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「勝つ方法は あきらめないこと」-辺野古テント村報告-
キャンプシュワブ 第一ゲート前に人だかりが出来ていました。
辺野古への新基地建設に反対する人達(50人くらいでしょうか)と、基地の警備員さん。そして警察官も数名います。
ゲートの斜め前にはパトカーも一台 睨みを効かせるようにとまっています。(周辺は駐禁の表示がされたコーンが置かれています。)
-これは車から降りてのんびり道を聞くなんて事はまずいな・・-
僕はハザードを付けて路肩に車を停めて、車内から そこにいるおじさんに声をかけました。
「お疲れ様です。テント村にはどの道を通って行ったらいいでしょうか?それから、撮影は可能ですか?」
「撮影はね〜 名前を名乗ってくれた人であれば大丈夫だね〜。それから、ちょうどこれからテント村に向かう人がいるから、乗せてってくれる?」
と、遠目から見た物々しい雰囲気とはギャップのある⁉ 気の良さそうなおじさんの返答にちょっと安心させられました。しかも車が停められない場所という事もあって、移動したい人にはちょうど良いタイミングで自分が通りかかったのだそうです。(このゲート前とテント村とを 仲間の人が かわりばんこでシャトルバスのように車を行き来させているのだそうです。)
車に乗ってきたのは これまた にこやかなお母さんがお二人。(自分の母親世代くらいの方でしょうか?)
お二人を車に乗せて、信号から辺野古の市街地に曲がり、ちょっと狭い道に入った時です。
うしろからパトカーがついてきました。
たまたま パトロールコースかなにか?
何も悪い事してないよね?
意識的に、後をつけている?
でも、軽微な違反 たとえば 一時停止で止まらないとか、わずかな速度超過とか、何かあれば即車を止められたでしょうね。(これ以上ないくらい安全運転してるからね。たぶんそれはないでしょうけれど・・)
でも、こんな時に後ろにパトカーにピタッと付けられると、緊張するものですね。
このわずかな緊張を強いられている間に、まったく緊張感とは程遠い?おかあさん二人と 明るいゆんたくに花が咲いていました。(僕は後ろのパトカーに内心ドキドキしていましたが(笑))
この辺りは昔は米兵さん達の歓楽街であった事。しかし今ではすっかり寂れてしまってこの通り。
お二人の出身地を尋ねると、自分と同じく那覇からやって来たというおかあさんと、もうおひとりは隣の宜野座村からいらした との事。
「みんな住んでいる場所も、なにもかもバラバラなんですよ〜」との事でした。
ただ、ここに基地なんか作って欲しくないから・・との思いを共通点に、それぞれが思い思いの心を持って集まってきているのだそうです。
以上のやり取りから、これはどこかの組合などの組織的な動員とはまるで無縁な集まりである事が見て取れました。そして、いわゆる「活動家」なる言葉から連想される その道の専門家的なイメージからは、かなり遠い場所にいる方々だという事がわかります。
しばらくいくと、パトカーは スッと別の道へと外れました。
-と、同時に見えて来たのが、辺野古テント村でした。
テントの側面に大きく「勝つ方法は あきらめないこと」と書かれていました。
おかあさん二人の話しでは、つい先日、このテントが何者かの襲撃に遭ったのだそうです。(誰もいない時間帯を狙って、めちゃくちゃに中が荒らされていたのだそうです。)
テントの周辺には、ここで8年以上の 座り込み活動をされている方々が10数名いらっしゃいました。テレビカメラを持った報道関係らしき人も数名いらっしゃいます。自分と同世代か、さらに若い方もここには結構いらっしゃいました。
テントで出迎えて下さった篠原孝子さんにお話しを伺いました。
「私たちはもう10年に渡ってこのテントを張り 闘い続けています。(阻止行動は8年。座り込みは10年だそうです。)ゲート前での抗議は朝8時から17時まで毎日続けています。あそこは車を停められませんから、こことゲート前の移動はいつも仲間が車で送ってくれます。
私達は、本当にひとりひとりが普通の市民なんです。しかし(全国放送の)マスコミは そんな実像を正しく伝えてくれていません。あたかも一部の「活動家」が反対運動を行っているかのように伝えています。
(テント内には地元の新聞 琉球新報と沖縄タイムスの基地関連の記事がたくさん貼られていました。それらの記事を指しながら・・)自分達の姿をきちんと知るには、地元沖縄の新聞を読んでもらわなければと思っています。なので、県外からこのテントを訪ねて来てくれた人達にはこれらの県内紙の記事もここで紹介しているのです。
先日のマスコミ報道では、あたかも「辺野古の基地建設がついに着工」という印象を与える報道がなされていましたが、それは正しくありません。
あれはあくまでも、これから基地を建設する為に、その建設予定地の建物を壊して一度更地にする為の作業に着手した-という事であって「即 基地建設着手」という捉え方は間違っています。
又、海上へのブイの設置も、本格的な海上での取り締まりこれからです。
なんとかこの動きを阻止しなければなりません。そして、この状況を正しく発信していけたらと思っています。
「勝つ方法は あきらめないこと」私達はこの思いで闘いを続けています。
こうして、遠い場所からもたくさんの人達がこのテントを訪ねてくれる事をとても嬉しく思います。そして是非多くの人達に発信していただけると嬉しいです。」
とても穏やかに 静かに語る篠原さんですが、しかし半端ではない内なる強さを感じました。そして、驚くのは、僕のように、このテントを初めて訪れる人間ひとりひとりに対して、こうして丁寧に説明をして下さっている事にも感動させられました。(そんな篠原さんの周りには、自然と人が集まってくる様子でした。)
このやり取りを何年にも渡って地道に粘り強く、仲間を増やしながら、続けてこられたのですね。
繰り返しになりますが、ここに集う人達は ほんとに 普通の人達でした。
よく「普通の人」とか「普通の市民」などという言葉がとても便利に使われて-などと感じる事がありますが、しかし 本当にそうとしか表現のしようがないのです。
それぞれが、それぞれの生活を営む中で、しかしどうしても黙ってはおけない-沖縄の未来の為にどうしても黙ってはおけないという「多様な立場の人達の輪」が 細る事なく 継続し 日本中に波紋を広げているように僕には見えました。
微力ながら、そんな活動の発信のお手伝いをさせてくださいと 語ると、篠原さんは、素晴らしい笑顔を返してくれました。
(今回の写真は、ひとつひとつ許可をいただき撮らせていただきました。撮影にも協力して下さった皆さん ありがとうございました。)
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Posted by
にいさん
at
2014年07月16日
22:47