から50年経った大人の今になって余計に歯がゆい思いにさせられるとは……。いいな〜、地元で乗りたかったな〜。
それから子どもの頃に大好きだった別府市天満町の大仏さん!(別府大仏)子どもの足では遠い距離を何度あそこに通ったことか。その時は既に老朽化が進んで(昔は大仏の中に入れたのです)大仏さんの入口のところに立ち入り禁止の表示があったような気がするんですけど、これまた父親からの「昔はのう、あの中に入れたんじゃあ」という若い頃の別府マウントを何度聞かされたかわかりません。
他にも、キラキラして活気のあった頃の楠銀天街。別府ブルーバード劇場は最初日本語の「青い鳥」って映画館だったのか。メインストリートだった頃の流川通り。観光会館。楠港。元気だった頃の油屋熊八翁と隣にはボンペイさん!浜脇温泉。中央公民館(公会堂)。温泉プール(初めてのプロレス観戦はここが会場だった。具志堅用高さんのボクシング世界戦V3もこの別府温泉プール)。九州の浅草と呼ばれた頃の松原公園(母が若い頃よく通ったらしい)。戦前から存在し続けている景色がある事にも、改めて感動を覚えます。
圧巻は、なんとなんと、別府のシンボル・別府タワーが建設される過程からタワーオープン当日の賑わいまでも写真で納められていたところ。実は別府市の昔の写真好きで以前より集めていたりするのですが、このタワーの建設風景の写真は初めて見ましたよ。
でも、これらの風景は、そのほとんどは、今はもう無い。だから、たまらなく恋しくなりますね。同時に、その痕跡を巡る散策をまたしたくなりました。(先日は、東別府から浜脇の界隈のわずかに残る風景を巡ってきたところでした)
我が家での、別府市政100周年記念のお祝いは、このアルバムで楽しむ事となりました。
今、別府市内の各書店で冊数限定(千冊限定?)樹林舎より発売中です!
チンチン電車♪別大線の写真ポストカード付きですよ(=゚ω゚)ノ
Posted by にいさん at 2024年09月03日 20:35
第28回沖縄式読書会を開催しました!
別府市での「沖縄式読書会」も今回で28回目となりました。今回も別府市やよい天狗通りのyoiyさんで、4人の参加で行われました。
そんな第28回目に紹介された本はこちら!
田中優子+辻信一「降りる思想」(これ。今ほんと、それな!な一冊。ヒントは-世界中で幸福度No.1でお馴染みの!-ブータンと、そして江戸の庶民の生活だそうです。江戸時代にはゴミというものが存在しなかった!?直線的で前向きポジティブな成長の足し算ではなく、引き算の思想も大切ではないか。引き算と循環の思想?『豊かなものは自然の中に』の言葉が、今とても胸に響いてしまいました)
雑誌「coyote」(年に3冊刊行される雑誌coyote。今回の特集は「石」!?地質学の分野においても今、石が熱いとか。地層の中に発見される岩石でわかる地球の歴史も実に興味深いものがあります。池澤夏樹さんによる沖縄に関するページにも心惹かれました)
「UNEXPECTED」(「パタゴニア」ブランドのアウトドア写真集。なんとこの大判で豪華な一冊、先に紹介した雑誌「coyote」の読者プレゼントで当選した一冊だとの事。パタゴニアは登山やサーフィンなどに(他にも)関わる服や道具を扱うブランドだそうです。ここでは(割と、山岳方面が多いのかな)見応え抜群の自然の中での写真が詰まった見事な写真集でした。それにしてもなんと豪華な読者プレゼントでしょうか)
角田光代「源氏物語(上巻)」(まさに今また旬と呼びたい古典!来ました。こちらは角田光代さん編の「源氏物語」。上巻だけで600頁超。全巻揃うとかなりな頁数だそう……。しかし千年読み続けられる小説を生み出した紫式部という人はとてつもない仕事をされましたね。今の放送中の大河ドラマ「光る君へ」の事、かなり踏み込んだ女性と貴族の描写についても、源氏物語はや話が尽きませんね)
