にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
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第12回「沖縄式読書会」は史上最小人数で?(ふたりでもやります!)






https://haruniy.ti-da.net/e12361722.html

↑前回の「沖縄式読書会」の記事はこちら。


 前回までの時間を縮小しての1部構成だった〈縮小開催〉から、今回はようやく以前のような2部構成での2時間開催に復活の「沖縄式読書会」ですが、なんとなんと、参加予定のメンバー様が数名、急遽参加が出来なくなりまして(くれぐれも、体調第一でございますので、無理のなきようにお願いいたしますm(._.)m)第12回目の今回は、主催者含め ふたりでの「読書会」となりました!これまで3名というのが記録だったところ、最小人数記録を更新いたしました(笑)

 ここはなんとか主催者としての頑張りどころ、そしてご参加いただいた常連メンバー様に感謝!でございますm(._.)m

 そんな2部構成復活の「ふたりで沖縄式読書会」は、このような本が集まりましたよ♪

 まずは第1部。最近読んできた本の紹介。(久しぶりですね(≧∀≦))

 斎藤一人「変な人の書いた世の中のしくみ」(幸せの仕組み、心の仕組み、人間関係の仕組み、経済の仕組み、仕事の仕組み、というあらゆる仕組みについて、笑いながら読み進められるという一冊だそうです。色々と疑問点についても感想を交えて丁寧に答えて下さったりと、ふたり読書会ならではのじっくりと時間をとらせてもらいながらお話しが聞けて良かったです。ありがとうございます)

 レジー(regista13)「ファスト教養」(10分で歴史的古典の答えを欲しがる意味がわかりませんが、ファスト映画などという行為が話題にのぼり、YouTubeではインフルエンサーが「教養」なるもののネタをザックリと短い時間で解説してくれるとか、ビジネスパーソンにとって非常に「コスパの良い」教養の取り方なるものが流行っているのだそうでございます(⌒-⌒; )そんな〈ファスト教養〉に対する著者の問題意識から出発する一冊。良き問題提起と掘り下げに溢れた一冊だと思いました)

 プラス一冊は「ブラックパンサー ワカンダフォーエバー」のパンフレットも、映画の感想とともに。ワカンダフォーエバー!


 そして第2部の〈今回のプレゼント本〉今回はふたりなので、いつもの阿弥陀籤はなし。1対1のプレゼント交換と相成りました。

 斎藤一人「仕事と人生」(今回は一人さんまつりですね!楽しく生きる、嫌ならやらない、苦労しただけ報われる社会ではない?などなどの、一人さんの(わりと)最新の言いたいことが詰まった一冊だそうです。「成功」という言葉には色んな角度からの見方があるかもしれませんが、せっかくいただいたご縁、大切に読ませていただきますね)

 「ことりっぷ 沖縄」(週末に2泊3日の旅に行くとしたら?でお馴染みのガイドブックシリーズの〈沖縄編〉でございます。私からは、たっぷりと沖縄旅行のお勧めコースについて語らせていただきました!まずはレンタカーを借りるところから♪首里そば食べて、市場に行って♪今回の沖縄本のチョイスは、この一冊でした)

 ふたりでも楽しくやらせていただきまして、参加者様に感謝感謝でございます(涙)次回は、また賑やかにやれるかな?皆様のご参加お待ちしておりま〜す!(次回の沖縄式読書会は12月11日〈日曜日〉14時から。会場は、当日対応が難しい場合がある為、参加希望の方に会場をお知らせさせていただいております^_^各SNSの上村洋アカウントからも、参加の受け付けをさせていただいております。よろしくお願いいたしますm(_ _)m







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Posted by にいさん at 2022年11月27日21:33

Punch UP!せやろがい!!(せやろがいおじさん全国ツアー・大分公演行ってきた(=゚ω゚)ノ♪)






https://haruniy.ti-da.net/e11175852.html

↑前回の福岡天神でのLIVEは2019年でしたか……


 アメリカで使われる用語「パンチアップ」の反対語は「パンチダウン」。つまり、優越的な立場にある人間が、弱い立場に置かれる人をいじる事を指します。

 優越的立場にある人物が、弱い立場にあると認定する相手をいじり、嘲笑する行為。しかもそれにネット上で数十万の〈いいね〉が付くという現実。ちっとも「いい」わけないだろ?と、私は思うのですが。

 そんな「パンチダウン」へのカウンターこそが「パンチアップPunch UP」なのだという話しから始まったこのLIVE「毒吐」(どくはく)ときましたか。せやろがいおじさんこと榎森くんのLIVEが、地元別府市のカッパーレイブンズで観られるなんて、これこそ30万人分の「いいね」あげたいわほんとに。(地元の友人と観に行ってまいりました)

 あの正直口にしたくもないインフルエンサーの「事件」から、その渦中に巻き込まれたひとりでもあった彼が、叩き潰されるどころかそこから立ち上がり、全国行脚でパンチアップしまくるぞ!という熱いトークLIVEでしたよ。正直、前回足を運んだ福岡天神でのLIVEが(これは、どちらが良いという話しではなくて)客席の雰囲気からして、どこか「YouTubeセミナーっぽい?」印象が(そこがまた、本人もちょっとセミナーっぽくなってますねwと苦笑していたくらい、それはそれで面白かったのですが)あったのですが、今回はまるで違っていた。

