にいさんの しらしんけん☆

島ないちゃーの劇団員。上村洋さん 通称にいさんのブログ。
てぃーだブログ › にいさんの しらしんけん☆ › 2023年11月

劇団文化座公演『炎の人』(別府市民劇場第119回例会)





 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの後半生を三好十郎氏が描いた戯曲。実話を基にした舞台、特にネタバレ等は気にせずに書きます(演出は鵜山仁さん。劇団文化座さんの舞台で、あの佐々木愛さんも、印象的な「祈りを捧げる母親」の役を演じていました)。

 実に3時間の大作。これはまさしくプロレタリア作家によるものだ、と感じさせられたのは、特に1幕目の最初の場面。普通(いま、一般的に、というか)あのくだりからゴッホのドラマに入る人なんているかな??なんて事を思いながら。あのストの場面だけでひとつの作品になりそうな厚みがあって……なんて事を思って観ていましたが、2幕目に、「彼ら炭鉱労働者」との繋がり故の、肉体と姿勢へのこだわりの持論へと繋がっていくのですね。彼が見詰める被写体の姿に、私たちは彼の作品を重ねる事になります。確かに作者の視線として「芸術家の前史」からの彼の眼差しの一貫性はちゃんと繋がっている事は伝わってきました。

 虐げられた人たち、土と共に生きる人たち、自然にある「生きたものたち」。更にそこにあらゆるアーティスト達の「美」を加えて、「あのパリでの日々」からは、まるで太陽へと向かって成長していくような、周りがついていけないエネルギーの塊。それが、ここで描かれるゴッホ。

 しかし今回、何よりも心を掴んで離さないのは、ゴーガンとのドラマ。

 感情の塊で、赤いイメージとして立ち上がってきたゴッホに対して、対照的な青を身に纏い登場するゴーガンは、冷たく非常な言葉を放ち「感傷」を忌み嫌う。しかし青い炎は赤い炎よりも熱い。青い炎を求める如くゴッホの呼びかけに応えて遂にやって来るゴーガン。

 段々と、これはラブストーリーのようだと思いながら。

 多くは決着するとは思えぬ激しい議論や罵詈雑言の中から、次第に(パリではあんなに人を寄せ付けぬ冷徹な言動を重ねていたゴーガンが)優しさや気遣い、他者へのフォローを見せていく様が、「愛すべき変わり者」を通して映し出されているようで可笑しかったですね。つの突き合わせながら一緒にいるふたり。画家としても影響を与え合ったふたり(特にゴッホはそうだ)。

 
 最後のモノローグは作者の言葉か。

 彼を認めなかった同時代の者たちへの恨み。

 たしかに、生前に買われた彼の絵は1枚だけかもしれない。

 でも、それは、どうだろうか?今の美術界の狂騒は、いくなんでもどうかしている。

 いま彼の絵は最高124億円を超えるという。

 購入したという超富裕層は、テオのように彼の作品を愛しているだろうか。ゴーガンのようにその絵の価値を深く理解しているだろうか。最高値で購入した人物は、どこの誰かは明かせないという。作品はどちらへ?個人のお部屋の壁に?そして、新たに莫大な富となる「資産」とされてしまう展開?

 彼の作品が大衆と共に在ったのは、土の匂いがした時間は、はるか昔の事になりけり。

 じゃがいもを食べる人々の場所からは、随分と遠くへ来てしまっているように思えてならない。

 「同時代の認めなかった者達」と、一体どちらが罪深いのだろうか。

 せめて彼の「物語」は、世界の大衆の中にこそあれと、舞台の上の「炎の画家」の姿を観て思うひと時でした。


Posted by にいさん at 2023年11月30日23:09

生まれ育った故郷のアーケード・楠銀天街を歩く。







 アーケードに人が沢山。楠銀天街がこんなに賑わっている情景を目にするのは、いつ以来のことでしょうか。鼻の奥がツーンとしながら、まるで子どもの頃に戻ったような感覚にしばし包まれました。


 私の生まれた年から数えて20年程前に誕生したという楠銀天街。つまりは、このアーケードは70年の歴史で、幼き日の記憶では(空き店舗等の無い)賑わいに溢れたまだまだ新しいアーケード街だったのです。私はこの楠町で生まれ育ちました。別府市を離れている間に、同級生の住んでいた喫茶店も楠温泉も無くなってしまったけれど、いろは寿司は今も健在。思い出の楠書房は店舗が小さくなって教科書専門の書店に(それでも、看板があるだけでも嬉しい)自分が上京後に新たに銀天街に入ってきた、まさに今営業しているお店はどこも「宝の店舗」ですね。

 楠銀天街は、今もしっかりと生きている。

 でも(日本中のあらゆる地域の商店街で見られるように)シャッターがかかる店舗もまた多く、そして天井のアーケードの老朽化が深刻な事態となりました。別府市は早ければ来年の2月頃にはアーケードの撤去工事を開始して、2024年の12月までには撤去を完了したいとの事。

 またひとつ、故郷の景色が消えてしまう。

 もちろん、それでも楠銀天街であった「通り」は、その歴史の記憶を留めつつ、これからも生き続けていくのですが、それでもやはり、寂しいものは寂しいですね。


 昨日(11月26日)この楠銀天街において『楠銀天街ミニウォーク』というイベントが行われました。(銀天街全体での「楠銀天街感謝祭」というお祭りが行われる中でのイベントでした。とても多くのお客さんが楠銀天街を訪れて、キッチンカーなどの出店やコンサートも行われていて、本当に賑わった楽しい空間でした)銀天街の秋葉通りそばのカレー屋さんの前に集合して、流川通り側を進んでから、銀天街の裏手にあたる旧中浜筋商店街通りを通って、かつて「別府の浅草」と呼ばれた松原公園までのコースは実に刺激的な順路でしたね〜。

 まだアーケードが出来る前の戦前、大正時代にも遡るおよそ100年前には(すぐそばには楠港もあった別府市のメインストリートだった時代)この一本裏手の中浜筋商店街の方が、むしろ非常に賑わった通りだったというのは初めて知りました。当時は「横のデパート」と呼ばれて、呉服店や洋品店、信用ある様々な商店が軒を並べていたそうです。現在も変わらぬ中浜地蔵尊だけは、その風景を知るという、小さな裏通り。

 その途中にある(今も健在!)寿温泉と、我が家で毎日通った今は亡き柳湯跡も懐かしい。懐かしいし、柳湯(柳温泉)の話しを誰かと出来る事が嬉しかった。そこの地面の下を流れる流川の「暗渠」を子どもの頃に見つけて興奮した思い出。こんな話しをガイドさんや参加者さんとわいわい話せるってこんなにも楽しいことなのか。

 向かいにあった(大分県で最初のレストラン)東洋軒は、子どもの頃、大変な火事に遭ってしまって、今は市内の石垣に移転してしまった。子どもの頃、月に一度、家族で東洋軒に来るのが本当に楽しみでした。そんな思い出話しもしながら。

 そして個人的に最も懐かしかったのが「スガコク」跡の話しをガイドさんがしてくれた事(!)

 スガコク!懐かしい。というか何十年ぶりにその名を聞いたことか?