京極夏彦「姑獲鳥の夏」(ご存知京極夏彦の百鬼夜行シリーズの、これが記念すべき第一作目の文庫版。「源氏物語」を紹介して下さったメンバーさんがこちらもまた分厚い一冊です。分厚くて、漢字が難解で、ミステリーとしての情報量も半端ない。しかしまるで魔法の如く読ませられてしまうのです。引き込まれてしまうこの不思議。選者さんは(読書会でもお世話になっている)地元のブックカフェとその店主の姿と重なって見えてくるのだとか)
雑誌「Wander」(今号はvol.17「はいはてゅん号」!沖縄の出版社ボーダーインクが出版していた伝説の雑誌であります。沖縄から先日取り寄せて夢中になって読んでいます。私の知らない「90年代の沖縄の風景」が鮮やかに。そこで目にした景色。あの事件の事も……。沖縄好きにはもちろん、沖縄に接点の無い人たちにも読んで欲しい雑誌「Wander」でした)
村上春樹「街とその不確かな壁」(春樹さんの最新作は、自身の若き日の姿との対面と、旅のやり直しのような。若き日の仕事の決着戦のような作品にも映りました。ちょうど読書会を開始する直前まで、参加者の皆さんと「海辺のカフカ」の話題で盛り上がりまして、その中に出てくる図書館も良いですよね、という話しに。この最新作に出てくる図書館の描写もまた、とても素晴らしいのです。図書館好きの皆さんにも、是非ともお勧めしたい一冊)
後半のプレゼント本。今回はこのようなタイトルが揃いました!
三浦しをん「舟を編む」(映画版とドラマ版とをご覧になった参加者さんも結構いらっしゃいましたが、原作小説では、なんと、主人公がヒロインへ送った恋文が付録で付いてくるそうです(吃驚)恋文の内容も凄かったと。辞書が作られていく過程と人生模様の面白さ。タイトルへ込められた思いについても、実に興味深き一冊です)
ナンシー関「ナンシー関の画面手帳」(登場してくるイラストが、なんと著者が拵えた消しゴム判子!凄く面白〜い!有名人の似顔絵の?消しゴム判子とそこへ添えられた文章がとても素敵です。その判子で紹介されたお顔の多くは、もう会えないあの人やこの人ばかり。判子の味わいと人の魅力が詰まった一冊)
松岡孝志郎「道端」(ずばり著者が持ってきて下さいました。本人曰く、「詩のような言葉に」別府の景色が重なってきます。実は、読書会の前日には、この「道端」を基にしたミニコンサートも行われました。そこに行ったことのないはずの人にも懐かしい記憶呼び覚まされるような、そんな不思議な魅力を放つ作品です)
井上ひさし「井上ひさしの作文教室」(正確には?「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」って長いな(笑)冒頭の文章を読んだだけでワクワクしてきます。岩手県一関市にて行われていた井上ひさしさんの作文教室には、県内外から(遠くは首都圏からも!)141人の受講者が集まってきたそうです。その時の参加者の皆さんの高揚感や、ひさしさん本人の思いについても。羨ましい限りだと思ってしまいます。このような取り組みが地方都市で開催されるって、めちゃくちゃ豊かなことだと感じました)
真藤順丈「宝島」(文庫版の上下巻。近年における沖縄小説の代表作と言っても過言ではない一冊、かもしれません。沖縄戦直後、島の英雄的戦果アギヤーが米軍基地から持ち出した〈予定外の戦果〉とは!?英雄オンちゃんが消えた。消えたオンちゃんを探しながら、戦後の米軍政下の沖縄を力強く生き抜く主人公たち。実際の沖縄の史実、人物、事件をベースにしながら描かれるところも読みどころです。彼らの姿の向こうに見える景色を知って欲しい。その思いで選書させていただきました)
今回も充実した時間、熱いお喋りを、ありがとうございました!
Posted by にいさん at 2024年09月01日 21:28
映画「ラストマイル」公開!