 笑いの中に闘志がぷんぷんに溢れていた。

 久しぶりに会う榎森くんは、闘っていた。

 沖縄の結婚式の話しの中で。あめりかーたーのハンバーガーのパン無しの話しの中で。「いじるなよ」にまつわる究極の選択の中で。差別される側と「する側」の関係性の話しの中で。

 そうそう。差別される側の敏感さに対しての「差別してしまう多数派の私」の鈍感さの話しは特に考えさせられましたね。自分も絶対あるはずな、と思いながら聴いていました。都合の悪いことは忘れる法則が、人間にはあるのでしょうか。パッと思いつかないというか、思い出そうとしない心理がのぞいた自分が恥ずかしかった。

 あとあと他にも、って言いたいけれどもLIVE会場に行って欲しいからLIVEで聴いてね♪たしかにほとんどがシビアな話しではあるよ。もちろんめっちゃ笑いに包んでしっかり落としてくれるけど。けど、いまかなりヤバい事だらけやんか?って気持ちにもなるけど、だからこそパンチアップせなならんの。と私は思った。「笑い」って力強いって思った。

 榎森くん、ありがとうね。

 次回は?別府市に、あの凄い人をゲストにしてLIVEで来てくれるって?まじで?

 榎森くん?次回ももちろん!

 行けたら 行くさ〜ね〜w

 せやろがいっ。

 

 




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Posted by にいさん at 2022年11月25日22:25

映画「バンクシーを盗んだ男」






 (U-NEXTで映画「バンクシーを盗んだ男」を観ました。ドキュメンタリーの為、特にネタバレなどは気にせずに)



 分断の壁はいまや世界中に。

 たとえば象徴的な、分断の地。

 パレスチナ自治区の壁に。

 どこの誰かは知らないけれど

 誰もがみんな、知っている 男

 バンクシー。

 

 倫理の境目。合法と非合法の境目とは何か?と考える。

 ストリートアートは犯罪であると?いや、ベツレヘムの市長も警察署の偉い人までが「彼の絵は市民にとって大切なものであり、壁から剥ぎ取るなど決して許さない」という事を、まるで誇らしい家族について語るように、断固として彼のアートを守り抜くことを宣言していた。

 それは切実な題材であり、ある人たちには救いでもあった。ただしその受け止め方は、ベツレヘム市民それぞれの思いがある事もカメラは映し出していきます。

 その地の歴史の文脈と関係性によって、認められるという事柄があります。彼の作品を語る際に強調される〈文脈〉という言葉がいかに重要か。

 そんなストリートアートが非合法とされる一方で、壁の所有者と取り引きをして(ドリルやカッターで絵の描かれた)壁を剥ぎ取り、高値で売買されることは合法なんだってさ。

 (唖然)

 これがバンクシーの意に反した行為である事は、度々に渡って本人からの声明でも述べられている通りです。

 この絵は皆に開かれていた。はずだ。それなのに、

 「盗まれた」作品たちは数十億の高値がつけられ落札されていくという地獄。作り手が望んでいない相手の手の中に、望んでいない方法で渡っていくという地獄。しかもその買い手の多くは(全てか?)その作品そのものの持つ〈文脈や意味〉などよりも、いかに高い金額の価値が付けられるのか、場合によってはいかに高値で誰かに買ってもらえるかという事に重きが置かれて、作者の望まない形で作品が世界を渡っていくという地獄。

 バンクシーが照らし出す「世界」は、なんて醜いのだろう。

 大金持ちたちが自らの行為を正当化し続ける姿。「文脈なんてどうでもいい」と。(国語って、大事なんだね-って思ったのは私だけだろうか)「あんなところにあったってどうしようもない」とまで。その大金持ちにぶら下がる提灯持ちの専門家?たちの姿も忘れない。

 最近、美術の世界もざわついているけれど、その〈手段〉の善し悪しについてジャッジが出来る立場なのだとしたら、相当な博識かつ強固な倫理や信念が確立された人なのでしょうね。その高見からのジャッジの前に、何故、そのような〈手段〉に及ぶに至ったのか?という問いかけにこそ 語り合う意味 があるように私は思います。

 これ、美術に限らない話しなのです。それも、かなりな幅のある問題で類似点を感じる出来事が今同時並行で起きているように見えて仕方がないのです。

 時代が2022年にもなろうというのに、植民地主義は時を超えて生き続けるものでしょうか。支配と被支配の関係。弾圧する側とされる側。搾取する側とされる側。

 侵略する側とされる側。




  ところで、国内でも今バンクシー展の話題で持ちきりなのですが、まさか、グッズ販売とか、しないですよね。(バンクシーの公認ではない、という事は確認しておきたいと思います。もし〈公認〉であれば大ニュースですけどね)又、多分違法であるかどうかはともかく、コレクターの秘蔵作品なるものが大々的に言われていますが、それって「バンクシー本人の意に反して個人所有」にされた作品ではないのですか?(もしそうではなく、本人の許諾あるものであれば示してくれる文書が欲しいと私は思ってしまうのですが)

