にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
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鍋を囲む:小熊英二さんの喩えばなしより。



【お金も権力も人間関係の代役として入り込んでくるもの。関係が充実していれば、本来それは少なくて済むものなのかもしれません。-大変多くのアクセスへの感謝の気持ちと共に、大好きなこのお話しをシェアさせていただきます。】


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昔の宴会には、問題というものがあまりなかったそうです。

有力者が「この料理にする」と決めればみんな従っていました。

選択肢も限られていたし、みんなそんなものだと思っていたので、けっこう楽しんでもいました。

次第に洋食.和食.中華というふうに、だんだん選択可能性が増えてくると、幹事さんの苦労が増えてきます。参加者の希望を集計し、上の選択以外の希望が出るたびにカテゴリーを増やすなどして対応していきます。

しかしこれを続けていくといくらやっても不満が出ます。次第に「あの幹事は無能だ」と支持率が下がり、新しい幹事が連れてこられます。「絶対に皆さんを満足させます」という触れ込みだったその幹事でも事態は変わりません。

そのうちお年寄りから「わがままを言わせるな。強い幹事を連れてきて従わせろ」という注文が入ります。

けっこう賛成する人もいましたが、若い人が参加しなくなって、宴会が寂しくなってしまい、参加を強制したらもめごとが絶えなくなりました。

そのうち幹事が決めるのではなく、バイキングにして自由選択させるなどのアイデアも、一時は満足を呼び起こしますが、次第に「あれはないのか?」という声が相次ぎ、バイキングの品目をどんどん増やさなければならなくなりました。

結果、食べ残しが多くなり、効率が悪くなります。何人も専門の料理人を雇い、たくさんの食材を買い込む為、馴染みの地元のお店では対応出来なくなり、都会の大きなホテルで開くことになりました。しかしその結果、宴会の参加費が高くなり、貧乏で参加できない人が出てきました。

参加費を下げる為には大勢人を呼んで、大量にチケットを販売するしかありません。

そうなると、なんだか宴会の雰囲気がよそよそしくなりました。数人で固まって話している人、隅っこで一人で食べている人などが出てきて、宴会をやる意味がなくなってきます。



これはまずい、とネットで探したら、少人数でも安く好みのセットを作りますという業者がいました。品目もそれなりにありますが、よく見ると同じ食材の料理法を変えてあるだけです。安くするために本部が食材を一括仕入れしているためらしい。

メニューのそれぞれのセットには、「こんなあなたにぴったり」とかいうカテゴリー分けされた謳い文句がついています。

最初は面白いと思いましたが、だんだん飽きてきます。そのうえ「あなたはこんな人でしょう」と分類されて、自分が操作されているような、嫌な気分もします。おまけに、非正規雇用の若者や女性が、本部で作ったレシピで調理しているようで、働いていた親戚の若者が、ひどい会社だといっているのが伝わってきました。


どうしたものでしょうか。

多くの人が問題だと思っていることですが、最近はやっている解決案があります。

鍋料理です。

鍋の特徴は、みんなが参加して作ることです。そこで共同作業をやり、対話しているうちに、「われわれ」意識が生まれます。

みんなで作るのですから、料理に失敗しても、誰も文句を言いません。かえって面白がって食べたりします。材料を買ってくるところから話し合えば、さらに不満は少なくなります。クレームが減るというだけでなく、作業に参加して話しが十分出来るので、満足度も高くなります。

また鍋のいいところは、不満が少ないだけでなく、コストが安いことです。材料はそんなにお金はかかりませんから、会費が安い。料理人がいらないので、お店にとってもコストがかからない。

お金というのは関係が物象化したもので、関係の代役として入り込んでくるものですから、関係が充実していればいるほど、お金はかからなくなります。

そこで幹事がやるべきことは、みんなが作る場を設定することです。

権力もある意味では関係の代役として入り込んでくるものですから、関係が充実していれば権力は少なくてすみます。過剰に権力が干渉して、めんどうをみすぎると関係が失われます。

ただし鍋は、あまり大人数では作れません。直接参加に適正な規模にまで、わかれる必要があります。そこで一律に鍋のメニューを決めると不満が出ますから、決定はそれぞれの鍋に任せる分権が必要になります。それぞれの鍋サークルで決定して、それぞれみんなで作れば、不満は出ません。なかにはうまく作れない鍋サークルも出てきますが、専門家がまわりながら助言して、うまく作れるようになるまでエンパワーメントすればいいことです。

繰り返しになりますが、幹事のやるべきことは、決定を押しつけることではなく、会場を設定することです。そうやってそれぞれの鍋サークルの力量が上がれば、めんどうをみる必要が減ります。

いまの日本政府みたいに会費の徴収だけではまかないきれず、幹事が借金をして宴会を維持している状態なら、ますますそうしたほうがいいでしょう。

デフレ不況の現代日本でも、鍋は根強い人気があります。お金がかからず、参加するのが楽しいからです。どんなに安くて多様な品物が提供されていても、参加して一緒に作ることを、人間は手放したがりません。

「参加だの対話だの、そんなめんどうなことは人間はやらない」という人は、「強いリーダーにまかせるべきだ」と主張したり、「市場から個人が自由選択するべきだ」と唱えたりします。

その前提になっているのは、人間は支配したり、支配者におまかせしたり、「自由」になったりするのが好きな生き物なのだ、ということです。プラトン流にいえば、前提にしている快楽の次元が低いのではないでしょうか。

それより楽しいことが、

人間は 好きなのです。



(折に触れて振り返る小熊英二さんのお話し。より良い社会とは?社会を皆で形作る事とは?いろんな示唆を与えてくれますね。)


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Posted by にいさん at 2014年10月22日   12:18