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映画【インビクタス 負けざる者たち】
https://haruniy.ti-da.net/e11429786.html
↑クリント・イーストウッド監督最新作【リチャード・ジュエル】もよろしく♪
(映画【インビクタス 負けざる者たち】感想。ネタバレには気を付けて書きます。)
子どもの頃に社会科の授業で習い、テレビのニュース番組でもたびたび扱われていた南アフリカの人種隔離政策アパルトヘイト。
当時の冷戦下の世界情勢と共に、「世界とはこういうもの」であり「自分たちが生きているうちはたぶん変わる事はないであろう」と思われていた事柄が、自分が小学生から成人を向えるまでの間に次々と変わっていきました。
あの後まさかベルリンの壁が崩壊するだとか、西と東に分かれているのが当たり前だと思っていたドイツがひとつの国になるだとか、国境を超えてひとつの通貨が使われるようになるだとか、まさか、あれだけ絶対的体制と思っていた「冷戦」が終わりを告げるだとか、
そして、アパルトヘイトも。
映画はネルソン・マンデラが釈放されるところから幕を開けます。
綺麗な芝生の上で白人たちがラグビーの練習をしている隣りの土のグラウンドでは、アフリカ系の人たちがサッカーを行なっている。多くは少年たちか。
そのサッカー少年たちが、ふたつのグラウンドに挟まれた道路を通る車に歓声をあげながら群がっていく。
向かいのグラウンドで、白人のラガーマンがコーチに尋ねる。「あれは誰か?」と。「釈放されたテロリストだ」と答えるコーチ。
まさか、その彼が大統領になるなんて。
まさか、弱小チームと酷評されまくっていたラグビー代表チームが あんなふうになるなんて!?(どんなふうかは、そこは言えない・・)
ひとつの国の社会に、バックボーンの異なるひとたちが共に生きている。
片方はもう片方を恐れ、片方はもう片方への(圧政者への)憎しみを募らせていく。
国の中に深い分断が存在する社会。
それは、自分が今生きる社会においてさえ感じること。同じ社会に生きているはずなのに、こんなにも見ているものが違うのか?それは時に暴力的な姿を現す。自分は「それ」を何度となく目撃してきたし、ちょっとした絶望感に苛まれた事すらある。小さな差異にレッテルを貼り、時には事実ではないデマを振りまいて恐怖を煽る人たち。
そんな「社会の中の分断」のある意味究極の形を成していたのがマンデラが大統領になった時の南アフリカではないだろうか。
マンデラは何故ラグビーにこだわったのか?
何故、「彼ら」を許し、融和を説いたのか?
(マンデラ大統領誕生時にはクビを覚悟していたらしき)白人シークレットサービスのひとりが語る「前の大統領にとって私は透明な存在だった。今の大統領は私について深く知ろうとしてきて、出張先から土産を買ってきてくれた」。当初不穏な緊張感に包まれた大統領の警護チーム(アフリカンと白人が半数ずつの)に現れていく変化はそのままこの国が歩み始めた時の姿を表しているような。
彼の人への対し方が次第に相手に影響を与えていく。
マット・デイモン演じる代表チーム主将が、かつてマンデラが収容されていた独房を訪れて、その狭さに愕然とします。
こんなところに30年閉じ込めた相手を、許せるものだろうか?
彼もまた、マンデラの人間性に驚き、惹かれていくのです。
あんな人は初めてだ。
タイトルはInvictus。
ラテン語で「屈服しない」という意味。
沖縄では「不屈」という言葉で呼ばれる。
あの人は、南アフリカのカメジローだ。
いや、一般的には って言うか世界的には 逆か?(笑)
でも私には同じだ。
理不尽に屈しない。何者にも支配されない。暴力・憎しみよりも融和を。例えば他者を「あんな人たち」というレッテル貼りをしないような。そして本当に純粋に民を思う気持ち。
Invictus.
これは、世界共通の言葉。
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(映画【インビクタス 負けざる者たち】感想。ネタバレには気を付けて書きます。)
子どもの頃に社会科の授業で習い、テレビのニュース番組でもたびたび扱われていた南アフリカの人種隔離政策アパルトヘイト。
当時の冷戦下の世界情勢と共に、「世界とはこういうもの」であり「自分たちが生きているうちはたぶん変わる事はないであろう」と思われていた事柄が、自分が小学生から成人を向えるまでの間に次々と変わっていきました。
あの後まさかベルリンの壁が崩壊するだとか、西と東に分かれているのが当たり前だと思っていたドイツがひとつの国になるだとか、国境を超えてひとつの通貨が使われるようになるだとか、まさか、あれだけ絶対的体制と思っていた「冷戦」が終わりを告げるだとか、
そして、アパルトヘイトも。
映画はネルソン・マンデラが釈放されるところから幕を開けます。
綺麗な芝生の上で白人たちがラグビーの練習をしている隣りの土のグラウンドでは、アフリカ系の人たちがサッカーを行なっている。多くは少年たちか。
そのサッカー少年たちが、ふたつのグラウンドに挟まれた道路を通る車に歓声をあげながら群がっていく。
向かいのグラウンドで、白人のラガーマンがコーチに尋ねる。「あれは誰か?」と。「釈放されたテロリストだ」と答えるコーチ。
まさか、その彼が大統領になるなんて。
まさか、弱小チームと酷評されまくっていたラグビー代表チームが あんなふうになるなんて!?(どんなふうかは、そこは言えない・・)
ひとつの国の社会に、バックボーンの異なるひとたちが共に生きている。
片方はもう片方を恐れ、片方はもう片方への(圧政者への)憎しみを募らせていく。
国の中に深い分断が存在する社会。
それは、自分が今生きる社会においてさえ感じること。同じ社会に生きているはずなのに、こんなにも見ているものが違うのか?それは時に暴力的な姿を現す。自分は「それ」を何度となく目撃してきたし、ちょっとした絶望感に苛まれた事すらある。小さな差異にレッテルを貼り、時には事実ではないデマを振りまいて恐怖を煽る人たち。
そんな「社会の中の分断」のある意味究極の形を成していたのがマンデラが大統領になった時の南アフリカではないだろうか。
マンデラは何故ラグビーにこだわったのか?
何故、「彼ら」を許し、融和を説いたのか?
(マンデラ大統領誕生時にはクビを覚悟していたらしき)白人シークレットサービスのひとりが語る「前の大統領にとって私は透明な存在だった。今の大統領は私について深く知ろうとしてきて、出張先から土産を買ってきてくれた」。当初不穏な緊張感に包まれた大統領の警護チーム(アフリカンと白人が半数ずつの)に現れていく変化はそのままこの国が歩み始めた時の姿を表しているような。
彼の人への対し方が次第に相手に影響を与えていく。
マット・デイモン演じる代表チーム主将が、かつてマンデラが収容されていた独房を訪れて、その狭さに愕然とします。
こんなところに30年閉じ込めた相手を、許せるものだろうか?
彼もまた、マンデラの人間性に驚き、惹かれていくのです。
あんな人は初めてだ。
タイトルはInvictus。
ラテン語で「屈服しない」という意味。
沖縄では「不屈」という言葉で呼ばれる。
あの人は、南アフリカのカメジローだ。
いや、一般的には って言うか世界的には 逆か?(笑)
でも私には同じだ。
理不尽に屈しない。何者にも支配されない。暴力・憎しみよりも融和を。例えば他者を「あんな人たち」というレッテル貼りをしないような。そして本当に純粋に民を思う気持ち。
Invictus.
これは、世界共通の言葉。
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Posted by
にいさん
at
2020年02月26日
08:48