 バンクシーの作品には〈その場所に描かれた文脈というものを抜きには語れない〉意味があると私は思います。有料の、お洒落に楽しむ展示会に、その文脈が望めるのかどうか、私にはわかりませんね。

 


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Posted by にいさん at 2022年11月23日20:39

ミュージカル「北斎マンガ」をホルトホール大分で観ました☆






https://www.warabi.jp/hokusai2021/


 沖縄の友。我らが川井田南さんが出演している わらび座さんのミュージカル「北斎マンガ」を観てまいりました。

 南ちゃん、益々立派になって(涙)素晴らしい俳優さんに……というか「我々の知ってる南ちゃん」がその場所で変わらずに躍動していたことに感動しました。葛飾北斎の娘役という重要な役。マキノ先生、彼女に当てて書いたんじゃないかという位の唯一無二感、ぱねぇっす。(って感じの役っす)俳優の皆々様全て素晴らしかったのでございますが、川井田南さん応援記事でございます故、どうかご容赦の程よろしくお願いいたしまするm(_ _)m(最初のお母様の負のオーラ全開の歌謡曲シーンも好き(=゚ω゚)♪北斎・馬琴の鉄板の水と油のバディ感も好き。北斎先生のガツガツした所作はちょっと昔の先輩を思い出したりw)



 爽やかな気持ちで北斎さんの一生(というか〈相棒〉の馬琴さんと、おことさんとの出会いから亡くなるまでの約60年位)を見送りました。あれだけPOPに、現代のカルチャー味を全開で出しながら、葛飾北斎という人物の歴史の要点はカチッと押さえた作りに思えました。

 フリーになった鉄蔵(北斎)へのおことさんの台詞だったか、「新しい 風 になって」という言葉は、思いもよらず(勝手に自分の身の上に引きつけてしまい)こちらの背中を押されたような気持ちになっている自分を発見しました。

 ま、盤石な所属先(流派?)がなくてもその境遇を凌いだ上に、テッペンまで昇り詰めた(と言っても過言ではないと思われる)のは、葛飾北斎という人の半端ない力量に負うところは大きいのだけれども。自分が心から好きだと思える行為をとことんまで突き詰めていって最後まで〈なおも納得しない〉姿には、心底羨ましさというか、感動を覚えます。これは才能のある無しによらず。その姿を見て心動かす人たちというのは、時代を超えて存在するはずです。

 かくありたい、と思うのですけどね

 彼のように途方もない(ものかどうかはさておき、自分の信ずる)理想を掲げて突き進む人生というものは、いまの私には非常に刺さってくるわけで。

 

 しかし、後半のとある場面での「じゃ、一緒に旅に出ますか?」には正直一瞬、え?そんなホラーな展開!?ってビビってしまいましたが、さにあらず(笑)そうか、そういう事だったのか。

 凄いよ。この人が「冨嶽三十六景」を描きあげた年齢にびっくりですね。まじ凄いですね、恥ずかしながら知りませんでした。



 どげぇ凄ぇかっち、見ちょらんしぃは、上んサイトから見よぇ。秋田んな、わらび座っち劇団がしよん「北斎マンガ」っちゅう芝居よしよんけん、しゃっちおでー男んしいがしらしんけん 絵を描きよん。ナマハゲんしもわざわざMCできなさってえれぇわ。えれぇ芝居しよんけん、皆様観に来ちょくれな〜♪(どれだけ素晴らしかったかについては、未見の皆様方には是非、秋田県の劇団わらび座様の「北斎マンガ」という舞台をご覧になってください。凄味のある主人公の男性(葛飾北斎)が心血を注いで絵師として作品に向かう姿が描かれます。みんな大好きナマハゲも、どこかで登場するとかしないとか?素晴らしい舞台です。是非皆様、足を運んでくださいませ)

 そして、何より、我らが川井田南さんが大活躍しています!(沖縄の友人たちにも知らせたい(≧∀≦))よろしくお願いいたしますm(_ _)m

 
 




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Posted by にいさん at 2022年11月18日23:44

映画「ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー」






https://haruniy.ti-da.net/e11661711.html

↑チャドウィック・ボウズマン フォーエバー


 (ネタバレは抑え目に、感想というか呟きを。でも、出来れば観終わったあとで皆と分かち合いたい、そんな記事です)


 意図してはいなかった 不在の中心

 中心の不在による計り知れぬ喪失感

 次はより 彼 を中心に、より主人公として描く構想は動き出していた

 とてつもない精神的ショックはいかばかりか

 
 世界は実際 大きな喪失感 が覆っている

 世界は 彼 を待っていたのに

 この上フィクションの世界から 彼 の存在まで奪わないでくれないかな

 ヒーローとは それを望むならば 強く応えてくれるのではないのか 

 彼 はもう応えてはくれない

 死しても 彼 は存在すると人は言う

 はるか先で見守っていると?