 隣りにいらした参加者さんから「スガコクって、スーパーマーケットですか?」と問われ。「うーん。〈の、ような、〉なんとも言えないお店でした(笑)」と答えてしまいました。ガイドさんの説明によると、スガコクとは、創業者の名前からとったものである事。元々は竹製品卸しの商売から、当時としては先進的な総合的な幅広く品物を扱う百貨店的な店舗へと変わっていったそうです。(スーパー、の、ような不思議なお店として)幼い頃の自分は、このスガコクの入口にあるガチャガチャ(今でいうガチャポン、カプセルトイ)をやりに毎日スガコクに通っていました。20円くらいで、ガチャガチャを回すと小さなカプセルにウルトラマンに出てくる怪獣のゴム人形が入っていた、そんなガチャガチャに当時4歳か5歳(或いはもっと前から?)夢中になって通いました。そのお店の奥は大人の人が買い物をするところで、スーパーというより洋品店と雑貨屋さんが合わさったような店舗だったような。

 スガコク。いつまであったのだろう。

 もっともっと、ガイドさんに質問しておけば良かった。ミニウォークは1時間の予定だったところ。時間が過ぎても銀天街の話しは尽きず、カレーやmomoさんの前でガイドさんを囲んで何人かの参加者さんと昔の(70年位前の)写真を見ながら夢中になって、話しは続いていきました。

 かつての景色。今の景色。しっかりと目に焼き付けておかねばと。どんなに景色が変わっても、我々の記憶の中で、楠銀天街は生き続けていくのです。

 案内をしてくださった小野さん、そして参加者の皆さん、昨日は幸せな時間をありがとうございました。



 (他にも竹久夢二ゆかりの場所や松原公園、楠温泉他沢山の「史跡」についてもお話しがありましたが、ここでは「私の生活史」の中での記憶を中心に書かせていただきました。楠銀天街のFacebookページ他、様々なサイトにて、是非ともより詳しい情報も検索されてみてください。そして良かったら〈アーケードがあるうちに是非!〉楠銀天街に足を運んでみてもらえたら嬉しいです)

 


Posted by にいさん at 2023年11月27日18:47

【第21回 沖縄式読書会】開催しました!(今年最後の読書会でした)






 今年最後の開催となります(別府市での対面開催では)21回目の【沖縄式読書会】を本日行いました。久しぶりの最少人数の2人開催ですが、常連さんとたっぷり2時間、本について語り合いました。

 今回の前半紹介されたタイトルはこちら。(前半は最近読んだ本について)

 井崎英典『教養としてのコーヒー』(コーヒー好きとしては最高に興味を掻き立てられる一冊ですね。珈琲の歴史、種類、淹れ方についてが縦横無尽に面白く解説されているようで、その発祥の地はエチオピアのアビシニア高原という説やイエメン発祥という説、等々諸説あるようで。それを世界に広めるのに活躍したのが意外にもイスラム教徒の人たちだったり!?〈アルコールが禁じられている中で、香り豊かな独特な飲み物として!?なるほど〉そして日本へとやって来たのは江戸時代初期の事で、更に国内初めてのカフェは明治時代に入って上野に出来たとか。珈琲の歴史もめちゃくちゃ興味深かったです!〈あと、銀ブラの言葉の由来にも吃驚!〉)

 古澤千恵『イタリア人が教えてくれた美しい暮らし方』(こちらは参加者様が購入されたばかりで、今読んでいる途中との事でした。イタリアの人たちがいかに暮らしを大事にしているか。食べることが好きか。家族を大切にしているかについて、とにかく「お家の中の写真」も素敵な1冊でした)

 朝日新聞ICIJ取材班『ルポ タックスヘイブン』(今回主催者が用意してきた2冊のうちの1冊目。先日、別府市立図書館で借りてきて夢中になって読んでいる1冊です。バミューダ諸島の法律事務所から流出した1.4テラバイトの内部文書が世界中に衝撃を与えました。この膨大な「超富裕層による莫大な租税回避」の内幕を、世界中の(国も社も超えた)ジャーナリストがチームを組んで暴いていくのです。彼らは国際調査報道ジャーナリスト連合ICIJを介して結びついた記者たち。「上位1%の超富裕層が世界の富の半分を握る」というその内情とは?)

 太田愛『未明の砦』(先日の宇佐市での出張読書会でもお話しさせていただいた1冊を、今回別府市でも持参いたしました。「推しの作家の最高傑作」をリアルタイムで読むことが出来る幸せ。しかしその中身は、現代の地獄。非正規雇用の若者4人に牙を剥く「共謀罪」。強大な権力と巨大企業を相手に彼らは如何にして闘ったか?是非御一読あれ!)


 そして今回のプレゼント本はこちらです。(今回は、ふたりなので阿弥陀籤は行わずにそのまま交換を)

 石倉英樹『相続について教えてください』(誰しもが他人事ではいられない?相続で揉めるという話しは、ドラマや映画の中だけではないようで。例として「亡くなられた男性に愛人の方がいらして、その子どもを認知するとかしないとか」ってまるで横溝正史の小説やないんですから(恐)というような恐い事例もあるとかで?もし「財」のある方は、弁護士さんを雇って、しっかりと遺言を書く事。そして相続される方はよくよく調べ抜いてから手続きを行わなければ、後々トラブルの元にもなりかねないそうでございます)

 吉田哲、又吉弦貴『フェンスに吹く風』(今年最後の沖縄式読書会での沖縄関連本として、この作品をプレゼント本に選ばせていただきました。著者のひとりである又吉さんは、現役の中学校の先生で演劇部の顧問でありながら、ラジオ番組のパーソナリティーまで務めるという実に多彩な人。少女たちが見た沖縄の現実とは?フェンスの向こう側へ跳ねた球はもう取りには行けない。そして、県外からやってきたという少年が「沖縄への自説」を語る時に生じるその場の空気、緊張感は、妙にリアルでした)


 
 今年2023年も、新しい参加者の皆さんや新しい会場での実施等、嬉しい発展がありました。また2024年も、より一層充実したものにしていきたいと思っております。来年も、どうか【沖縄式読書会】をよろしくお願い致します!


Posted by にいさん at 2023年11月26日21:39

映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(これは、お金にまつわる恐怖映画?)





 レオナルド・ディカプリオ主演、マーティン・スコセッシ監督の黄金コンビによる映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』をAmazonプライム・ビデオで視聴。事実を基にしたストーリーではありますが(知らぬ人の方が多かろう、いやむしろ知らぬ方が良かろう?イカれた話しでございますので)ネタバレは抑えての感想です。それから、最近有り難い事に、このblogを読んで親子で映画を観ました!というお声もいただき、誠にお恥ずかしいやら恐縮ではございますが、この作品はR18作品です。かなり(あえて)強いきわきわの表現で描かれておりますので、ご家族での鑑賞には向かないものと存じますm(._.)m(でも、大人の人たちには、広く共有したい内容でございました)

 これは、実話を基にしたフィクション。(どこまでが実話かは、各自調べられてください。ちなみに、「嵐の日のとある事故」のくだりはかなりの部分が本当らしいっす。作品の大まかな流れも「ほぼ」って感じ)

 まず、作中3時間の映画の大部分を、主人公及び登場人物達が「○りってぶっ飛んだ状態」に置かれているという点は、この作品がコメディという性質以上に、とても意味のある演出に思えました。経験がないから想像するしかありませんが、中毒症状にある人がハイになった状態の感覚を感じざるを得ない(人によっては酔ったり気持ち悪くなる人もいるのでは?と思いつつ)主人公のメンタルに否応無く引き込まれるというより「巻き込まれる」ような描写が全編を覆っていたと感じます。また、だからこそ?キャラクターが「しらふ」かつシリアスなシーンとの緩急が凄まじいwこの感じで3時間あっという間というのは驚きましたね。

 ちなみに、この作品。前記事の映画『THE PRICE OF EVERYTHING 』の中でも登場してきた作品なのです。

 あのアーティストたちの作品もまた「こいつら」の喰いものにされていたのか!?と考えると、また怒りが湧いてきてしまいます。

 しかも、クスリの中毒を描写する中で、その最大級の刺激と中毒性を生むものこそが「お金」であると、清々しいくらいに力強く押し出されてくる キモさ とこの説得力w腑に落ちる感じの演出、流石ですね。(おるもんね。こういう匂いのする人ら)


 そもそもな話し「投機」と呼ばれるものとは、こういうものではないのか?

