にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
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映画『◯月◯日、区長になる女。』別府ブルーバード劇場で観ました。

映画『◯月◯日、区長になる女。』別府ブルーバード劇場で観ました。



 別府市のブルーバード劇場で『◯月◯日、区長になる女。』を観ました。ドキュメンタリーなので、ネタバレ等気にせずに書きますが、真っさらな状態でご覧になりたい人は読まない事をお勧めいたします。そして選挙に関わりを持つ全ての人たち、市民による草の根の活動に携わってる皆さん、そういうのがちょっと苦手な皆さんにも(あと、キョンキョンが好きな皆様も(=゚ω゚)♪)観て欲しい作品です。今、別府ブルーバード劇場で上映していますので、是非是非ご覧になってください。

 
 「戦に勝ったのは、あの百姓たちだ」


 観終わった後、私の頭の中で志村喬のあの台詞がグルグル回っている。(『七人の侍』より)

 
 これでも、「選挙現場の片隅で証紙を貼る」人間のひとりとして、やたら既視感ありありな景色が続いていくのですが、違うのは(番狂せとも言いたくなる)短期間での逆転劇と、見た事がないような「政治家っぽくない」候補者の姿か。でも直前まで続く候補者岸本さんの葛藤にもカメラは向けられるのですが、これがいちいち「どこかで聞いた会話だな〜」という思いが強くて苦しくなるやら苦笑いしてしてしまうやら?な私でした。

 候補者にこのようなストレスを与えてはいけない。というのもよくある会話だけれども、要求をぶつける人の存在って本当に重要だと私は常々思っています。そこに生きる人たちの要求あってこその政策じゃないと、それこそ(公の-と言いながら)「候補者の能力による自己実現」にも反転しかねないという危うさも自分は感じたかな。それこそ、岸本さんと、あの高齢のパワフルな支援者さんとが交わしていた会話の通り「お互いの腹を割って話し」を重ねていく事こそが最善の「より良き道」だと思ったし、観ながらこちらも改めて考えさせられる思いがした場面でした(常に起こり得る支援する側と候補者との意思の疎通の問題。集団の論議のあり方の問題)。

 いや、でも腹を割って話しをするって、そんなひと言で言っちゃえる程簡単じゃないですよね。候補者に限らず、あらゆる現場で、選対のあらゆる立場の人とのコミュニケーションがうまくいかずに離れていく人の姿。事件?の数々が頭の中に蘇ってきましたよ。あそこの局面で、真正面から議論を返す岸本聡子さんの姿勢は(揚げ足を取るでもなく、ましてや論破するでもなく、まずその厳しい声をしっかり聴いた上で、その上で自分の考えを率直に伝える。結果、共に対話を続けていこう-となっていく。決裂はしない。根本では離れていない事を確かめ合いつつ)なかなか、ああいうふうには出来ないものだと、正直ハラハラしつつも、感服させられるのであります。

 しかし、この短期間の間に、これだけの体制を作り上げてムーブメントを起こした杉並区の住民の人たちは凄い。正直、岸本聡子さん個人への(あの初登庁の際のカッコ良い姿とか。これまでにない凄い人がきた-という側面からの?)光の当て方が強いのも気になってて、その向こう側にいるはずの住民の人たちの姿まではよくわからなかったのですが、この映画を観て、まさにそこに暮らす人たちの長く積み重ねてきた運動の姿が伝わってきた事に何より感動しました。

 この人たちの長年の運動の蓄積があったればこその岸本聡子区長の誕生であったと強く思わずにはいられません。

 あの綺麗な街並みが壊されて、自分たちの住処が排除されるかもしれない不安。恐怖。

 その要求の多くは、それはもはや欲望だとか自己実現などというものでは決してなくて、生存権、人権の問題ではないのか?

 それを推し進めようとしている議会の姿がまた地獄である事この上なく。スマホをいじる区長(←岸本さんの前任の男性区長ね)それ、居眠りしているのか?区長。自民党の男性議員の酷い質問に驚き騒然とする傍聴席を恫喝する自民党(多分)の男性議員。それを咎めるどころか傍聴席の方へと注意を呼びかけるいかにも若そうな男性の議長…。

 映画は、杉並区議会がいかにしてパリテが実現したかについての経緯にも踏み込んでいきます。皆さん、地元議会に(平日、可能な人は)足を運んでみましょう!みんなで傍聴するところから、社会は変わっていくのかもしれません。

 多くのヒントと可能性が詰まった映画だと思いました。

 
 


Posted by にいさん at 2024年04月07日   16:27