 お馴染みのMARVELのロゴが紫色に染まった。紫は高貴な色。映し出されるのは在りし日の 彼 の姿。劇中、安易な回想シーンは一切ありません。ただ一度、シュリが「お焚き」をする場面。ただ、風の音が鳴り続ける。シュリの頬を涙が伝っていく。

 世界中が、いま彼女に心を預けている。そう感じながら。

 「伝統」と「因襲」の違いとは何か?と考えます。シュリは因襲や迷信は大嫌いなのだと思う、けれども「伝統」に対しては、嫌いというよりも距離を取っているような印象を持ちます。彼女はあの「とある伝統」に関わる研究を続けていた。それは、キルモンガーが焼き払ったものと。しかし、彼女はあきらめてはいなかった。

 あの儀式の時に、彼女は思わぬ人物と対面する事になる。客席の私は内心喝采を送り、彼女は困惑を浮かべ、そしてそれは必然だった。彼の言葉は正しき言葉だと感じました。誰もが十分な資格を備えているわけではなく、形を受け継ぐだけでは十分ではなく。彼女が兄の意志を受け継ぐのは、それはまさにクライマックスに。

 ブラックパンサーはここに受け継がれたのだ。

 愚者は壁を築き、賢者は橋を架ける。

 人間の世界は、あいも変わらず愚かな戦争と憎悪・分断に溢れています。ですが現実世界におけるヒーローを私は望みません。誰かに過度の犠牲を強いる〈暴力性〉を望まないからです。けれども空想世界にはどうしてもヒーローが必要なのです。(これは矛盾ですか?)ヒーローの物語が現実を照らす力を信じているからです。自分が力をもらってきたからです。〈物語の力〉とは(想像をかきたてる)〈比喩の豊かさが持つ力〉でもあり、本来、暴力の対極に在るものと考えています。

 なのに「争い」に向かわねばならぬ登場人物たちの中で、シュリの到達した姿に。安堵と、やや複雑な気持ちも。本来の彼女は、もっと大好きな研究に没頭していたかったであろうにと。そこはきっと(リーダーとしての資質を備えていた)兄とは違う、緩やかな仲間たちとの連携と対話にかかっているのかもしれませんね。

 
 今、世界中で多くの人が亡くなっていて、ひとりひとりの命が、それこそ替えがきかない命なのです。誰もが〈誰かの代わり〉にはならないのなら、引き継いだ人たちはそれこそ知恵を尽くし、助け合いながら、そこに在った大切なものを受け継ぎ遺していくこと。それが、私が捉える「伝統」という言葉への考え方です。

 〈ヒーローの魂〉を守ってくれたワカンダの人たち。ライアン・クーグラー監督はじめこの映画に関わってくれた全ての人に、心から「ありがとう」と言いたくなりました。

 ワカンダ・フォーエバー

 





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Posted by にいさん at 2022年11月13日16:52

愛楽園を訪問。(10月31日 屋我地島にて)




https://haruniy.ti-da.net/e12374074.html



https://haruniy.ti-da.net/e12371362.html

↑↑ここに来る前の日は。


 愛楽園の話しに入る前に、2点触れておきたい事があります。

 世界保健機関(WHO)は現在、新しい病名に対して、鳥や豚などの動物の名前と共に、土地の名前や文化や職業、そして人の名前などを今後新たな(人に感染する可能性のある)病気の名前には使わないようにという勧告を出しています。例えば自分の住む地域や自分の名前が(どこの、誰の名前であれ)病名として使われるというのは「ちょっと無いわ」という思いも以前より持っていたので、とても納得出来る話しだと思う一方で、しかしながら昔からずっと使われている病気の名前に、人名や地名が使われていると、非常に言葉選びに悩むということもあり(同じ名前の人や地名の場所に暮らしている人からするとこれは-という想像をしながら)なるべく「その病名」は避けつつ、過去の病名についても変えてった方がいいんじゃないかな(実際そういう議論もあると聞いていますが)などと思いながら、複雑な思いで会話をしなければならないというケースもあります。ほんと、もうスッキリと全部変わってくれよ-というのが心からの思いではありますが……(正直、文脈でわかるやろ大体、と言うかね)


 そして、一度だけ『』付きで使用させていただきますが、この『ハンセン病と呼ばれた病い』は、非常に病原性の弱い細菌による感染症であり(自然治癒することすらあるという)1943年には既に治療薬が発表され、この病いの大きな原因のひとつでもあった〈衛生状態の改善〉によって、現在の日本においては克服されたと言っても良い病気です。沖縄県人権啓発活動ネットワークのパンフレットによれば『少なくとも現在の日本でこの病気になることはほぼありません』と言われています。しかし、日本では当時から(現在においてもなお?)この病いへの偏見・差別が根強く、1907年(元号なるものがまだ明治の世)に出された隔離政策は1931年にはすべての患者の人たちを〈療養所〉に生涯に渡って隔離する「癩予防法」が制定されてしまい、警察官や医者が患者さんの家に上がり込んできて家中消毒されるなどという出来事も起き、人々の間に「これは恐ろしい病気らしい」という強烈な印象が広がってしまいました。(繰り返し述べますが、元々これは自然治癒する場合もある弱い病原性の感染症なのです)1946年に治療薬が日本でも使用されるようになってからは、実際に多くの人が回復しました。国際的には有効な治療法も確立し、患者隔離政策は海外では廃止されていきます。そんな中にあっても、日本ではずっと、この感染症への無知と激しい差別は続いていく事になるのです。このような隔離政策による差別を後押ししてきた〈らい予防法〉が廃止されたのは1996年。このニュースを私も覚えていますが、なんと時代錯誤な差別がここまで公然と残されていたのか(!)と愕然とさせられる思いでした。そして、私自身もまた、まったくの無知であった事も突きつけられつつ。