 
 と、私はかねがね思っておりました。そして「「投機」と「投資」は違う。「投資」という行為は、短期間で大金を狙うような「投機」とは異なるもので、私が勧めるのは「賢く投資する」というお話しです」と仰る善良なお金のプロの方の話しを聞く事も(というか特にラジオを中心に?メディアを通して嫌でも耳に飛び込んでくるわけで)ありますが、正直申し上げて、「投機」と「投資」の境界は、ない。というのが私の認識です。むしろ、「賢く投資」を勧める言葉の方にある種の引っ掛かりを感じてしまうわけで。

 そもそも金融の世界、何が起こるかわからないわけでありまして。それから個人的にも気にかかる点として、世界の森林破壊(環境破壊)に繋がる莫大な融資が金融機関から流れているという現実。SDGsを打ち出して必死に問題を白く塗り潰そうと躍起になっている以上に今、気候危機・環境破壊の問題は深刻の度合いを増しているように思えます。金融機関自体が破綻するリスク、環境破壊の問題、「貧困と格差の拡大」に繋がるリスク(この問題についてはついては近日中に触れる予定でございます)そして、


 手持ちのお金が膨らんでいく感覚にハマっていく


 リスクが一番?個人的リスク(そして恐怖)としては、デカいと思わせられる映画でした。

 一度味わってしまったら、もうやめられない?(それは「賢い投資」であれば、無縁な事なのでしょうか)この映画の主人公のモデルとなった人は、かなり特殊なケースなのでしょうか。劇中、彼のもとに集ってきた社員たちは、彼のスタイルやアジテーション、考え方全てに心酔しているように思えました(それもかなり)。今だけ金だけ自分だけ、そんな(手段を選ばず?)勝ち抜く生き方。法に触れさえしなければなんでも許される(って場合、このストーリー同様大体は法に触れてる場合が多いんだけど。この話しも近日中に……)そんな話しを現実の世界でも耳にいたします。というか、これ、かなり大袈裟に描かれているのかと思って調べたら、びっくりするくらい「実話」に基づいていました。(事実と違うとして法的に揉めたのが「カツラ」の描写に関する部分くらいって話しで)

 ここまでくると、金融というカルト宗教にしか映らないというか。(めっちゃトランス状態になってからに)

 もう、いい加減「お金を増やす」刺激にハマる大人の姿は、正直見てて辛いですね。(激しく「儲け」に走る人というか、たとえば、高い場所から「納期を守れ」と恫喝する人とか、過激な炎上で稼ぐ坊やとか、巨大企業を個人のお買い物的ノリで買いにくる人とか、宇宙に行きたがる人とか、色々……)

 そして、観ながらしみじみ思わずにはいられなかったわけです。

 お金って、本当に恐ろしい。





 

 それから、とあるシチュエーションでの(歌ってる人もしかして本物の?)「ゴールドフィンガー」まじで笑ったし感動しました(笑)

 


Posted by にいさん at 2023年11月25日22:23

映画『THE PRICE OF EVERYTHING 』(たとえば芸術を「資産」とする倫理性について)





 (ドキュメンタリーなのでネタバレ等気にせずに)

 Amazonプライム・ビデオでドキュメンタリー映画、邦題は『アートのお値段』って、ちょっとなんだかな〜って思って観てたら、ほんと「アートのお値段」の映画だったから笑ってしまいましたよ。(乾いた笑いだ)

 しかしここに映し出されるアーティストの多くは、とても魅力的な人たち(一部の「商売人アーティスト」は除く※というのはあくまで個人的な印象です)なのに、その魅力的なアーティストが生み出した作品を購入する人「させる」人たちは……

 この深い断絶はなんだ

 !

 あるナイジェリア出身の有名アーティストが、サザビーズオークションなる会場からの中継を視聴しながら苦笑い((怒)って感じの)する場面。

 この絵は数年前に一度買われたもので、それが今日、更に高い値がつけられて落札(新たな買い手に購入されたというのです。つまり……)。

 「それって『転売』では?』『そうなの』というやり取り。

 サザビーズでは、中には40億で落札された作品も。凄い、というより「ドン引き」だよ。世界中の貴族同士の道楽に芸術家が心血を注いだ結晶がやりとりされるという地獄絵図。アーティストだけではなく美術の専門家たちも「憂い」しかない?そんな現実。

 普段は「転売」なんて社会的にめちゃくちゃ叩かれる倫理違反行為のはずなのに(必ずしも全てが犯罪に結びつくわけではないにせよ、しかし如何なる分野であっても、人としての倫理が問われる行為ですね)しかし何故か、巨額の金が動くと一部では喝采があがるという不思議。それどころか銀行が超富裕層や大企業に対して「是非、資産形成に」「節税対策に」絵画や現代アートへの投資を持ちかける-という、そんな話しに私は吐き気を催す人間でございますので、観ながら拳がプルプル震えてきて仕方がなかったのですが、やはり?同じように(いや失礼、当事者からしたらもっともっと、怒りと絶望は深いらしく)冷たい視線を向ける向きもそれなりにあるようで、少しは救われるような??いや、でもやはりモヤっとしてしまうな。現状、

 あの笑ってる人たちの顔を見てると。

 その作品を何億円もかけて購入した人間は、その作品を心の底から愛しているだろうか?作品の意味や背景、文脈を理解しているだろうか?(彼ら・コレクターは饒舌にその作品の意味を語ってはみせるのです。自宅の部屋で。誰にも邪魔をされない場所で、独り占めにする権利を得ながら)理解している、愛してもいる、でも、部屋が満杯になったから?(もしくは飽きたから?複製を作ってもらったからには(苦笑)でしたが)買った時の値段よりも高い値段で売るわけですか。

 超富裕層の手から別の超富裕層の手へと。

 中には(先に述べたような)金融機関からの勧めで自分の財布の為の資産として保持する人間も。そして、そんな「ビジネス」に自ら乗っかって自分の名前を売りまくる人間などは、私はアーティストとは正直呼べないかな。(それから現代アートの日本代表的な登場をするのがあの人物とは……そこにもモヤっとしてしまったり)インタビューの中で出てきた言葉『現実アートの成れの果てが高級ブランド』って、実に見事な言い表し方だな〜、なんて思うと同時に、実際に「まんま」そんな展開があったりしてね、また乾いた笑いが出てきてしまうというか。(そんな「ブランド」なるものに縁がないから故でしょうか)


 作中『あの人はもう世間から忘れられた存在』だなどと呼ばれるアーティストが登場するのですが、この人がまた魅力的なおじさんで(出てくる大半のアーティストは魅力的な人なのですが)そんな美術界隈?の声にも我関せずに自分の描きたいものを自由に創作し続けていく姿には感動を覚えます。昔の作品のファンが望むような(間違いなく?儲かる、需要がある)作風などには見向きもせずに『これはもう描かない』とファンを前に断言する姿も人として素直にかっこよかった。そして新たに完成した作品の美しさといったら。「良いもの」というのは、世の中の流行りと関わりなく、こうしてまた生み出されていくものなのだな〜という事にも、しみじみと感じいってしまいました。作品が作り出されていく過程を見るのも感動してしまいますね。(あの描写を見て春樹さんの『騎士団長殺し』を思い出した人がもし他にもいたら、ちょっと嬉しいです)

