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GODZILLA (公開初日に 愛を込めて)
人間 下手に愛情が濃いと ついつい文句のひとつやふたつ 言いたくなってくるものです。
昭和の日本の特撮が好きな人間の一人にとっては、前作の魚ばかり食べるトカゲの化け物も、日本の特撮へのオマージュと称する妙なロボットアニメもどきも、とても満足出来る代物ではありませんでした。(あの国の描くヒーロー達の多くも、その描写もまた、共感からは程遠いものでした。ただ、中には例外もないわけではありませんが・・)
外見ばかり模倣して、その精神については何も踏襲していない。これまでのハリウッドの描くそれらの作品に、その事が僕には悲しく思えたのです。
そして、あの国は、現実では使う事の出来ない武器を、なんの躊躇いもなく無神経に打ちまくる- 例えば 核 。
この怪獣を描く上で、核は避けて通れない存在です。映画の中でもたびたび出てくる 核のやり取りに 冷たい予感が走ります。(しかし前作の魚好きのトカゲは 放射能を吐き出す設定は不当に⁉カットされていた-もっとも あのキャラクターには似合わないともいえるが-しかし今回もその描写がカットされた上に 核ミサイルをばんばん撃ちまくるような事だけはやめてくれ・・と僕は客席で祈りました。)
核ミサイルを怪獣に撃ち込むと主張する軍曹を、渡辺謙扮する博士が止めようとします。博士の名前は芹沢。第一作をご覧になった人ならば、その名前に特別な意味を見いだす事でしょう。(しかし僕にはむしろ、志村喬さん演じるあの苦悩する博士の姿のほうにダブって見えてきましたが・・。)芹沢の持つ古い時計は8時15分で止まっています。1945年の8月6日 彼の父親は広島にいました。
これまでのハリウッドのメジャーな娯楽作品で、こんな描写があったでしょうか・・。
破壊の神か。調和をもたらす者か。
芹沢の言う「調和」という捉え方に、軍曹は 「リスク」だと一蹴します。
日本が描くヒーローも モンスターも、その多くが 人智の及ばぬ巨大で神秘な存在として描かれてきました。正義とか悪という言葉では単純に語れない存在として。対してアメリカのそれは、人間臭い等身大に近い容姿である事が多い(最近の日本の特撮も、そうかもしれませんね。)そして悪は徹底的に「悪」であろうと振る舞おうとしているように僕には見えました。
調和をもたらすなどという考えは日本的な「怪獣観」なのかもしれません。どうせモンスターは、英雄的な人間の主人公によって殺されてしまうに違いない それも、場合によっては核ミサイルで⁉
ここで多くを語るべきではないかもしれませんが、しかし思うままにここでは書いてみます。
ある 主人公の絶体絶命のシーンに現れた あの青白い光。
チェレンコフの光
-客席に静かなどよめきが さざ波のように走ったのを僕は忘れません-
かつて円谷英二は、飴細工の鉄塔を溶かしてみせる事で、その熱線の凄味を表現しました。この映画はそれをどう描き、そして 熱線が放つ先は人類なのか?それとも?これはあなたが是非映画館で確かめてみて下さい。
前作のトカゲの化け物とは違う。
アベンジャーズとは違う。
パシフィック・リムとは違う・・
そこにいたのは、僕が大好きなゴジラの姿でした。
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Posted by
にいさん
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2014年07月26日
09:03