 沖縄県名護市の市街地から、北へ随分離れたところにある(景色も素晴らしい場所なのです)屋我地島の奥まった場所に、沖縄愛楽園はあります。今は橋が通っていますが、施設が建てられた頃は、船で渡っていかねばなりませんでした。市街地から遠く離れ、海を隔てた島の、更に奥側に作られたのですね。今のようには車で短時間で訪れる事は出来なかった事でしょう。この日は、東京から来沖した先輩ふたりを乗せて、伊江島に渡る前になんとしてもここには訪れておきたいという事で(このコロナ禍で、面会の制限などある中で)事前に来園の趣旨を伝え、許可をいただき、学芸員さんとの面会が叶いました。基本的には、ここは「地域に開かれた施設」(同パンフレットより)なのです。コロナ禍に入る前には、夏まつりなどのイベントや、子どもたちへの人権学習の講和なども行われていました。

 約10年間の沖縄生活中には、正直なところ、おいそれとは立ち寄れない場所でした。しかし実際に訪れてみてびっくり。そこには非常に充実した展示施設から、歴史的な建物や祈念碑、あまりにも濃密な歴史がギュッと詰まった場所であったのです。

 最初に車を停めて訪れた本館から、そこから案内された先というのが、車で更に離れた交流会館へと移動して、更に更に、桟橋跡の〈声なき子どもたちの碑〉〈平安之苑〉のある場所へと移動。

 なんて広大な敷地なんだ。

 そして今回は(コロナ禍による制限もあり)面会は叶いませんでしたが、ここで生活を続ける人たちの住宅が立ち並ぶエリアが更に陸側の敷地に広がっています。そこにお住まいになる人たちの住宅から面会宿泊所、広い運動場があり、食堂や訓練場、事務所に面会所、展示室のある建物、そして、亡くなった人たちを慰霊する祈念碑までが入った実に広い施設なのです。

 写真の〈声なき子どもたちの碑〉とは、かつて、「強制堕胎」によって、生まれてくる事が出来なかった命を『世の光を見ることなく闇から闇へと葬られた「この世に声を上げたかったのにそれを許されなかった子どもたち」の慰霊碑」』(パンフレットより)です。このエピソードひとつとっても、なんて非人道的な蛮行が行われていたのかと、迫害の恐ろしさを感じさせられました。この祈念碑が現に自分の目の前に存在するという生々しさが、重くのしかかってきました。

 もう一枚〈平安之苑〉とは、こちらもかつての話し、療養所に隔離された人たちは、亡くなった後も、お骨を身内の人たちが引き取ることをしてもらえず、家族のもとに帰ることすら許されないような中で、ここで亡くなられた人たちの魂に対して、静かに祈りを捧げる大切な場所となっています。

 この慰霊碑が出来た事の意味の重さ。学芸員さんの話も熱がこもってきました。複雑なのは、亡くなられる人たちの思いも、ひとりひとり様々な思いがあって、最期は(施設の外に出て)自分の生まれた家で眠りたいという思いを表明された人の話しには胸が締め付けられました。(今は変わってきているとも聞きますが、昔は同じ家族のお墓に入れてもらえないという話しもあり、この静かに心から祈りを捧げる場所が出来たという切実な思いがある一方で-しかし家に帰りたい!という気持ちも想像させられてしまい)

 これらの慰霊碑が出来た成り立ち、その背景というものを、より多くの人たちに知って欲しいと思いました。とてもここには書ききれないエピソードを沢山聞かせてもらいましたが、是非、是非直接この場所の事を知っていただきたく思います。

 足を運ぶ際には(今は)事前に予約をされてみてください。

 (興味を持っていただいた方は、沖縄愛楽園 で検索をしてみてくださいね)
 

 







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Posted by にいさん at 2022年11月12日17:11

伊江島の戦後・阿波根昌鴻写真展(10月30日 浦添市美術館にて)






https://haruniy.ti-da.net/e12231233.html

↑阿波根昌鴻さんの伝記の記事はこちら。


 
 米軍との土地闘争が熾烈を極めたその時、伊江島に、たったひとつの写真機がありました。

 写真機の持ち主とは、阿波根昌鴻その人です。

 〈沖縄のガンディー〉と呼ばれたその人は、非暴力の抗議運動の過程にあって、その記録を見事な〈写真〉として(それも膨大な量の写真を)遺してくれていたのです。展示会の写真撮影はプライベート用のみに限って-との事で、その見事な写真をここに紹介出来ないのは残念なのですが、この写真展の話題だけでも共有したく、報告させていただきます。この〈写真展〉は、今回の沖縄入りの大きな目的のひとつでもありました。