 インタビューを受けたひとりのアーティストが言いました『私の作品は(莫大な金額で個人で所有するような)コレクターじゃなくて、美術館にこそ置いて欲しい』多くの人たちに開かれた場所に置いて鑑賞して欲しいと。それを聞いたサザビーズの偉い人の鼻で笑った顔も、忘れられない。

 この心のこもった作品たちを「現実、動かしている」のは、こういう貴族たちなのだと。

 


Posted by にいさん at 2023年11月22日20:35

今月の『「わからん」をもちよろう!』会は、もっと知りたい基地の話し。





 (※写真の資料タイトル「沖縄の基地問題」とありますが、私はこれは「沖縄の問題」ではなく「日本全体で問題にすべき事柄」であり「日本という国家によって歴史上沖縄に、不当かつ過重に負わせられ続けてきた問題」であると考えます。)


 宇佐市の皆さんが毎月集まって、元県知事候補(にして私の古典の師であります)山下かいさんを囲んでの『「わからん」をもちよろう!会』今回のテーマは沖縄に集中する米軍基地の現状について、辺野古への新基地建設の不当性について、という事で今月も参加させていただきました。

 この中で思いもかけず紹介された元海兵隊員の平和活動家、故アレン・ネルソンさんの言葉が引用されました。

 『米兵は訓練によって暴力性・殺人性を徹底的に意識と身体にたたき込まれる。米兵が街へ外出するとき、それらの殺人性・暴力性のみを基地内に置いておくことは出来ない。殺人性を帯びた米兵の街への外出は不可避的に犯罪を発生させる。米兵犯罪のたびに米軍当局は綱紀粛正を言うがそれは建前で、本音はようやく本物の兵隊になったと満足する』

 まさにこの話しを、かつて(あの我らの稽古場にて)ネルソンさんを招いて直に聴いたことを思い出しながら、その記憶を噛み締めながら、改めて「腑に落ちる」と思わずにはおれませんでした。戦場においては兵隊は敵とみなした人間を殺害することが「正しいこと」と叩き込まれるという事。その中で心を病んでしまう兵士たちも少なくないというネルソンさんの話しを思い出しつつ、そんな元兵士(日本の自衛隊員も含む)の人たちがベテランズ・フォー・ピース(VFP)という国際組織を立ち上げて平和を求める活動を始めている(軍隊の非人道性を告発する事等含めて精力的に活動を行っている)ということ等も、もっと知られて欲しいところです。

 でも?たとえそのような「暴力性」を内包した組織であったとしても、でも?「米軍が日本を守ってくれてるんでしょ?」なんていう声を幾度となく聞かされてきました。しかしです。この方たちが実に明確に答えを述べている事を、山下かいさんが本日改めて発言録として示してくれたのであります。

 ワインバーガー元米国防長官『沖縄の海兵隊は、日本の防衛には充てられない。それは米第七艦隊の即応海兵隊であり、同艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のどの場所にも配備される』

 チェイニー元米国防長官『(在日米軍が)日本のためだというのは正確でない。日本で空母戦闘部隊を維持する方が、米国西海岸で維持するよりも安上がりだからだ』『我々が日本に安全保障面で何らかの施しをしているように考えるのは根本的に間違っている』(私注※「安上がり」とはまさにその通りなのだろうな。なんせ日本人の税金からの莫大な「思いやり予算」等日本側のサポートに加えて「日米地位協定」を日本の法律よりも上位に位置付けてもらえるなんて、彼らからしたら願ったり叶ったりというところか……)

 アーミテージ元米国防長官『私は米国を愛するがゆえに日米同盟の仕事を喜んでやってきた。多くの日本人の友人がいるが、日本を愛するがゆえに私が何かをすることはない。何が米国の利益かを私は知っている』

 冨沢暉 元陸自幕僚長『在日米軍基地は日本防衛のためにあるのではなく、米国中心の世界秩序の維持存続のためにある』

 久間章生 元防衛大臣『誤解を恐れずに言うと、在日米軍はもう日本を守っていない』『新たに米国の世界戦略の拠点になっているのが在日米軍基地なのだ』『在日米軍基地は日本の防衛のためというより、「不安定の弧」と言われる中東から中国を含む東アジアにかけて展開する米軍のための最大拠点と見た方が正しい』

 皆様、明快な御回答でございます。

 かいさんは、沖縄県がWEB上にて公開しているQ&Aも配布して「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦から、本土では『もはや戦後ではない』などと呼ばれたその時に、米軍政下の沖縄では銃剣とブルドーザーで『住民を追い出し、家を壊し、田畑をつぶして』沖縄中に新たな基地建設を進めていったという歴史的経緯から(限られた短い時間の中で)先日の裁判における県からの問いかけに一切答えないままの(私は「司法による試合放棄」と言っている)理不尽な対応に至るまで説明を行ってくれました。

 私も質疑応答にて(私からの補足と、そこに暮らした人間の思いとして)日米地位協定の下、日本の航空法も(沖縄では)守らない米軍の振る舞いについて、住んでいた那覇市の家の上空をオスプレイが毎日の如く低空で飛んでいく現実。嘉手納基地周辺で肝を潰した爆音の記憶。普天間飛行場の敷地の中のお墓の事と佐喜眞美術館の話し。米軍属による女性殺害事件の際のあの悲しみが沖縄中を包んだ記憶と抗議の県民大会、その場での古謝美佐子さんの歌の事。短い間でしたが、思うところを述べさせていただきました。

 参加された皆さんからも「国土のわずか0.6%の沖縄に70%の在日米軍基地があるなんておかしい」「先日、大分空港での航空訓練への抗議の際に、あの凄まじい爆音を聞かされながら『これが沖縄の日常で聞かされている音なのか』と思いました」「『フェンス』というドラマを見て日米地位協定の事が気になっていた。この不平等はおかしい」等と、いつもよりも限られた時間の中で濃い学び合いの対話が出来たように思いました。(前回「次回は辺野古の事を知りたい!」という声が出た際に「『フェンス』というドラマを是非見て欲しいです。沖縄の現実の一旦を知れる数少ない作品なので」と発言したところ、早速全話見てきて下さった参加者様がいた事が嬉しかったです。)沖縄についての対話をもっともっと重ねていきたいという思いも改めて。

 0.6%の土地に70%の基地負担を押し付ける。

 これは「沖縄の問題」ではなく「日本中の皆で共有する『理不尽』への問題」として。

 宇佐市の皆さん、今回もありがとうございました!

 


Posted by にいさん at 2023年11月19日21:41

ドイツ映画『コリーニ事件』




 展開のネタバレは抑えつつ。史実に基づく話し。

 Amazonプライム・ビデオでドイツ映画『コリーニ事件』を観ました。新米弁護士が「引き受けてしまった」事件の被害者は彼の恩人で、大企業の経営者であり、その恩人を殺した男性の弁護の国選弁護人に。法廷内では裁判官や相手の検事からも新米らしい振る舞いを笑われながら、前途多難な裁判に?しかも大事な人を殺したという被告人は黙秘を貫いて語らず……ところが、調べを進めるうちに、驚くべき歴史の出来事に行き着くことになろうとは!?

 最初の鍵は、ワルサーP38?

 今ではまず使われない銃です。

 弁護士ライネンの、ある記憶と結びつく事に。


 

 虐殺者にも人間性があってだな、

 というか、人間性が備わっているならやるな!殺すな!隠すな!

 実に見事な法廷サスペンスに引き込まれてしまいますが、とにかく行き着く先が悲しい。時代が変わっても国が変わっても、これって起こるものなのかな〜

 やられたら10倍にして殺し返す?