脚本・野木亜紀子、監督・塚原あゆ子のゴールデンコンビによる映画「ラストマイル」を観ました。ドラマ「アンナチュラル」と「MIU404」と同一の世界で描かれるシェアユニバース作品。具体的な展開等のネタバレはしないようにします。しかしストーリーの背景に関する情報には触れていきますので、真っさらな状態で映画をご覧になりたい方は、読まない事をお勧めします。
その荷物が爆発することは、繰り返し見ていた予告編から察しはついていた。けれども、この巨大な空間で働く人間のうち、「社員は9人」という台詞の方に強い衝撃というか、冷たい生々しさが。フィクションの世界における大爆発シーンには若干食傷気味な位麻痺しているのに?現実味のある数字の方にはリアルにショックを受けるというこの感覚。2年勤務でベテランと呼ばれるくらい、人の出入りが激しいという事?そしてスクリーンいっぱいに出勤してくるあの非正規雇用の労働者の人たちは(この1カ月あたりの登録者で)千人を超えるという。デカい箱の中に「街」が。その街のゲートでは、ペナルティに関するアナウンスが繰り返し流されていくという、ちょっとした近未来の地獄を見ているような。
そして一方、下請けは、取引先の大企業には逆らえない。無理な要求も受け入れざるを得ない?
ラストワンマイルを担う配達員。配達一件の利益がたったの150円?人件費からあらゆる経費が安く叩かれて「全てはお客様の為に」というマジックワードによってウォッシュされてしまう。休憩時間もまともに取れない長時間の配達。100円ちょっとの利益を何軒積み重ねれば人間らしい暮らしが送れるのだろう。
こんな不当な労働が認められるものか。いや、昔の同僚はそんな甘っちょろい言葉は吐かなかったんだという父親は、きっと昭和の労働者の美学を引き継いでいるのでしょうか。しかし、同僚はしゃかりきになって働いても、利益はどんどん削られて、過労の末に……
もし不当な労働行為を強いられた下請けの中小企業が声をあげた時に、その要求に応じない場合に「もう二度と取引をしない」などと言われる等、どんなに厳しい条件であっても受け入れざるを得ない状況に追い込まれてしまう、本来、そのような理不尽な状況から下請事業者を守る為にある法律が「下請法」なのですが、たぶん、この世界規模のショッピングサイト。下請け法にある11の禁止項目のいくつかに触れている気がします。(長くなるので省きますが気になる方は調べてみて下さいね)しかし、そのような法律があったとしても、もしかしたら日本人の多くは、いまだ、耐えて我慢すること、文句を言わずに勤勉に働くことを美徳とする、或いは、思ったとしても、意味がない、恐ろしい、そもそもそんな手段があるとは思いもよらなかったりで、声を上げる事が無い。というケースがほとんどなような気もしています。(少しずつ、声を上げる事例も伝わってはくるけれど)
それも、回る歯車が巨大であればあるほど。声を上げることは容易ではない。
そして、歯車を構成するひとりひとりの労働者の力はどんどんと削がれていく。たとえ声を上げようと勇気を出してみたところで、時すでに遅しだったり、巨大な力に潰されてしまったり。最後は命をかけての異議申し立て?(実際にそのような話しをここ数年のうちに一度ならず耳にしている事が既に恐ろしいのですが)
命をかける見上げた度胸なんか、いらないんだよ。
くそが。
そうなってしまったらもう遅いんだよ。
この国は、一度でも動き出したでかい歯車を止める事がどうも苦手らしい。より巨大な力が意地でも綺麗で耳馴染みも良い言葉で全てを覆い隠して強行されてしまう。
それはまるで、キラキラしたクリーンな外見の暴力。
沈黙する羊は、ひとり、またひとり、姿を消していく。
いや、待て。
ここにいるのはヤギさんだっけ?(「羊さ〜ん」「ヤギです!」のやり取りは良かったな)
声のでかいヤギさん。
こうなりゃ、せーの!で一斉に止めてみませんか?
大きな歯車になす術もなく潰されるよりも、ましてや自分の命をかけるなんて事はしてはいけない。このユニバース全体の構成員で、俺たちを羊と思って侮っているあいつらの正体を暴いてみせよう-と、ユニバースの創造主からのメッセージと受け止めました。
Posted by にいさん at 2024年08月26日 21:00