 (上にあげた↑伝記の)「本を書かれた方ですか?私も読ませていただきました!」と、同伴の先輩に次から次へとお声かけが。この展示会は、伊江島に暮らす地元の人たちによる、とても手作りな?展示会。なんと、直接写真に関わった〈当事者〉による作品解説がその場で行われるのでありました。

 凄いっすね(笑)

 通常(それは写真でも美術品であっても)展示会というのは、ひとつひとつの作品(写真)には大体の場合、キャプションが付けられていて、ジッと作品と解説とを交互に目にしながら観覧していくものだと思っていたのですが、この地元の人たちによる〈手作りの写真展〉ではそうではありません。

 「この写真のこの子、これ私なんですよ」

 写真を指差すスタッフさんの目がきらきらと輝いている、そんな写真展。しかも、そのお話しのひとつひとつが貴重な歴史的証言なのです。

 この〈笑顔〉の向こう側の苦難を想像せずにはいられない。それは、決して天災ではない。この苦難を強いた者たちへと、この視線は、向かわざるを得ない。

 そしてその視線は、最後には自分自身の顔へと返ってくるのです。

 この、思わず顔もほころぶような雰囲気とある意味ミスマッチな?歴史の重み。そして、阿波根さんの写真の腕の確かさとが、実に不思議な感覚を覚えさせるという、そんな写真展体験でした。

 今回の私の〈沖縄への帰還〉とは、東京からやって来た同伴の先輩ふたりを、翌日この伊江島(行きの港)へと送り届けるという、そんな重大な任務を帯びてのものでした。運転手兼(食べ物屋含む)案内役といったお手伝いでした。伊江島に渡る前に、前から計画されてきたというこの大きな写真展の取り組みも、どうしてもその場にいたいという希望がありました。

 自分も、とても素晴らしい〈現場〉に立ち合わせてもらった思いです。




 今回の旅には、まだまだ、目的の地がありました。それはまた後日。

 








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Posted by にいさん at 2022年11月08日20:38

「母子像」と沖縄戦。(10月30日 宜野湾の佐喜真美術館にて)





https://haruniy.ti-da.net/e10985737.html

↑佐喜真美術館と「沖縄戦の図」について。

 (※佐喜真美術館に展示される「沖縄戦の図」は撮影は不可ですが、撮影可能な展示もあります。写真はそんな、撮影可能なものから)

 写真は、ケーテ・コルヴィッツ作の母子像(「ピエタ」)ドイツの版画家で彫刻家、コルヴィッツは、第一次世界大戦で息子を。第二次世界大戦では孫を、戦争で失いました。ヒトラーがドイツで政権を取った後、ケーテ・コルヴィッツは「反ナチス」の烙印を押され、芸術アカデミーを除名され、各地での展覧会が中止に追い込まれてしまいます。そして、ナチスドイツが無条件降伏する直前とも言える1945年4月に、77歳で生涯を終えました。

 生前は、ベルリンの労働者たち、配偶者の診療所を訪ねる貧しい境遇の人たちに囲まれながら、創作活動に励んだようです。農民について。戦争について描く中で(自らの体験も踏まえてでしょうか)『この世における最大の悲しみ、子に先立たれた母親という悲劇に普遍化した』(展示解説より)そんな作品たちが、ナチスにとっては〈好ましからざる〉という事になったようです。

 最近も、この国においても、何かそれを想起させるような出来事がなかったか?という既視感も覚えつつ。館長さんの詳しい解説に耳を傾けていました。

 この佐喜真美術館に展示されている「沖縄戦の図」には、実はこの「母子像」が重要なモチーフのひとつとして描かれていることを知りました。巨大な「沖縄戦の図」を今回改めてよくよく観察してみると、丸木位里・俊夫妻は、作品の随所に母子像を思わせる「母と子の姿」が、それはもう沢山描きこまれているではありませんか。その姿のひとりひとりには、実際にモデルさんがいて、モデルさんにそうした設定での心理を想像してもらって、表情をつけてもらい、体験者の証言と、肉体とを通して、ひとつひとつの描写に確かな生命力を持たせていたのです。

 戦争で子どもを失った母親の悲しみを、もう誰にも味合わせたくはない。時代を超えて、普遍的なメッセージを持った母子像が、その後も生命力を放ち続けて、丸木夫妻や、その後の時代に続く現代のアーティストたちが、母子像をルーツとした作品を今もなお創作し続けている事を、実際に本物の作品を通して教えてくれる場所がここにある価値-というものを改めて、考えさせられました。

 私は芸術家ではないけれど、これらの作者の生み出してくれた作品の意味を(わずかではあれども)受け取る事は出来るはずだ。それを誰かと共有することも。

 今回旅に誘ってくれた同行者と、その後、美術館の屋上へと登りました。敷地の周りに張り巡らされたフェンスと、木々を挟んでその先に広がる滑走路。

 〈コルヴィッツの悲しみ〉が、時間を超えて、頭の中に入り込んできたような錯覚に、わずかに狼狽えました。




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Posted by にいさん at 2022年11月05日10:47