 第二次大戦中、ドイツ軍が行った行為が、現在のイスラエルの行為と重なってくるのが苦しくて仕方がなかった。(又、旧日本軍のある兵隊たちの事、細菌研究者たちの事も思い浮かべずにはおれない。彼らは戦犯として裁きを受けるどころか安穏と生き延びて、戦後の復興期において出世を遂げていった)

 相手は普通の無抵抗の市民たち。

 決まって奴らは言う。「時代のせいだ」「戦争状態にあった為に」と。その言葉ひとつで、何をやっても免罪されるというのだろうか。

 過去をほじくっても誰も得をしない?戦争だったんだから仕方がないから、「かわりに君に悪くない話しをあげよう」。

 悪魔は取り引きをもちかけてくる。

 魂を守るべきか、今の(そしてこれからの)生活の物質的な豊かさを、安定を取るべきか……新米弁護士ライネンは「悪魔」から選択を迫られるのです。

 今だけ金だけ自分だけ?

 その人たちは、きっと「取り引き」をした人なんじゃないかな〜。

 こうした出来事はこの国でだって。その「選択」の先で謳歌する者たちのイキり顔が跋扈している景色を私は見る。

 


Posted by にいさん at 2023年11月14日09:30

『非常宣言』(イ・ビョンホンとソン・ガンホ共演のフライトパニック映画!)





 読者の皆様へ「非常宣言」を発令します。クライマックスの〈緊急着陸のシークエンス〉についてこの人ネタバレする気らしいんで、「ネタバレ反対派」の人は退避を呼びかけます!え?それなら日本の自衛隊機が撃墜も辞さないって?最悪やな、あいつら……あ、非常宣言、非常宣言を、発令しま プチッ(通信途絶)




 Amazonプライム・ビデオで話題の韓国映画『非常宣言』が配信開始されました。主演はイ・ビョンホンとソン・ガンホ。韓国映画はフライトパニックひとつとってもやはり迫力が凄い。そこに豪華なスター共演!これだけの堂々たる娯楽大作は、もはやハリウッドにも引けを取らないような気がいたします。

 いきなり着陸場面の話しになるのでこれからご覧になる人は読まないでくださいませ。(だって、この場面が一番話したいんだのにw)悲痛な覚悟を決めた後の、ソン・ガンホの捨て身の大逆転展開で、一転着陸出来るぞ!ってなった後にも襲いかかる大ピンチ(韓国映画は、こういうところあるよね。とどめの後の、まだ終わってないんかいっていう執拗さ……)地上からの指示通りでは燃料が足りない。追い風だから大丈夫と言われるが、風向きは変化するからあてには出来ない。ならば最も近い空港に向かいたいという判断を下したのは、劇的バトンタッチをした乗客で元機長という役どころのイ・ビョンホン。自らの判断を信じて際どい着陸を試みる場面がとにかく圧巻(正直、それまでのいくつかの「理不尽展開」へのリアリティとしての違和感やあれやこれやを吹き飛ばしてくれた着陸場面)燃料も切れて慣性飛行状態になって、しかしこの速度では、このままじゃオーバーランしちゃうよ!って言ってたら、操縦桿を切って旋回するんですよね。(そうかその手があったか!)しかし慣性飛行のままでは綺麗に充分な旋回は出来るのか??と思っていたら、そこでジェットエンジンが点火!「このための燃料を残していたようです!」というTV実況が入り、更に旋回と減速をしてからの……

 っていうのがですね〜。気持ち良いったらありゃしませんでしたよ。「もしもの時の備え」が最後の最後で切り札として生きるという。

 ソン・ガンホ演じる熱血刑事の無茶な(捨て身の-というべきか)行動が道を開き、イ・ビョンホン演じる過去に傷を抱えた元機長が着地を決める。大臣は責任を取りつつ後押しし(現実にもこのようなトップばかりなら良いのに、と我思い)映画として良き「着地」を見せてくれたように思います。



 ここまでやってくれたのだから良かったのですが、途中の「感染者を排除する」一連の場面は-作品の良し悪しとは別の意味で-見てて辛かったですね。劇場公開はコロナ禍に突入した後ではありましたが実際の撮影時はいつで、どこまで意識的に描いたのかはわかりませんが、機内での、あの正義面したオヤジによる(ウイルス感染した)他の乗客へ対する高圧的な排除行為は(劇中の機内でも非難轟々だったけど)現実の自粛警察やレイシズムに走る人たちの姿と重なってきて、辛くなりましたね。あれだけ暴力的に排除しておきながら、すぐ後には自分自身も感染してしまうんだからね……

 更には(世論調査とか?あの限られた時間内で出来るものなのか??とかとか、思わないでもなかったけれども)国民が着陸反対と賛成に分かれる社会の分断場面とか、この上更に地獄を突きつけてくるか!?という、その前には日本からもアメリカからも着陸拒否されて、まじこれ人道問題じゃねーかって、まずは着陸させて乗客の命を第一にってならん?というのはモヤモヤしてしまいました。実際のダイヤモンド・プリンセス号での新型コロナ発生からの(色々うまくいかない事とか思い出すけどね)対応を思い出すだに、どう考えても現実のリアルな対応は、まず乗客の安全を図った上での(まずは人道上も、着陸させた上での)防疫対応という順番で考えるもんと違う??っていうところで、いきなり威嚇射撃(汗)とか「撃墜」が語られるとか??ちょっと対応が飛躍していないか!?とは思いはした(⌒-⌒; )ただ、その「地獄展開」があったからこその、捨て身のソン・ガンホとイ・ビョンホンの神展開に繋がったとは言えるのですがね。つまり、厳密なリアリティよりもストーリー展開の上でのドラマを選びとった結果-というふうに受け取りました。そこを支持するか否かは人によりけりでしょうか。

 それから、どうしても気になってしまうのは、嫌悪感120%の好演を見せてくれたイム・シワン演じる犯人の心理と、その背景としての描写が、あまりに薄いように思えた事が勿体ないというか。生い立ちや動機に対しての推測は言葉で説明されたとて、その肝心の彼の犯行の((演技は素晴らしかった!)あれだけ不快感を醸し出す態度に至る)内面が不明過ぎる点も、せめて説得力ある(或いは予感させる)ドラマとして描いてくれていたら……というのは求め過ぎですかね。あれだけの大それた犯罪に至るまでに彼を追い詰めたものの背景の方にどうしても興味が向いてしまったようです。

 しかし、イ・ビョンホンとソン・ガンホのファンにはたまらない(周りの役者さんもとても良かった!)迫力とドキドキ感が止まらない見応えは抜群の娯楽大作だったと思いました。



 邦画だと、実写でこの内容と迫力ある娯楽大作って……難しいのだろうか。と、ふと考えてしまいました。(空だけでなく、まさかの超危険なカーチェイスまであるというw )



Posted by にいさん at 2023年11月12日18:38

読書会もいろいろ。。。(山本多津也 著『読書会入門』で猫町倶楽部さんを知る)





 地方都市の片隅で、小さな読書会を主宰している身としては、図書館で反応せざるを得なかった(手に取らない選択はなかった?)一冊でした。山本多津也さんの書かれた『読書会入門』。日本最大規模の読書会「猫町倶楽部」を主宰しておられます。名古屋に始まり東京、大阪と、今や全国的にその輪は広がっているとの事。(お恥ずかしい事に、私は「猫町倶楽部」さんの事をこの御著書で初めて知りました)なんと、多い時には300人の参加者で溢れかえるそうなのです!ちなみに私の「沖縄式読書会」は現在の期間は3〜6人。コロナ禍が明けた場合でも最大8人かな、と考えている為……とてもとても桁が違いますね。比較をする事さえ、冷や汗が出そうになるくらい(笑)度肝を抜かれる規模でやっておられる読書会です。

