にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
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【太陽の門】南城市民ミュージカルを観てきました。


http://torunakamusic.com/news/n57.html


タイトルは【太陽の門】と書いて「てぃだぬじょー」と読みます。


観ながら・・果たして現実の我々の中のどれだけの人間が、ガマワールドから外へ出ていくことができるだろうか?と考え込んでしまいました(笑)

現実の大人はずるいから。

どうにもならない(ように一見して思える)問題を前にした時に「反対の思いは私も変わらないが、現実はこう進むのであるから、無理にここで楯突いても仕方がない。実利を得るのが賢明である」だの「他の大事な問題が前に進まなくなるではないか」だのと発言する人間を実際に何人も目にしてきたし、自分に向けてそういう言葉を投げかけてきた人間もひとりやふたりではありませんから・・。《一応突っ込んでおくが-まず、他の大事な問題が前に進まなくなる-なる論調はだいたいの場合 文字通りの「別問題」である場合が多いように見受ける。安直に物事を一緒くたにして正当化を図る言動はあまり感心出来かねますよね〜。それから、「どうせ変わらない」は 根拠の無い諦めという以前に 長いスパンで考えたり、複雑な問題を回避したがる人に このような雑な言動が多いという印象かな・・》

しかし、子どもたちの美ら肝(ちゅらちむ・たぶんこの漢字なのでしょうね。ついでに言うと チムグクルなどと言わないところがかなり好感が持てました^^ )には 己れを正当化する大人とは違って 大切なことばが純粋に染み込んでいくのかもしれません。単に子どもたちが主人公の市民劇であるということ以上に これは物語の必然のような気もしてきました。

昔、人生で最も尊敬したひとりのある先輩から「『希望』というのは、絶望の中でこそはじめて生まれる」という言葉があって、その言葉を思い出しました。(ちょっと、こないだの【ローグワン】を思い出すな^^ )タイトルは太陽の門なのに、舞台はほぼガマ(洞窟)の暗闇の中です。暗闇の中から太陽の光が射す場所へ あの子どもたちのように私たちは出て行くことができるのか?と また、冒頭の言葉に戻ってしまいました・・

あ、あくまでもフィクションの話しですからね(・_・;ガマワールドに迷い込んだら最後、たぶん出てくることが困難な大人もいそうだなと・・自分も含めてね(笑)









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Posted by にいさん at 2017年02月19日   19:49