皆自分の生活を背負いながらも、それでもここに。(2022年10月31日 後編)







https://haruniy.ti-da.net/e12369461.html

↑辺野古訪問(前編)

 この辺野古のテント村と、ゲート前にやってくる前に、私は東京から来た先輩ふたりと行動を共にして屋我地島にいました。大事な訪問先で、濃密な対話の時間が予定を大きく超えた事に加えて、その後の伊江島行きのフェリーが(悪天候を理由に)16時の便が出ない事になり、15時の便がその日の最終便となった為に(おふたりのたっての希望であった)屋我地島から辺野古の座り込みの現場へ行きたい、という当初の予定が叶えられなくなってしまいました。

 というわけで我々は本部港から、ふたりは伊江島へ(今回の旅の大きな目的でもあり、私はふたりを伊江島行きのフェリーターミナルまで送り届けるという大事な任務があり……)自分は辺野古へと、別れることになりました。

 今回は、どうしても同行出来なかったそんな「ふたりの思い」も背負っての、2年ぶりの辺野古訪問でありました。

 テントをくぐると、懐かしいUさんのお顔の他に、神奈川からいらしたという大学生ふたりと先生がふたり。熱心に語り合っていました。(ここでは初めて訪れた人、遠方からやってきた人たちに、座り込みに参加されている人たちが、入れ替わり立ち替わり、ボランティアで丁寧に「現場の状況やこれまでの経緯」について説明をしてくれているのです)挨拶もそこそこに、私も最初は一緒に話しを聴かせていただく形になりました。(後半、Uさんとの直接のやり取りは↑前編にて触れさせていただいた通りです)

 話題は例のインフルエンサーによる「事件」について、座り込み現場ではもちろん、胸がかきむしられるような、とても悲しい思いでいた事。そしてここにいるふたりの学生さんも、非常に「あれは酷い行為だと思いました」と、ああ、そんなふうに自然と思ってくれているのかと、そこは素直に嬉しい思いもいたしました。ありがとう。うん、ありがとうっていう、感じかな、自分としても。それから、以前にもblogにて述べた事があるのですが、あの人物の名前も口にしたくなければ、SNSのTLに写真が上がってくるのを目にするのも、ちょっと身体的にも、呼吸が苦しくなり(精神的なものかな?弱いのかな)出来れば「あんな出来事そのもの」を思い出したくもないし、触れたくもないのだけれども、しかしそうして距離をとって見ないでいる事で、事件を無かった事には出来ないどころか、数万人にのぼる「いいね」に見られるような、社会に影響を与えてしまっている事象をこれ以上拡散や容認をさせてはいけない-という思いから、今自分なりにこの気持ちを言語化して、誰かと共有し続けるという、まあ、ささやかな抵抗とも呼べるかどうかという「自分なりのprotest」を試みているところでした。

 この場所で、あの出来事について語り合うことは、重要な意味があると私は思いました。

 「24時間休みなく、じゃないなんて言ってましたが、私たちは皆それぞれが、境遇も何もかも違っていて、自分の生活を背負いながら、仕事やいろんな大事な時間の合間をやりくりしながら、この遠い場所まで通ってきているのです。もちろんどこからも金などもらうことなく、完全に自主的な行動として、協力し合ってここに集っているのです。その事は「彼」だけでなく、どうか多くの人に知って欲しいことでした」(Uさんの話しを記憶を基にまとめて記していますが、こういう思いを語ってくれました)

 学生も先生も、熱心に、共感しながら聴いてくれているように見えました。

 この状況を変えるには、やはり今の自公政権ではいけないと。という話しの流れで(60代くらいの男性の先生ふたり)ひとりの先生の口から「しかし、野党も野党で、ちょっとね〜」という言葉が飛び出しましたが、ここは学生さんの話しを優先しなきゃという思いと、政局への考えについての自分の強い考えをここで披露してまぜっ返すのもどうか、と気が引けてしまい、じっと聴く側に徹してしまったのですが、あえてここで、この点について触れさせてもらいますと、

 この「野党は野党で」だらしないとか、弱いからとか、これって、結構な〈呪いの言葉〉になっているように思っています。

 与党は酷いと思うし腹が立つけど、野党が弱いから、だらしないから「だから与党に投票した」という身近な人間を何人も知っています。(その都度「いや、それ100害あって1利無しだから」「与党を信任してないのなら、まじでそういうの辞めてくれる?」と返しているのでありますが)

 少なくとも、辺野古への新基地建設に賛成或いは容認する政治家は絶対に投票しない-という事を私は続けています。特に、沖縄の外に暮らす人たちにこそ、選挙でこの問題を考えて欲しいと訴え続けてきたつもりです。(辺野古だけじゃない、高江でのヘリパッド建設の蛮行、スラップ訴訟、北部訓練場跡の米軍廃棄物の問題、(憲法の上に置かれているかのような)日米地位協定下における数々の理不尽、PFOSの水道水……)なんで沖縄ばかりがこんな負担を負わねばならぬのか?もはや、「野党が云々」などというフレーズで終わらせるのは辞めてくれないかな?というのが私の偽らざる強い思いです。