 そんな読書会の「規模」から、その「成り立ち」「考え方」「スタイル」に至るまで、何から何までが違う超有名な読書会さんなのでありますが、段々と共通の思いというか、共通の形と言うと烏滸がましい気もしないでもありませんが、それでもやっぱりその形に行きつきますよね。というところもまた実に興味深かった。いかに参加者のハードルを下げるか?(大人数であっても)グループ分けの上、6人〜8人の単位でひとりの進行役を置いて、ルールを明文化しない等々。ひとりひとりの参加者のことを誠実に向き合っておられる姿勢が伝わってきました。(読書会によってはルールを毎回ホストが読み上げて「こうした行為はやめてください」という形で行っている読書会もございます。それもそれでひとつのやり方なんですけどね)ボランティアで一緒に取り組んでおられる皆さんの活躍ぶりも凄い。

 ところでこちらの「猫町倶楽部」さんの読書会は元々ビジネスの観点から、本を読み学んでいこうという(あらゆる意味において、私からはかなり遠い発想というか、この部分だけ読むと、まず交わることすらなさそうな??)そんなところから出発されておられた『名古屋アウトプット勉強会』(ビジネス書を選書し皆で読んで語り合う場)として始まったそうです。しかし、頼れる相棒の方から文学も必要じゃないのか?という声も受けて『名古屋文学サロン月曜会』という小説や詩などの文学を扱う読書会も開始して、以来この二本柱に加えて、作家さんのゲストも招いたり、特別企画なども交えながら行っているそうです。(驚いたのは、2019年の執筆時点、mixiのグループを活用したやり取りがまだ活発に続いていたという話し(!)懐かしいな(笑)凄い長い事続いているのですね)

 著者は、読書会には「課題本型」と「紹介型」のふたつのやり方があると丁寧に説明をしてくれていて、著者の山本さんは「課題本型」にひとつのこだわりを持っておられます。そして、初めての人にも是非「課題本型」をとお勧めをされておられます。一冊の本を参加者皆で読み込んできて、多様な感想を語り合うというのは、作品の解像度がより深く緻密に浮かび上がってくると共に、他の参加者さんからは「自分にはない見方」を示されて、まさに多様な見方を感じながらより深く本を味わう事が出来る-そんな課題本型の魅力も、私も課題本読書会で経験していますのでわかるところがあります。(私も今後やりたい計画のひとつには「課題本型読書会」もやってみるか-というのもあり、また、某古典の課題本読書会にも参加しています)その上で、別府市で小さな読書会を開催している人間としては、「紹介型」の読書会も是非多くの方にお勧めしたい!という気持ちをここで述べたいと思います。(くれぐれも、これはどちらが正しいとか優れているという話しではなくて、それぞれに魅力があるという話しでございます)私が運命的な出会いとして心掴まれた読書会が、沖縄で開催されている『本もあい』という「紹介型+α」の読書会。今私が別府市で行なっている『沖縄式読書会』のルーツとなったものです。沖縄の相互扶助の風習「模合」(県外でいう頼母子講に近い風習)を、お金ではなく「本」で行うというもの。毎月順番で変わる「親」に、その月の参加者から(親のリクエストに答えた)プレゼント本がどっさりと贈られるというものです。もちろんそのプレゼント本を選んだ思いを選者がひとりひとり話しをしていきます。プレゼントする本を選ぶ過程のワクワク感、それを紹介するドキドキ感、そばでそれを聴いている楽しさ溢れる多幸感。もちろんそれをドッサリ貰うという快感(笑)。その前段では、各参加者が最近読んだ本の紹介を披露してからの(←通常の紹介型読書会にあたる部分ですね)後半の(もあい(プレゼント)部分)に進むわけですが、このプレゼント本も含めて、参加者の皆さんの趣味がバラバラなところが私には本当に刺激的で、まず自分ひとりで書店に行ってもまず手に取る事はないものがほとんどだったのです。そこで出会った作品、新たに知って好きになった作家も数知れず。たまに、江戸時代の古文書とか、なんじゃこりゃ!?というようなびっくりする選書をされる方もいると更に盛り上がるのも「紹介型」の醍醐味と言えます。(これは、比較してどうこう言うわけではないけれど、紹介型読書会でなければ味わえない醍醐味だとは思います。最近別府市で行った中だと、点字の電話帳とか、三線の工工四の譜面本とか、そんな「びっくり!」も楽しみのひとつかもしれません)「最近本を読んでないんだけど」と言って昔読んだ忘れられない豪華なセット本を紹介してくれて盛り上がった回もありました。そんな展開もあるので、読書会初体験の方には、私としては、是非是非、お近くの「紹介型読書会」をお勧めしたいと思います。(くれぐれも、「課題本型」も「紹介型」どちらも違った素晴らしい魅力がありますので、著者の山本さんの仰る通り、自分と合う、楽しいと思える読書会を選んで参加されてみてくださいね)

 しかし「猫町倶楽部」さんのこのスケールは圧倒されるな〜。この「学び」に対する姿勢には心からの敬意を覚えつつ。私は「学び」というのは「遊び」の中に含まれているもので、目的にはしたくないかな、でも結果、めっちゃ「学び」になってるやん。財産になってるやん?という事はございますね。本との出会い、著者との出会い、本好きの人たちとの出会いというのは、文字通りの宝だと思います。自分の中に宝物が積み上がっていく感じ(それが読書会)。

 宝物からもたらされるForceを感じる時間……?と言ったところでしょうか^_^

 もっともっと、読書会に参加する人が増えると良いなと心から願いつつ。

 こちらも貴重な読書体験でした。(猫町倶楽部さん、覚えおこう_φ(・_・ )




 追記。Nさんのエピソードも、めっちゃ良かったですね。(一説では日本で最初の有名なネト○ヨさんで、読書量がもの凄い、そんなNさんを巡る「事件」とは?そこは、本書をご一読ください)


Posted by にいさん at 2023年11月11日11:18

映画『国葬の日』(こちらも別府ブルーバード劇場で上映中です!)






 (ドキュメンタリーの為、特にネタバレ等は気にせずに書きますので、真っさらな状態からご覧になりたい方は読まないことをお勧めします)




 2022年9月27日の辺野古、キャンプシュワブ・ゲート前。座り込みに参加されていた元教職でいらっしゃったという方のインタビュー『安倍さんが首相になってから、「政治の話しはするな」というお達しが次々と来るようになりました。子どもたちが乗ったバス(でのお出かけ?)も辺野古の前を通さないようにと徹底されたり、教育現場への締め付けが酷かった』という内容の事を話されていた通り?この日の若い世代の人たちの反応は総じて薄かった……

 え?国葬?知りませんでした。

 政治の話しはしないようにしてるんで。

 自分は〜、どっちかっていうと……

 そして、なかなか印象深かったのは、安倍さんとツーショットを撮ったという青年。『自分が中学生の頃からずっと首相を務めてきた人なので』という具合に、まさに同じ日に辺野古で語られた証言通りの私たちの国?安倍さんの思惑通りの日本になっちゃってるかもしれない。また、そんな思惑通りの?「関心の薄さ」が9月27日の日本列島を覆っていたような。