 あの中で、どんなより良い対話が出来たか、何かひと言でも言った方が良かったか、どうなのか、自分自身の振る舞いの問題として、色々と考えてしまいましたが、でも、こうやってはるばる辺野古まで直に足を運んでくれた事には、心から敬意を表します。

 この後、遠くに車を止めて、キャンプ・シュワブゲート前まで、あの新しくなったという掲示板のところへと行きました。

 「不屈」と書かれていた。

 搬入の無い時間帯の静けさに、雨の音がノイズのように、耳の奥に響き続けました。

 

 




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Posted by にいさん at 2022年11月03日21:30

辺野古に立ちて。(2022年10月31日 前編)







https://haruniy.ti-da.net/e12350945.html

↑あの「事件」があって語り合ったこと。


 「お久しぶりですね。いつもありがとうございます」とUさんがおっしゃってくれた。

 「覚えていて下さってありがとうございます」

 私は名護市辺野古のテント村にいました。2年ぶりの訪問でした。

 「そういえば、名護市方面からやって来たのですが、かなり手前のゲートに(過去に覚えがない位置に)警備員がガッシリ立ち並んでるのを見ましたが」と問うと、どうも弾薬庫そばを流れる川の工事が行われている模様。

 自分の前に熱心に話しを聴いていた学生たちとの話しの後に、最近の辺野古でのお話しを伺いました。これは〈私たちの問題〉〈沖縄という一地域だけに押し付けてはいけない日本全体の問題〉だと私は考えています。

 今年の5月。このキャンプ・シュワブでは、この(罪深いとしか言いようのない、そして完成の見通しどころか、90mに及ぶ大浦湾の軟弱地盤に打てる杭など存在しないという、どだい無理な話しだと言われている)新基地建設の為の埋め立て工事に加えて、陸側に新たなゲートを造るとかで、周囲の森林を重機で「根こそぎ剥ぎ取るような」(Uさん談)そんな乱暴な伐採が行われたのだそうです。

 伐採された斜面からは大量の赤土が海へと流出しました。

 Uさんはそれを「大浦湾が、『血の涙』で真っ赤に染まった」と表現しました。

 大浦湾は「奇跡の海」とも呼ばれ、見事な規模の美しい珊瑚が生きている場所なのです。酸性の赤土が珊瑚にかぶさると、珊瑚は窒息してしまいます。

 血の海のように表面に浮き上がった赤土は、海水に混じり、しばらくすると沈澱し、表面上は青さを取り戻しますが、沈澱した赤土が珊瑚礁の上に降ってくることになります。

 出来もしないし作っちゃぁならない(県民投票でも明確に反対の意志が示された)新基地を、現在の岸田政権も、なお変わらずに破綻した工事を無理筋で押し進めようとしている。そんな現実を改めて、そのテトラポッドの並んだ護岸を眺めながら確認する事になりました。あの護岸を2倍の高さにするそうだけど、その向こう側の大浦湾の埋め立ての目処がたたないというのに、「利権ではないかと思っています。請け負う業者からすれば、埋め立てるのも、出来ないとなって〈元の海に現状回復〉の工事をするにしても、彼らにお金は動きますから」という仮説を聞きながら、ありそうな話しだと思いながら耳を傾けていました。(たとえ原状回復なるものをやっても、一度壊された以上、元の環境には戻せはしません。もちろん、このまま我々の莫大な税金を投入しながら無理に進められるのは御免ですけどね)

 ちなみに、その「赤土の件」で、ヘリ基地反対協議会は沖縄防衛局に対して、赤土の原因究明と、最低でも警報が出された際には工事を止めてくれませんか?と、要請を行いました。ところがです。防衛局の解答というのが「工事による濁りは確認してません」という信じ難いものだったそうです。では、あの赤土はどこからきたのか?と問うと、ひたすらダンマリ(!)まともに答えられない。答える言葉は、にごりはかくにんしてません、と判で押したような受け応え。(国会でも、こんな大臣や官僚の姿を見たような)

 これについては「県」の対応も、(調整の末に)立ち入り調査は2ヶ月近く延びに延び、県の環境保全課は「特に問題はなかった」でおしまい??反対協は「防衛局が時間稼ぎをしている間にどれだけの赤土が流れたのか?」「沈澱している赤土や珊瑚へのダメージを潜水調査をすべきではないですか?」と迫るも一切答えてはくれなかったそうです。(これでは防衛局の対応と何が変わるというのか?玉城デニー県政には変わらず期待したい気持ちではありますが、しかし県には、より誠意ある対応をお願いしたいです)


 テントの外は雨。冷たい雨。テント村の方角から見えていた辺野古崎は、今は護岸によってすっぽりと隠されて、目の前には、灰色の空と海が広がっていました。


 (続く)

 










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Posted by にいさん at 2022年11月02日17:45