 
 先日の『シン・ちむどんどん』上映前に、前の回で上映されていた『国葬の日』のプロデューサーも(『シン・ちむどんどん』と)共に務めていらっしゃる前田亜紀さんが舞台挨拶をされておられていて「どうぞどうぞ、前田さんの挨拶からご覧になってください」とブルーバード劇場のスタッフさんに促されて劇場内へ。前田さんの熱いお話しを聴いていたら、この作品の方も観たくなってしまいました。あえて1年経ってから上映を行なったとの事。ほんと、びっくりするくらい、私も忘れかけていましたよ。あの時の「怒り」を思い出してしまったような。(それは、観る人の考え方や安倍さんへ向ける感情によって千差万別ではあろうと思います。が、各種世論調査でも総じて6割の国民が国葬に反対していた事も確認しつつ映画はスタートするのです)監督は『香川1区』の大島新監督。

 また辺野古での前田さんによるインタビュー場面にて、ひろじさんがあの出来事を語っていたな。『安倍さんになってから辺野古への基地建設強行が酷くなった』こと。その時に海上自衛隊の(銃を装備した)掃海艇が辺野古の海へ何隻も派遣され反対する市民へ対する威嚇行為だとして当時県内騒然となった出来事を振り返っておられて自分も思い出しましたよ。当時の自分はmixiにて国に対する怒りの思いを投稿した事。『そんな人物の国葬なんて』とひっくり返る思いを、私もそれを共有したひとりであります。

 直後の札幌での平和そうな場面でのインタビューに更にひっくり返る自分。(しかし、そういう人たち。別府にもいるよな……と次々と気分の悪くなるような情景の記憶が蘇ってきてしまいました)

 

 あの当日は、無視というか、触れたくないというか。閣議決定で重要事項を何でも決めてしまう人たちへの絶望感に慣れてしまったのだろうか?等と思いながら……そして当たり前の事ですが、選挙というのは「白紙委任」を意味しません。何の為に国会での議論が行われているのか。又、半分に届くかどうかの投票率の更に半分にも満たない位の勢力が極端に力を持つ事の恐ろしさをまた改めて噛み締めつつ。「驕れる者」の姿をもまた改めて噛み締めつつ。

 静岡の水害に大変な思いをされる人たちが『そんなお金があるのなら、今ここに来て支援を』して欲しいという切実な声。

 福島県第一原発事故による避難を余儀なくされて、廃墟となってしまった施設にカメラが入っていくのを眺めながら頭をよぎる『アンダーコントロール』という言葉。国会での『全電源喪失はあり得ない』という言葉が頭をよぎる。(本当に忘れてはならない)

 モリカケ桜はどうなった?(赤木さんは何故命を落としたのか?)統一教会との関係は?

 もう、あの人は答えてはくれない。

 そのような人物の国葬を、閣議決定で決められてしまう国。

 その事を忘れてはいけなかった。

 つい忘れてしまう国民性?

 その「忘れる事」で、同じ事を繰り返しては(繰り返させては)ならないと思いました。


Posted by にいさん at 2023年11月07日19:24

「憧れ」と「貧乏くじ」の−1.0(『ゴジラ−1.0』に監督の震える手を見た )







 鎮魂と再生

 いつかどこかで聞いた言葉

 再生以前に、どん底を味合わせられる地獄

 貧乏くじ

 今日この場で連呼される言葉

 この人はゴジラに憧れ、そして怯えてもいるのか

 そして、震電

 あの時代に実在した試作機

 これは、さながらあの時代の、

 スーパーX?


 『ゴジラ−1.0』

 ※情報(ネタバレ)の開示に御注意下さい。まだの方は、このblogからの退避を呼びかけます。避難をお願いします!

 (ただし、これは感想及び、あの幻の巨大イベントとの関連の中でのこの作品に抱いた妄想が半分でございます。山崎貴監督の心の内などはもちろん知る由もありません。あるひとりのゴジラファンの勝手な妄想とお許しくださいませ)






 

 山崎貴監督にまず謝ります。新しいゴジラの監督が山崎監督と聞いて「え?」って思ってごめんなさい。監督のゴジラ愛、受け取りました。


 しかし、どうしても思い浮かべてしまったのが、幻に終わった山崎貴監督が一度は就任した東京五輪2020なる巨大イベントの開閉会式の演出について。あの時(五輪への反発もまた強くありつつ)結構身の回りがざわついた記憶があって。そんな中で「山崎さんで、日本らしさを、っていうならば、実物大のゴジラを出すしかないんじゃないか?」というような半分真面目なのか冗談なのかわからない声も聞こえてきたっけ?なんて事を思い出しながら「(本当のゴジラだ!って)ある意味実現しちゃったよ」という変な感慨に浸ってしまいました。

 今回クライマックスを前に、国の軍隊(或いは地球防衛軍でもGフォースでも自衛隊でもその前身である警察予備隊でもなく)『民間の有志』が集まって、我々自身でやるしかない、米軍も加勢にはこない(ここはリアルな肌感覚有)そんな展開の中で『貧乏くじ』という言葉がやけに耳に残った今作の脚本。国は肝心な情報は伏せたままで、という『国家的な何かへの不信感』のようなものを汲み取ってしまったのは私だけだろうか。

 いつもなら、零戦も、重巡洋艦も、靖○神社のあそこの博物館で見た遺物くらいの冷めた目線で見てしまうところ、モノはそれだが何故か文脈は別物に感じてしまう不思議?(あの重巡艦が最初の「放射」で木っ端微塵にされる場面は好きだ。海中から放つチェレンコフ光の、あの青白さも)

 巨大な力への不信感、国家的なものへの不信感か。ともかく『貧乏くじ』に込められた何かを想像してしまう。

 黒い雨。東京にあがるキノコ雲。

 今回のゴジラは、説明よりもただただ映像のみによって描かれる「核の恐怖」「戦争」そのものであり、国民的villainであり、同時にスーパースターでさえある?そんなものと対峙させられるのは、さぞや『貧乏くじ』なのかもしれない。いやいや、憧れの対象ではなかったっけ?どっちなん監督?などと思いながら観ていました。あの引き金を、なかなか引けない神木くんの姿は、もしかしたら監督自身の姿なのかな?とも。(他の、有志の皆さんも、あれなんか皆んな監督の分身と違うか?って……)


 国家的(或いは国民的)な何かを背負わされる「個人的」な感情がゴジラという作品に落とし込まれてはいないか?


 というのが今作を見ての感想です。壮大なようでいて、結構個人的?でもそこがどうも今回興味をそそるわけで。

 まだ終わってはいないのでしょうか。これで、終わらせられたのでしょうか。

 あの「わだつみ作戦」からの震電による一撃というフィニッシュは決まりましたか?(しかし、「ヤシオリ」の次は「わだつみ」か……どちらも日本の神話ルーツとは。共通する着想としては嫌いじゃないです)

 あの「幻に終わった祭典」(ディレクターとしては、っていう意味ね)の後に作られた、野村萬斎監督の山月記(『虎の洞窟』)ならびに河瀬直美監督『東京オリンピック2020 SIDE:B』と是非並べて観ていただきたい今作。私の中では〈五輪後文学〉的な位置付けの一作となってしまった感があるようです。(個人的にはSIDE :B→虎の洞窟→マイゴジの順で観るのも面白いかも?しれません)「あの時何があった!?」いやいや、そこは情報統制がされて、言えないんだよ。きっと。


 
 

 
 ちなみに、伊福部昭のテーマ曲の使い方はシリーズ屈指の素晴らしさでした。ゴジラに向かっていくテンションが上がりに上がります。伊福部さんの解釈にも合っていると感じました。感動的でさえあった。欲を言えばフリゲートマーチも聴きたかったけれど、まさかのキンゴジ・モスゴジテーマchoiceも悪くなかったです。銀座の場面、アナウンサー実況、第一作へのオマージュも嬉しかった。ただ、ヒロインの描き方は、ちょっと改善されてもいいかな?と思います。(浜辺美波さん好きなのだけれど、助けなければならない悲劇の……という展開は正直昔の男性目線が過ぎるのでは?)

 あとアナログな特撮好きとしては、前編VFXというのは、やや寂しくもあり。ゴジラのデザインは、ややエメゴジに似た足が気になりつつ、全体のフォルムもこれもVFXだとしょうがないかな?ハリウッドゴジラよりもかつての着ぐるみの造形に寄せた方が個人的には好きでした。そして大事な初出現場面はもうちょっと引っ張った方がいいな。早く出過ぎやろ、って。同時に、なかなかその姿をはっきりと出してこない第一作の演出の見事さを改めて思いました。神木隆之介くんのドラマとしては筋が通る流れではあるんですけどね。難しいところですね。


 そして、ラストは、

 まさかの大怪獣総攻撃で来たかっ(驚)


 GODZILLA will return.


Posted by にいさん at 2023年11月06日19:23

映画『シン・ちむどんどん』別府市でも上映開始しました!






 前泊教授との場面。かつて60年代にも米軍は辺野古への基地建設を計画し、ボーリング調査も行っていて、当時既に、そこには軟弱地盤があることを米軍が把握していたのだろうことが考えられるという話。そして、結果財政的にも困難だったその辺野古への新基地建設を、「日本人の税金」でやってくれるのなら-という事は、

 むしろここへの基地建設は、やはりアメリカさん以上に日本政府がゴリ押ししてきたのではなかったか?

 という思いを改めて強くさせられます。しかも、つい数日前の共同通信のスクープ【すでに2007年には沖縄防衛局は軟弱地盤を把握していた】というニュースと合わせて、不都合な事実は伏せながら我々日本人の税金を、どう考えても無理筋な辺野古の基地建設に投入させていくというおぞましさに、また怒りがふつふつと湧いてこないではいられなかった。

 昨日、別府市の別府ブルーバード劇場において、プロデューサーの前田亜紀さんの舞台挨拶もありの『シン・ちむどんどん』上映に行ってまいりました。(ドキュメンタリーなので、特にネタバレ等気にせずに書きますが、これから真っさらな状態でご覧になりたい方は読まないで下さい。その上で、この映画は、日本に住む人は全員観るべし!?いや、なんなら世界中の人にも観て欲しい!という思いです。何故か、昔も今も「外圧」があるとコロッと姿勢を変えるこの国不思議……という思いと共に)

 もしかしたら、このドキュメンタリーの中には、強い痛みを感じる場面が繰り返し出てくるかもしれない。あの名前すら出したくないインフルエンサーの話しにも触れられるのは、正直しんどいかもしれない(あれは、私にとっても「暴力そのもの」だったから)そんな予感も感じつつ、でも「ダースさんと鹿島さんが目撃した沖縄」をしかと見届けなければ-という思いで足を運びました。

 前作『劇場版センキョナンデス』のエンドロールで、辺野古のゲート前でのダースさんのHello民主主義♪(だったか??)の映像に客席でひっくり返ってから8ヶ月。「センキョナンデスは帰ってくる」というあのエンドロールから何故か帰ってきたのは『シン・ちむどんどん』だったという(笑)

 プチ鹿島さんは、沖縄県知事選に立候補した3人の候補者に(琉球新報のアンケートで3人の候補は揃って「好きなドラマは『ちむどんどん』」と答えていた事に着目し)「『ちむどんどん』がお好きということですが、どういうところが良いと思いますか?」と問うていくのであります。だって、公な新聞社のアンケートにはっきり「好きだ」と明言したからには、それなりの理由があって答えているのでしょう?誤魔化したり、嘘をついたり、まさかまさか見ていないなんてことはないですよね???(もしこの問いに対して不誠実な解答が、もし返ってくるとしたら、当然?他の政策や主張も同じく誠実さが疑われることに…という主張はごもっとも)時事芸人ならではの着目と執拗な「ちむどんどん追及」は、なかなか良かったですね。

 最初の下地さん。「沖縄の男のいい加減さが…」と、もしかしたら、一度は?見たことはあるのかもしれないけれど、「中でも誰が好きか」と更問いを掛ける鹿島氏。下地氏沈黙。からのスタッフからの「あの〜時間が……」の流れ、良かったですね〜(「更問い」大事って改めて思った)

 次は国政与党の候補者佐喜眞さん。「見てません!時間がないんで」(きっぱり)新聞社のアンケートに明記した解答をここまで堂々ときっぱり切って捨てた姿勢には、ある意味感心もしたけれど、でも「だったら書くなよ」と言いたくもなるわけで、案の定、政府どころか与党議員の誰からも裏付けが取られていない「普天間を2030年までに返還する」という公約も、後からきっぱりと「出来ません!」って言うのだろうか……

 最後はデニーさん。「あのドラマはね、本島北部の方の話しになっていて、実際の北部の方で使われる言葉とは違っていてね〜……」デニーさん、まじで見てるわって感動してしまう私。(ちなみに、周りからは散々な声があがる同ドラマ、私はとても好きです。日々の家族の生活に沖縄が話題に上がる喜びは素直に感じながら見ていました。作者の志も感じました。色々と、そりゃ言っていけばきりもないところもあるけどね。「伊波普猷の座右の銘」である言葉が、のぶ子の結婚式であの人の口から語られた場面では鳥肌が立つ思いもしました)

 そんなとても象徴的な「ちむどんどん問答」だったと思います。

 しかし、映画は、デニーさん圧勝の沖縄県知事選では終わることはありません。むしろここからが、この映画の白眉の連続に思いました。沖縄の選挙は盛り上がるとか、皆が楽しそうにしているとか、歌で溢れていますよねとか……

 「本当はね、しんどいのよ」という選挙戦での女性の言葉。歌わずにはいられなかったその気持ちの根っこにあるものを、ふたりは敏感に感じ取りながら場面は辺野古へ。

 まさかの高里鈴代さんからの促しで(!)フリースタイルラップをかましてくれたダースさんの言葉と目の前の警備員の顔。フェンスの向こう側。アメリカが持ってきたはずの民主主義はどこに?日本は民主主義社会なのか。隣りには高里鈴代さんとプチ鹿島さんがいる。ここでこの3人が並んでいる情景を私は忘れないだろう。フェンスの向こう側から、交代する警備員たちが事務的に粛々とそこへ立っていく姿。Hello民主主義♪聴こえていないのか日本人。

 たまらない気持ちになった直後に、同じ場所で起きた「あの事件」のツイートの映像が。

 ふたりは、強い不快感を表明してくれた。元山くんと語り合ってくれた。やはり聴こえていないのか日本人。

 スタートラインの立ち方は2人が示してくれた。どんどん入ってこい沖縄へ。この痛みが共有されて広がっていくがいい。

 粛々と無視をする者がいても、冷笑を浴びせる者がいても、「誤魔化す者」はいつか破綻をきたすだろう。それもキッパリと、誤魔化しました!時間が無いんでって?そのような人たちは、いつまでも「そんなやり方」が通用すると思っているのかもしれない。(減税しますと表で言いながらその後結局は増税への流れ。インボイスも導入するらしい。増税ナントカって言い方は好きじゃないけど、誤魔化すのがバレバレで支持率は最低水準。国民も見る時ゃ見てるんだわ。同時にその視線を沖縄に、向けて欲しいと常々思っている人間でございます)

 つまり、「ちむどんどん見てる」っつったらちゃんと見とけ!以上。







 上映後の(別府市出身!)前田亜紀さんの沖縄への眼差しも嬉しかった。本当に良い映画でした。ありがとう。

 


Posted by にいさん at 2023年11月05日13:34